2020年5月31日「様子を知り、励ましを受ける」コロサイ4:7〜9

序−外出自粛によって多くの人々が関係やつながりの大切さに気付かされ、これまでの付き合い方が変わるかもしれないと言われています。今日の個所でも聖徒たちのつながりの大切さが教えてられています。

T−手紙を聖徒たちに持って行くテキコ−7〜8
 この手紙は、遠いローマにいるパウロとコロサイの聖徒たちを結ぶ通信手段でした。牢獄に閉じ込められていたパウロですが、手紙によって、聖徒たちとつながることができました。交わりができました。外出規制の中でも、インターネットによって通信ができるのと同じです。その通信手段であるコロサイ人への手紙を運んだ人がテキコです。7節。
 テキコは、コロサイだけでなく、エペソ教会にもパウロの手紙を運びました。エペソ6:22。テキコはアジア人、つまりコロサイのあるアジア州出身だと紹介されています。エペソでの騒動の後から一向に加わったようです。エルサレムへ支援献金を届ける時にも一緒でした。使徒20:4。ローマ、エルサレム、エペソ、コロサイ等々、どれほどの距離を行き来したのでしょうか。テキコの献身と犠牲がなかったら、エペソ、コロサイという獄中書簡はなかったでしょう。
 テキコは、忠実な同労者と紹介されています。7節。こういう重要な働きをする人は、忠実な人でした。忠実とは、信頼とも訳され、変わらないという意味です。多くの人々が評価や称賛を受ければ働くが、批判や叱責を受ければ忠実に働かなくなります。しかし、神様が用いられる人は、賞賛や叱責に関係なく、変わりなく忠実に働く、信頼される人です。ローマの牢獄にいたパウロと聖徒たちをつなぐ大事な働きを担っていました。私たちも、誰かと誰かのテキコとなり、人をつなぐ働きをすることができます。
 テキコは、パウロの手紙を持って、短くは数百km、長くは数千km以上を歩いた、いや走ったかもしれません。できるだけ早く届けたいのですから。川や海を渡る危険、獣や盗賊の危険、喉の渇きや空腹と戦いながらの旅でした。暑さや寒さ、雨や嵐の中も旅をしました。それこそ、命をかけて手紙を運んだのです。だから、忠実な同労者なのです。
 命をかけてこの福音の手紙を運んだ理由は、どこにあるのでしょうか。福音の手紙であり、人の生死がこの手紙にかかっていると信じていたからです。聖徒たちの心情を思い、彼らの信仰の整えと成長のために仕えたかったからです。パウロの心情を思い、少しでも助けをしたいと願ったからです。テキコがこの手紙をなくしたり、奪われたりすれば、聖書の中に含まれなかったのです。テキコは、旅の間この手紙を肌身離さず運んだことでしょう。

U−互いに様子を知り、励ましを受ける−7〜9
 手紙を持って行く人は、ただの郵便配達人ではありません。調べてみたら、当時ローマ帝国では、駅伝制度や郵便制度があり、手紙だけ送ることができました。ですから、わざわざ手紙を持って行かせたということには、大きな意味があります。パウロがテキコをコロサイへ遣わした目的は、パウロの様子の一部始終を知らせるためでした。7~8節。パウロに会わなくてもテキコに会えば、パウロの考え、パウロの悩みと祈りの課題、近況、ビジョンなどをすべて知ることができるということです。色々余計なことを言ったり、自分のことばかり話したりしてはメッセンジャーの役目を果たすことができません。テキコは忠実な人でしたから、パウロの様子を的確に伝えてくれるはずです。
 コロサイの聖徒たちは、獄中のパウロのことを心配していました。牢獄に閉じ込められて、どれほど孤独で苦しんでいるのではと思っていたことでしょう。宣教の働きができずに、悩んでいるだろうと考えました。しかし、獄中にあっても、弟子たちと交わり、手紙を書き、伝道もできました。ピリピ1:13〜14,4:22。囚人や看守だけでなく、親衛隊や高官にも福音を伝えることができました。驚くばかりの奇跡です。遠いローマからのパウロの消息によって、心配していた聖徒たちは、どんなに安心して、励まされたことでしょうか。箴言25:25。外出自粛中、久しぶりに知り合いの消息を知ったら、まさに疲れた人への冷たい水のようです。
 パウロの消息は、獄中生活は物理的には閉じ込められていても、精神的には閉じ込められていないということを明らかにしてくれました。様々な制約や惑わしの中で痛みを感じていた聖徒たち、厳しい環境で閉じ込められていると感じていた聖徒たちが、どれほど慰められ、励まされたことでしょうか。こうして、獄中のパウロたちの様子を知って、牢獄の外にいた聖徒たちが励ましを受けたのです。
 実は、すでにパウロ自身が、ローマの獄中で、エパフラスからコロサイ教会の様子を聞いていました。コロサイ1:4〜5,7〜8。直接行ったことのない、コロサイにエパフラスを通して福音が伝わった恵みを聞いて、感謝しました。このコロサイ人への手紙は、感謝の言葉にあふれています。パウロ自身が、コロサイの聖徒たちの様子を聞いて、励まされたのです。そして、問題が起こって、コロサイの聖徒たちが苦しんでいる様子を聞いて書いたのがコロサイ人への手紙でした。コロサイ2:4,8。
 このように、聖徒たちがそれぞれの様子を知らせ合い、互いの様子を知ることによって、慰めや励ましを受け、問題や課題のために互いにとりなし祈り合う姿こそ、聖徒たちの交わりの尊さです。エペソ6:21〜22。私たちも、互いの様子を知らせ合い、励まし慰めを受けることは大切です。
 外出自粛という体験を通して、人々は人との関係やつながりを大切にしなければと思い直しています。どのように人間関係を持ったらよいのでしょう。アンケート調査の結果を分析したところ、次の4つのことが関係を持つことに関わっていたそうです。1、「自分を振り返る」こと。今自分の興味があるのか、問題を感じていることは何かをはっきりさせておくことで、関係を持ちやすくなります。2、「自分を伝える」こと。自己開示は、相手への信頼や好意を伝え、他者との関係を深める効果があります。3、「ちょっとした手助けをする」こと。相手を気にかけたり、何か役に立てることはないか考えることが、関係の保有に関わっています。4、「助言を求める」こと。助言を求めることは、相手への信頼や敬意を伝えることになります。
 今日学んだことに似ていますが、違うことは、主にあって行動することです。7,17節。主にあって互いを知り合い、知らせ合い、互いを理解し合うのです。肉の思いだけだと、そこに罪が入り込み、関係を壊し易くなるからです。主にある交わり、互いの心情と事情を分かり合うと、励ましと喜びがあります。主の支配の中で、互いを愛するようになります。

V−回心したオネシモも一緒に−9
 今回コロサイ教会への手紙を運ぶことには、忠実な同労者オネシモも同行しました。なぜでしょう。9節。「あなたがたの仲間のひとり」であると言っていますが、コロサイ教会の聖徒だったわけではありません。オネシモの主人ピレモンがコロサイ教会の信徒でした。これには、事実は小説よりも奇なるオネシモ物語が背景にあります。
 オネシモについては、ピレモン書に詳しく記されています。オネシモはピレモンの家で働いていた奴隷でした。ピレモン1:16。オネシモは、主人のお金を盗んで逃げました。同1:18。あちこちで盗みをしながらローマまで流れて来て、ついに捕まって牢獄に入れられました。そこで同じ囚人であるパウロと出会い、福音を聞いてイエス様を信じました。同1:9〜10。そして、パウロの同労者となったというのです。
 聖徒たちにすれば、あのピレモンの家からお金を盗んで逃亡したというオネシモが、ローマでパウロに出会ってイエス様を信じてクリスチャンになり、生まれ変わっってパウロの同労者としてコロサイに遣わされて来るなんて!コロサイの聖徒たちにとって、これこそ、パウロの様子を知らせてくれる出来事そのものです。パウロとの出会いやその後の一部始終を知らされて、驚いて、喜んで、感謝したことでしょう。どれほど慰められ、励まされたことか、深い感動が一同をおおったことでしょう。私たち自身が福音によって変えられるならば、どんな関係も変えられます。
 福音には力があります。福音を聞いて、信じて救われた者は、新しい命に生きるようになります。新しい人に造り変えられ、主にある関係に変えられ、用いられる者となります。オネシモとその主人ピレモンの関係は、裏切った者と裏切られた者の関係が、同じ主にある聖徒同士、主にある兄弟関係となり、共にパウロの同労者の関係になったのです。同1:1,16。
 感染症による外出自粛の中で、人々との関係について、多くの人が色々なことを考えさせられました。心理の専門家は、信頼は、支え合いを維持し続けることでできるもので、確固たるものではないと言います。たとえ肉親でも、絶え間ない思いや考えのやり取りによって関係が維持されると言うのです。そもそも人間関係はずれるものだと自覚して、その都度話し合うことのできる環境・関係づくりが大事だと言っています。
 「様子を知らせる」ということが3度も繰り返されています。きょうの御言葉を通して、主にあって様子を知らせ合い、事情を知ることで関係が築かれ、互いに恵みと励ましを受けて行くことを学びました。今さらながら、私たちが主にある聖徒同士のつながりと関係が与えられていることを感謝し、大切にしていきたいと願います。ピリピ2:1〜2。




コロサイ4:7 私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。
4:8 私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。
4:9 また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。



ピリピ1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
1:13 私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり、

ピリピ4:22 聖徒たち全員が、そして特に、カイザルの家に属する人々が、よろしくと言っています。

箴言25:25 遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ。

エペソ6:21 あなたがたにも私の様子や、私が何をしているかなどを知っていただくために、主にあって愛する兄弟であり、忠実な奉仕者であるテキコが、一部始終を知らせるでしょう。
6:22 テキコをあなたがたのもとに遣わしたのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知り、また彼によって心に励ましを受けるためです。

ピレモン1:9 むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、
1:10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。

ピリピ2:1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

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