2020年6月14日「非常に苦労して」コロサイ4:12〜14

序−感染症のため外出自粛のために、人々は様々な苦労を経験しました。人生には、多くの苦労が伴います。小さな苦労に加え、時には災害や事件によって大きな苦労を強いられることもあります。どう対処したらよいのでしょう。今日の箇所に登場する同労者は、苦労の多い人々です。

T−夢やビジョンがあれば−12〜13
 まず、エパフラス、「非常に苦労していた人」と紹介されています。12〜13節。エパフラスは、あなたがたの仲間のひとりと言われているように、コロサイ教会の出身です。コロサイ1:7〜8。パウロがエペソで教えていた時にイエス様を信じて、故郷のコロサイに帰って伝道して、教会設立に最も貢献したようです。ラオデキヤとヒエラポリスというこの2つの町にも、巡回して働いたようです。この3つの町は同じリュコス谷にありました。その後、この聖徒たちの信仰を揺るがす問題のために、ローマにいるパウロを訪ねて来ました。ずっと、聖徒たちのために労苦して来ました。
 ですから、今遠いローマにいるエパフラスは、揺らされている聖徒たちのために祈りに励んでいました。「励んでいる」という語は、コロサイ1:29,2:1で「奮闘や苦闘」と訳されている言葉と同じです。聖徒たちのために苦闘するほどのとりなしの祈りをしていたのです。聖徒たちのことを心配して、非常に苦労していたのです。非常に苦労していたというと、何か悲惨な感じがするかもしれませんが、彼の祈りは、愛の労苦です。愛の労苦は、苦労しても疲れを感じさせません。エパフラスは、聖徒たちのために祈る労苦を厭いません。むしろ、祈りは喜びを感じさせてくれたでしょう。
 私たちは、どんな苦労をしているのでしょうか。世間では、してもいい苦労としてはいけない苦労があると言います。エパフラスの苦労には、夢とビジョンがありました。祈りの内容に注目しましょう。彼のビジョンは、聖徒たちが「完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができる」ようになることでした。12節。聖徒たちの信仰が成長し、主の御心をそって歩めるようになることがエパフラスの夢でした。主から与えられた使命でした。聖徒たちが信仰の確信を持って成長して行くならば、間違った教えに揺り動かされることがなくなるからです。
 私たちが誰かに仕えて行く時の願いは、その人の信仰が成熟して、成長して主に似た者となり、主の御旨を確信して、信仰に堅く立つことです。これこそ、弟子訓練の目指すところです。そのために労苦するなら、苦労とも思わないでしょう。世には、信仰を揺るがすものが多いです。聖徒たちを惑わすものが多いです。ですから、私たちも、互いのために、信仰の成長と確信ある信仰生活ができるようにとりなし祈りたいのです。
 エパフラスを外から見たら、非常に苦闘して倒れてしまうかのように見えたでしょう。確かに、熱心な祈りは非常な労苦となりますが、倦み疲れていたわけではありません。エパフラスの姿は、夢とビジョンがあるならば、そこに生じる苦労は、それは疲弊する苦労ではない、愛の労苦になるのだということを私たちに教えてくれます。私たちは、今苦労していることについて、夢とビジョンがあるでしょうか。

U−世を愛して、イエス様を見ないと−14,Uテモテ4:10
 二人目は、デマスという同労者です。14節。このパウロの同労者リストの中でデマス一人だけ説明がありません。名前だけです。そこで、Uテモテ4:10を参照しましょう。「デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまった」とパウロは、テモテへの手紙で書いています。パウロの残念な思いが行間ににじみ出ています。長く苦労した挙句、デマスはパウロを捨てて去ってしまったのです。どうしてそうなったのでしょうか。
 コロサイ書はAD61年頃書かれ、Uテモテ書はAD66年頃書かれた手紙だと言われています。その間に、パウロは牢獄を出て、再び牢獄に入ることになります。Uテモテ4:7〜8を読むと、パウロの人生の終わりが迫っている、殉教を覚悟していたようです。他の同労者があちこちに遣わされています。Uテモテ4:13には、上着と紙のものでなく羊皮紙の書を持って来てと言っていることからすると、今度の牢獄はかなり湿気と寒さの厳しい所だということが分かります。
 そのような状況でそれまで苦労していたデマスは、もう終わりだと思って、パウロを捨ててテサロニケに行ってしまったのです。パウロはもう牢獄から出られない、もうすぐ殉教してしまうだろう、これまで一緒いた他の同労者も次々といなくなった、自分だけでは負担が大きい、自分だけ遣わされてなくて惨めだ等々、次々とデマスの心には、否定的な思いが広がって行ったようです。苦しみをどう受け止めるか、苦しみにどう取り組むかで、先は違って来ます。私たちは、どうですか。
 イエス様を捨てたとは書かれていません。見事に返り咲いたマルコの例もあります。ただこの時後退したことは、確かです。私たちは、エパフラスの祈りを思い出します。だから、信仰の成熟と確信が必要なのです。私たちの心の中心に御言葉があって、主の御旨によって生きることが必要です。パウロを捨てて去った理由に注目してください。Uテモテ4:10。「デマスは今の世を愛したので」苦労を先のない苦労と思い、失望落胆して、苦労で疲弊してしまったのです。イエス様を見ないで、救いの恵みの約束を握らなかったからです。
 私たちも、苦労が続くと世の方を見てしまいます。他人が何の苦労もないように見える、世の価値観の方が賢いと思えて来る、あっちの方が得策だと考えたりするのです。世を愛するというのは、心がそっちの方ばかりに一方的に向いてしまうという状態です。イエス様を愛するより、世を愛してしまったのです。苦労の中にあればなおのこと、イエス様を見なければなりません。聖書の価値観に立つのです。
 Tヨハネ2:15〜17は、私たちの目を惑わす世がどんなものか定義しています。デマスは、神を愛するより、自分を愛し、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などで生きるようになったのです。パウロを見ると苦労ばかりで、世の権力者の前で悲惨にしか見えなかったのです。私たちも、苦労の中で惑わされて、問題の中で誘惑を受けるでしょう。デマスになったり、テサロニケに行っていることもあるでしょう。
 苦労する材料が多くあります。苦労しなければならないことが起こります。しかし、そうした問題にどう取り組むかで、先が違って来ます。私たちは、様々な問題に出会い、人生の苦労を経て成長し続けるのです。苦労することに心理学的意味づけをしてみましょう。現実を再評価するなら、感情や行動はまったく変わります。労苦することから主観的成功を見出しましょう。世間が決める成功ではなく、自分が決める成功です。

V−淡々と受け止めて−14, Uテモテ4:11
 デマスとともに紹介されているルカは、デマスとは対照的です。14節。「愛する医者ルカ」と紹介されています。パウロから「愛するルカ」と言われているのです。どれほどの人物なのでしょう。ルカは、福音書と使徒の働きを記した有名な人ですが、コロサイ4:14, Uテモテ4:11,ピレモン1:24の3箇所しか記録されていません。ルカは、第2回伝道旅行の途中から参加し、パウロが囚人として護送される時も、そして今もずっと一緒です。使徒16:9。
 ルカは、医者としての名声や裕福な生活を捨てて、パウロの主治医となり、ずっとパウロの健康のための世話をするために、苦労し続けました。Uテモテ4:11を見れば、デマスがパウロを捨てて行った後でも、ルカだけはパウロと一緒にいたのです。パウロが最も大変な時に一緒にいてくれたのです。パウロは、生涯病気に悩まされていました。傷跡の痛みもありました。パウロの手紙を読むと、丈夫な人のように感じますが、実際に会ったら、弱々しい姿だったと言われています。Uコリント10:10。そんなパウロを医師としてその健康をずっと支え続けたのが、ルカでした。どれほど大変な労苦を必要としていたことでしょうか。
 では、ルカがずっと苦労し続けられたのは、どうしてなのでしょう。最期の瞬間までパウロと一緒に苦労して来られたのは、なぜでしょう。ルカの信仰の思いは、「私は神を愛するので、神を愛する者を愛して仕えます」ということでしょう。パウロのように神を愛する人はいません。だから、ルカはずっとパウロを愛して、苦労することができたのです。パウロに仕えることが、主に仕えることでした。だから、苦労し続けられました。
 それにしても、ルカは、目立たずに淡々と労苦を受け止めています。現代の精神科医の言う「ネガティブ・ケイパビリティ」を知っていたかのようです。最近の本では、「どうにも答えの出ない、対処しようのない事態に耐える力」と紹介されています。消極的な能力とは、何かができる能力ではなく、できない状況を受け止める能力とも言えます。不確実さに耐えながら、状況改善のための努力を重ねる力です。ショックな出来事や苦労を伴うことがあったとしても、時間が解決することもあるし、その先にはちょっとした成長や変化が待っているのかもしれないなどと受け止めるのです。そうして、心理的外傷後の成長もあります。
 苦労は何度もするでしょう。労苦は生涯尽きないでしょう。苦労は格闘するのではなくて、経験する苦労とどう向き合い、何を学ぶかです。何よりも、私たちは、イエス様を信じて救われているのですから、すべてを支配しておられる神様を信頼して、労苦しながら歩みます。マタイ6:33〜34。

 

コロサイ4:12 あなたがたの仲間のひとり、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。
4:13 私はあかしします。彼はあなたがたのために、またラオデキヤとヒエラポリスにいる人々のために、非常に苦労しています。
4:14 愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。



Uテモテ4:10 デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。
4:11 ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。

Tヨハネ2:16 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。

マタイ6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

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