2020年8月30日「栄枯盛衰」U列王記9:1〜37

序−人々は、歴史上の権力者について栄枯盛衰、盛者必衰のことわり通りだとよく分かっているのですが、現代の強欲な世の中にあっては、欲望に翻弄され、疲弊しています。聖書は、そんな社会で生きる私たちに対して、1つの王朝の終焉を通して大切な根本を教えています。

T−平安ですか、どうして平安でありえようか−12〜26
 北イスラエルは、神様に背を向け、罪を犯して行く悪い王様が多いのですが、とりわけ最も悪いのがアハブ、イゼベルの時代です。アハブ王は、フェニキヤのシドン王の娘イゼベルを妻に迎えます。このイゼベル王妃がバアルなどの偶像を持ち込み、偶像礼拝をイスラエル中に蔓延させました。多くの主の預言者、しもべたちを殺しました。ヨラム王もその父母の悪を引継ぎました。U列王3:2〜3。王たちは、権力をほしいままにふるい、悪を行い、栄華を享受します。欲を追求し、自己中心に生きる人間の姿は、いつの時代も変わらない人の罪の性質です。
 ついに、主なる神の裁きが下るようになります。この王朝を裁き、終わらせるために新しい王が立てられます。6〜7節。アラムと戦っていたエフー将軍です。預言者の油注ぎを受けたことを知った部下たちによって、エフーは王に推戴されました。12〜14節。これは、ヨラム王に対する謀反です。エフーは、すぐに宮殿で静養中のヨラム王を襲います。15〜16節。
 エフーは、急いで馬の戦車を走らせて、イズレエルの宮殿に向かいます。宮殿に近づくエフーと迎えるヨラムとの間で不思議なやり取りが繰り返されています。17〜22節。ヨラム王は、見張り所から近づく軍隊が見えると、使者を遣わしてご機嫌伺いをさせます。王に代わって「お元気ですか」と使者が尋ねると、エフーは、「元気かどうか、あなたの知ったことではない」と否定します。もう一度別な使者との間で繰り返され、3度目には王自身が「エフー元気か」と尋ねると、「何が元気か。イゼベルの姦淫と呪術が行われているかぎり」と否定します。3度とも、否定的な答えです。
 原文を見ると、「お元気ですか」と訳された単語は、シャローム「平安ですか」という挨拶の言葉です。王たちの悪行と偶像崇拝がなされているのに、「平安か」と言われれば、「平安なもんか」「どうして平安でありえようか」と答えるしかないのです。シャローム、シャロームの繰り返しです。どれほど平安が強調されているのでしょうか。平安は、人の最高の関心事です。大過なく、人生を平安に過ごせることが人の一番の望みでしょう。エフーは、偽りの平安に気付き、謀反を起こしました。
 今日も、欲望の資本主義と呼ばれる現代社会において、多くの人々が偽りの平安の中で翻弄され、偽りの平安を追い求めています。人々は、何かが起こると、それが偽りの平安であることに気付きます。私たちも、経験して来たことです。ヨラム王からすると、アラムとの戦いで負傷し休んでいるところに軍隊が近づいて来れば、勝利の報告かと期待し、「平安か」と尋ねさせたのでしょう。でも、一抹の不安もあったようです。20〜21節。戦車の運転の癖からエフーだと分かり、非常に乱暴な運転だと知ると、用心して戦車に乗って出迎えます。ヨラムは、平安でなかったのです。
 エフーの矢に打たれたヨラム王の体は、ナボテの所有地であった畑に投げ捨てられます。24〜26節。主の言葉通りになりました。この言葉は、イザベルの悪巧みによってナボテが殺され、そのぶどう園を奪った時、預言者エリヤを通して伝えられた裁きの言葉でした。T列王21:16〜19。このような悪行で築いた栄光は、偽りの平安です。それでは、決して平安にはなれません。いつか壊れてしまいます。誰もが自分の欲をまっとうさせようと、偽りの平安を求めて生きています。私たちは、どうでしょうか。
 私たちは、世が与える偽りの平安ではなくて、イエス様の救いが与えてくださる本当の平安をいただいて生きることができます。ヨハネ14:27。

U−最期まで虚栄心とプライドを−30〜37
 この王朝の偶像崇拝と悪行の中心人物は、イゼベルです。夫アハブ王が死んだ後も、権力を振るい、悪影響を及ぼし続けました。先ほどの22節を見てください。「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術とが盛んに行われているかぎり」と言われていました。イゼベルによる偶像崇拝と魔術が行われているかぎりは、イスラエルに平安はないというのです。
 息子ヨラム王が殺されたことを知ったイゼベルの様子は、どうでしょう。30〜31節。イゼベルは、目の縁を塗り、髪を結い直し、窓からエフーを見おろして、「元気かね。主君殺しのジムリ」と言ったというのです。大した度胸です。目の縁を塗り、髪を結い直すというのは、自分を整えて威厳を見せているのです。謀反人の将軍を前に、死を覚悟して威厳を保ち、プライドを見せています。この期に及んでの虚栄心です。虚勢を張るイゼベルは、最期の瞬間まで虚栄心とプライドのかたまりなのです。
 多くの人々が、虚栄心を満足させようと自分を誇示します。見栄を張って、本当でない自分を見せようとします。過大評価した自分像を作り出し、その自分像と周りの人が見る自分のギャップに気付きません。本当の自分を出すのを恐れることもあります。自分が優れていると認めてほしいという心理が強いので、何かと人の言うことにつっかかるのです。虚栄心を克服する方法は、肉のプライドを捨てて等身大の自分を受け入れることです。他の人のことを認め、素直に人をほめることです。主が自分を愛し、認めておられるのを知っているなら、できます。イザヤ43:4。
 イゼベルが「元気かね。主君殺しのジムリ」と言ったのも、虚勢を張っているのです。かつて謀反を起こして王となったジムリが7日天下で終わりました。ジムリを倒して王になったのが、アハブの父オムリです。イゼベルは、謀反人エフーがジムリのようになるとあざ笑って、侮辱しているのです。T列王16章。そうして、虚栄心を満足させています。最期まで罪を悔い改めることはありません。エフーの謀反が主の裁きであることを知りません。このようなイゼベルの姿を人事と片付けることはできません。私たちも自分の罪に気付かないこともあるでしょう。罪が示された時、謙遜に罪を認めて主の前に悔い改めるでしょうか。自分のプライドや体面にこだわり、最後まで自分を主張することがないでしょうか。
 結局、イゼベルは悲惨な最期を遂げます。仕えていた側近に突き落とされて、犬に荒らされてその死体は姿形がなくなってしまいます。32〜37節。これもまた、主の言葉通りとなりました。T列王21:23。

V−主に用いられて生きる−1〜16
 主に背を向けて、自己中心に罪の赴くまま生きた王たちの末路を学びましたが、私たちはどう生きるべきか、主に用いられたエフーの姿から学びましょう。エリシャに遣わされた若い預言者が、エフー将軍に王となる油注ぎをし、オムリ王朝に対する主の裁きを実行するように伝えます。1〜10節。新約時代に油注がれるとは、聖霊が臨むということです。Tヨハネ2:20,27。イエス様を信じた者に、聖霊が宿り、御言葉を思い起こさせてくれます。ヨハネ14:26、聖霊の油注ぎを受けると、御言葉通り行われることを信じるようになります。聖霊が臨むと力を受けて、主に用いられる者になります。
 主がエフーを選ばれたのは、適任だからです。ヨラム王は、アラムと戦って負傷してイズレエルに退きました。王がいなくなったら、戦場での司令官が絶大な権限を持つようになります。オムリ王朝をよく知っている人物です。周到に謀反を進めているのを見ても、適切な人選だったのです。15節。私たちも、今の仕事を主から委ねられているとして働き、先の働きも主が導いてくださると祈り備えます。Tコリント4:1〜2。
 この時、エフーだけが王となると言っても、同僚の将校たちが認めなければ、エフーを謀反人としてヨラム王に突き出すことさえありえます。慎重に預言者から聞いたことを伝えると、同僚たちはすぐさま彼を王に推戴します。時に適っていたのです。ヨラム王から彼らの心は離れ、エフーを信頼していたということです。人々に信頼されることも大切です。
 エフーは、よく御言葉を覚えており、御言葉どおりに行動した人です。25〜26節のナボテ事件は、20数年前の出来事です。エフーは、その時若い将校だったのでしょうが、主が預言者エリヤを通して言われたことを覚えていたのです。だからこの重大な任務を任されたのでしょう。私たちの生活の現場、職場や家庭、学校などにおいて、御言葉を覚えて最善を尽くして行くことを願います。そうしてこそ、主に用いられます。
 あなたを王とする油注ぎを受けたからと言って、すぐに王となれるわけではありません。主の召しと御言葉に従って王となるかは、エフーの決断によります。預言者が伝えた状況は、司令官会議の場ではありません。エフーと2人だけの場で、話しました。5〜6節。司令官たちに左右されないで、自分で決断できるようにということでした。私たちにも、御言葉を黙想し、祈って示されたなら、自分で決断することを主は求められます。
 最後に大事なことは、王たちを打つのはエフーなのですが、アハブ家を滅亡させたのは主だということです。アハブ家に復讐し、アハブ家を滅ぼすのは、「わたし」主がすると言われたのです。7〜8節。自分にはできない、そんな力はないと心配しないでください。私たちが御言葉に聞き従って、決断して事を行うならば、主が私たちを通して働かれます。ピリピ4:13。私たちを通して、神様が確かな大いなる働きをされることを願います。御言葉を聞き従うなら、いつまでも栄えることになります。ヨシュア1:8。



U列王記9:1 預言者エリシャは預言者のともがらのひとりを呼んで言った。「腰に帯を引き締め、手にこの油のつぼを持って、ラモテ・ギルアデに行きなさい。
9:2 そこに行ったら、ニムシの子ヨシャパテの子エフーを見つけ、家に入って、その同僚たちの中から彼を立たせ、奥の間に連れて行き、
9:3 油のつぼを取って、彼の頭の上に油をそそいで言いなさい。『【主】はこう仰せられる。わたしはあなたに油をそそいでイスラエルの王とする。』それから、戸をあけて、ぐずぐずしていないで逃げなさい。」
9:4 そこで、その若い者、預言者に仕える若い者は、ラモテ・ギルアデに行った。
9:5 彼が来てみると、ちょうど、将校たちが会議中であった。彼は言った。「隊長。あなたに申し上げることがあります。」エフーは言った。「このわれわれのうちのだれにか。」若い者は、「隊長。あなたにです」と答えた。
9:6 エフーは立って、家に入った。そこで若い者は油をエフーの頭にそそいで言った。「イスラエルの神、【主】は、こう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、【主】の民イスラエルの王とする。
9:7 あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流された【主】のすべてのしもべたちの血の復讐をする。
9:8 それでアハブの家はことごとく滅びうせる。わたしは、アハブに属する小わっぱから奴隷や自由の者に至るまでを、イスラエルで断ち滅ぼし、
9:9 アハブの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バシャの家のようにする。
9:10 犬がイズレエルの地所でイゼベルを食らい、だれも彼女を葬る者がいない。』」こう言って彼は戸をあけて逃げた。
9:11 エフーが彼の主君の家来たちのところに出て来ると、ひとりが彼に尋ねた。「何事もなかったのですか。あの気の狂った者は何のために来たのですか。」すると、エフーは彼らに答えた。「あなたがたは、あの男も、あの男の言ったことも知っているはずだ。」
9:12 彼らは言った。「あなたは偽っている。われわれに教えてくれ。」そこで、彼は答えた。「あの男は私にこんなことを言った。『【主】はこう仰せられる。わたしはあなたに油をそそいでイスラエルの王とする』と。」
9:13 すると、彼らは大急ぎで、みな自分の上着を脱ぎ、入口の階段の彼の足もとに敷き、角笛を吹き鳴らして、「エフーは王である」と言った。
9:14 こうして、ニムシの子ヨシャパテの子エフーは、ヨラムに対して謀反を起こした。──ヨラムは全イスラエルを率いて、ラモテ・ギルアデでアラムの王ハザエルを防いだが、
9:15 ヨラム王は、アラムの王ハザエルと戦ったときにアラム人に負わされた傷をいやすため、イズレエルに帰って来ていた──エフーは言った。「もし、これがあなたがたの本心であれば、だれもこの町からのがれ出て、イズレエルに知らせに行ってはならない。」
9:16 それから、エフーは車に乗って、イズレエルへ行った。ヨラムがそこで床についており、ユダの王アハズヤもヨラムを見舞いに下っていたからである。
9:17 イズレエルのやぐらの上に、ひとりの見張りが立っていたが、エフーの軍勢がやって来るのを見て、「軍勢が見える」と言った。ヨラムは、「騎兵ひとりを選んで彼らを迎えにやり、お元気ですかと、尋ねさせなさい」と言った。
9:18 そこで、騎兵は彼を迎えに行って言った。「王が、お元気ですかと尋ねておられます。」エフーは言った。「元気かどうか、あなたの知ったことではない。私のうしろについて来い。」一方、見張りは報告して言った。「使者は彼らのところに着きましたが、帰って来ません。」
9:19 そこでヨラムは、もうひとりの騎兵を送った。彼は彼らのところに行って言った。「王が、お元気ですかと尋ねておられます。」すると、エフーは言った。「元気かどうか、あなたの知ったことではない。私のうしろについて来い。」
9:20 見張りはまた、報告して言った。「あれは彼らのところに着きましたが、帰って来ません。しかし、車の御し方は、ニムシの子エフーの御し方に似ています。気が狂ったように御しています。」
9:21 ヨラムは、「馬をつけよ」と命じた。馬を戦車につけると、イスラエルの王ヨラムとユダの王アハズヤは、おのおの自分の戦車に乗って出て行き、エフーを迎えに出て行った。彼らはイズレエル人ナボテの所有地で彼に出会った。
9:22 ヨラムはエフーを見ると、「エフー。元気か」と尋ねた。エフーは答えた。「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術とが盛んに行われているかぎり。」
9:23 それでヨラムは手綱を返して逃げ、アハズヤに、「アハズヤ。悪巧みだ」と叫んだ。
9:24 エフーは弓を力いっぱい引き絞り、ヨラムの両肩の間を射た。矢は彼の心臓を射抜いたので、彼は車の中にくずおれた。
9:25 エフーは侍従のビデカルに命じた。「これを運んで行き、イズレエル人ナボテの所有地であった畑に投げ捨てよ。私とあなたが馬に乗って彼の父アハブのあとに並んで従って行ったとき、【主】が彼にこの宣告を下されたことを思い出すがよい。

9:30 エフーがイズレエルに来たとき、イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直し、窓から見おろしていた。
9:31 エフーが門に入って来たので、彼女は、「元気かね。主君殺しのジムリ」と言った。
9:32 彼は窓を見上げて、「だれか私にくみする者はいないか。だれかいないか」と言った。二、三人の宦官が彼を見おろしていたので、
9:33 彼が、「その女を突き落とせ」と言うと、彼らは彼女を突き落とした。それで彼女の血は壁や馬にはねかかった。エフーは彼女を踏みつけた。
9:34 彼は内に入って飲み食いし、それから言った。「あののろわれた女を見に行って、彼女を葬ってやれ。あれは王の娘だから。」
9:35 彼らが彼女を葬りに行ってみると、彼女の頭蓋骨と両足と両方の手首しか残っていなかったので、
9:36 帰って来て、エフーにこのことを知らせた。すると、エフーは言った。「これは、【主】がそのしもべティシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。『イズレエルの地所で犬どもがイゼベルの肉を食らい、
9:37 イゼベルの死体は、イズレエルの地所で畑の上にまかれた肥やしのようになり、だれも、これがイゼベルだと言えなくなる。』」



ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

Tヨハネ2:20 あなたがたには聖なる方からのそそぎの油があるので、だれでも知識を持っています。
2:27 あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。

ヨシュア1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。

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