2020年6月7日「弱点、失敗を乗り越える」コロサイ4:10〜11

序−弱点や失敗と言っても、弱点は見方によっては必ずしも弱点にはならず、強みを発揮すれば弱点は問題にならないと言われます。失敗も後に生かされれば失敗のままではない、必要な失敗もあると言われます。捉え方や取り組み方が大切だというのでしょうか。

T−プライドを乗り越える−11,
 11節を見ると、3人まとめて「彼らは私を激励する者となった」と紹介しています。アリスタルコ、マルコ、ユストの3人の同労者は、パウロを慰めて、励ます人となったと言うのです。どのようなことで、パウロを慰めて、励ましてくれたのでしょうか。そして、3人とも「割礼を受けた人」つまり出身地は違っても、血統はユダヤ人であったということです。
 とりわけ、ユストに付いている説明は、「割礼を受けた人」だけです。つまり、かつてはユダヤ人というプライドで生きていた人だということです。イエス様に出会う前のパウロ自身もそうでした。ピリピ3:4〜6。ユダヤ人であること、氏族の出自を誇り、律法を守ることを誇りとしていました。人間的なものに頼み、肉のプライドで生きていたと証ししています。結局、その人間的なプライドのためにクリスチャンを迫害しました。取り返しのつかない大失敗をしてしまいました。
 ユストも、ユダヤ人であること、律法や慣習を守ることを誇り、肉のプライドによって失敗もしたのでしょう。出自、家柄、故郷、財産、学歴、所属団体等々、今も人々は、何らかの人間的なものを頼み、誇りとしています。でも、それらは、その人そのものではありません。それなのに、肉のプライドを振り回し、誇るのです。ユダヤ人も割礼を受けた者だ、律法を守る者だと事あるごとに言い、そうでない者を見下し、批判したのです。使徒11:2〜3。そして、割礼を受けろ、ユダヤ人の律法や慣習を守れと強要したのです。使徒15:1,5。そういう人々が、コロサイの聖徒たちを惑わし、混乱させていたのです。テトス1:10。
 このような肉の誇り、プライドがどれほどその人自身を弱め、成長を妨げ、人間関係を壊すものとなっていることでしょうか。プライドが傷ついた、沽券に関わると憤慨しては、怒りや批判をぶつけるのです。このようなプライドにがんじがらめになっていることに中々気付きません。ユストは、いつどうして気付いたのでしょうか。イエス様の十字架の救いを聞いて、信じた時です。パウロの証しによれば、「頼りとしていたものをみな、キリストのゆえに、損と思うようになった。捨ててしまった」と言っています。ピリピ3:7〜9。私たちは、どのようなプライドを持っているので
しょうか。どんな人間的なものを頼みとしているのでしょうか。今でも何か肉のプライドに囚われていないでしょうか。
 パウロは、同じ経験をしたユストが自分の同労者となっていることに慰めや励ましを受けていたのです。このリストに載ることで、ユダヤ人に惑わされていたコロサイの聖徒たちが守られて、励まされることになります。自分に関係する何か、自分が属する何かを頼りとしても、自分自身のことではありません。自分にあるもので生きて行くことが肝要です。イエス様を信じて救われると、新しい人となり、神様から賜物を与えられ、用いられるようになります。人間的なものを頼みとするのではなく、大事なのは新しい創造です。ガラテヤ6:15。

U−弱点を乗り越えて、強味を発揮する−10
 次の人は、アリスタルコです。10節前半。この人については、使徒に登場しています。使徒19:29。いわゆるエペソ騒動の時、パウロの宣教によって金儲けができなくなったアルテミス神殿の模型作り職人たちが、民衆を扇動してパウロを訴えた事件において、アリスタルコがパウロの代わりに捕まえられました。使徒19:27〜30。自分が捕まえられることで、体を張ってパウロを守りました。福音を受け入れてからすぐに、感謝と感激でこのような行動を取りました。
 また、その後パウロの伝道旅行に同行しています。使徒20:4。パウロの安全を保護するために、同行するようになったのでしょう。そして、パウロがローマでの裁判のために護送される時も、一緒です。使徒27:1〜2。わざわざ「アリスタルコも同行した」と説明されています。パウロが宣教で脚光を浴びている時なら、誰でも一緒にいたい、付いて行きたいと願うでしょう。でも、囚人として引かれて行くのに、同行しているのです。彼は、パウロの危険な旅に常に同行していました。この人は、自分の身を犠牲にしてでも、パウロを守りたいという人でした。
 さらには、今日の個所10節で「私パウロといっしょに囚人となっているアリスタルコ」と紹介されています。何と、アリスタルコはパウロと一緒に囚人となっていたというのです。パウロを世話するために、願い出て一緒に牢獄に入っていたのでしょうか。パウロが最も難しい時に一緒にいてくれた人です。これだけパウロに付き添っているのに、目立ちません。体を張って守っているのに、あまり知られてもいません。影のようにパウロに付き従っています。体の弱いパウロを、体を張って守り、仕えたのです。感動的な話です。
 他の同労者のように、一緒に宣教活動はしていません。人前に立って話をすることもできません。ただ、身をもってパウロを守ることで、パウロの宣教を助けたのです。影のように付き添っていますが、高貴な姿です。この姿は、自分にないものを嘆いたり、それで人を妬んだり、自分を否定したりするのではなく、自分にあるものを用いて生きて行くことを教えてくれます。与えられている賜物を発揮して主に仕える聖徒の姿を見せてくれています。Tコリント12:6〜7。私たちも、アリスタルコのように地道に主に仕え、与えられた賜物で用いられる者となりたく願います。
 伝承によれば、アリスタルコは、ローマの獄中で、パウロよりも先に殉教したと伝えられています。パウロが「私といっしょに囚人となっているアリスタルコ」と紹介された人は、キリストの福音を伝えるために命をかけたパウロと一緒に命を惜しまないで仕えました。彼は、死ぬ時までパウロと同行して、パウロに従いました。アリスタルコの心は、いつも救いの感激で熱かったからです。

V−失敗を乗り越えて、成長する−10
 もう一人は、マルコです。10節。マルコは、バルナバのいとこです。バルナバは、回心したばかりのパウロを引き受けて、聖徒たちの仲間に導いてくれた人です。使徒9:27。パウロをアンテオケに連れて来て、同労者として訓練して、共に第1回伝道旅行の働きに導きました。使徒13:2〜3。そこに、エルサレムから連れて来られたマルコも助手として加わることになります。使徒13:5。ところが、キプロス島を経て、小アジア半島に渡った所で、マルコは苦難に耐え切れず、エルサレムに帰ってしまいました。使徒13:13。失望したパウロは、第2回伝道旅行の時にバルナバがマルコも連れて行こうと提案しても、途中で帰るような者は連れて行かないと反対して、結局伝道団は分裂しました。使徒15:37〜39。初代キリスト教会での大事件でした。マルコにとって痛恨の失敗でした。
 マルコは、宣教にとって大変良い環境で育ちました。彼の家は、有名な弟子たちの集会所となったあの屋上の間です。使徒1:13。最期の晩餐をし、ペンテコステの日に集まり、初代教会の始まりとなった家です。使徒12:12。ですから、当然のようにバルナバに誘われるままに、あるいは母の意向で参加したようです。彼には、確信も情熱もありませんでした。最期の晩餐の時、イエス様が捕らえられると裸で逃げた青年はマルコだと言われています。マルコ14:51〜52。彼には、困難を経験しないで育った気持ちの弱さがありました。私たちには、どんな弱さや失敗がありますか。
 大きな失敗や挫折をすると、もう立ち上がれないと落ち込み、自分は駄目だと決め付けてしまうかもしれません。その後、マルコはパウロの同労者となっています。10節。何と、その弱さを乗り越えて、確信と情熱の人に変わり、パウロにとって欠かせない大切な同労者になりました。Uテモテ4:11。失敗した者とレッテルを張られていたので、パウロは「私の同労者として彼を歓迎してください」と頼みます。10節。その後、最初の福音書マルコ伝を記録し、エジプトで宣教をして殉教したと言われています。
 どうして、再び立ち上がることができたのでしょうか。信仰的に成長したからです。彼を養育してくれたバルナバとペテロというメンターがいました。バルナバがマルコをキプロス宣教に連れて行き、訓練してくれました。マルコは、使徒ペテロについて働き、ペテロから「私の子」と呼ばれるほど信頼されました。Tペテロ5:13。企業にもメンター制度があります。メンターとは、仕事や人生上の指導者、助言者の意味です。メンターは、キャリア形成をはじめ生活上の様々な悩み相談を受けながら、社員の育成にあたります。私たちにも、信仰のメンターが必要です。
 この4人は、信仰によって自分の弱点や失敗を乗り越えた人です。パウロも、弱点と失敗だらけの人でしたが、乗り越えて偉大な人となりました。人々は誰も弱点があり、失敗の経験があります。劣等意識と敗北意識を持っては、弱点や失敗を乗り越えることができません。誰でもイエス様に会えば変わります。御言葉は、人生を変化させる力があります。私たちも、信仰で弱点や失敗を乗り越えて進もうではありませんか。ピレモン1:11。



コロサイ4:10 私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです──この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。──
4:11 ユストと呼ばれるイエスもよろしくと言っています。割礼を受けた人では、この人たちだけが、神の国のために働く私の同労者です。また、彼らは私を激励する者となってくれました。



ピリピ3:4 ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。
3:5 私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、
3:6 その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
3:7 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

ガラテヤ6:15 割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。

使徒19:29 そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場へなだれ込んだ。
19:30 パウロは、その集団の中に入って行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。

使徒27:1 さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。
27:2 私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。

使徒15:37 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。
15:38 しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。
15:39 そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。

Uテモテ4:11 ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。

ピレモン1:11 彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。

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