2020年9月20日「メンターがいる間は」U列王記12:1〜21

序−企業や教育機関で用いられるメンター制度は、助言や相談を通して社員や学生を育成する制度で、それを担う人をメンターと言います。そのメンターの語源は、古代ギリシャの長編叙事詩「オデュッセイア」に登場するメントールという人物です。彼が、オデュッセウス王の王子の良き指導者、良き理解者、良き支援者としての役割を果たしたからです。列王記のヨアシュ王にも、人生を左右するメンターいました。

T−メンターがいる間は−1〜3
 ヨアシュ王のメンターは、祭司エホヤダです。赤ちゃんの時からヨアシュを守り、養い育てました。7歳の時にヨアシュを王に立て、生涯王を助け続けた人です。1〜2節。ヨアシュの母は貴族でもない地方出身であったようです。他に王族がいれば、とうてい王にはなれなかった人ですが、ひとえに祭司エホヤダの支援によって王位に上ることができました。南ユダ王国の王としての政治の相談はもちろん、御言葉を教え、信仰を導いてくれました。祭司エホヤダは、まさにヨアシュ王の相談相手、助言者でした。メンターでした。
 しかし、「ただし高き所を取り除かなかった」と説明されています。3節。神殿が作られるまでは、高き所でいけにえと香がささげられていました。神殿において犠牲がささげられる時は、あなたがたは死ぬべき罪人だと叫ばれ、自分たちの罪の身代わりとしての犠牲だという強烈な印象がありました。高き所ではそんな思いはなく、自己満足のための礼拝でした。現代で言えば、福音がない信仰、イエス様の十字架が希薄な信仰と言えるでしょう。彼の信仰には危うさがあったということです。
 親兄弟が皆殺しされた中で生き残って、王位まで上ったことは、ただ主の恵みでした。主の恵みを忘れないで主の御心に従い、国を治めるべきでしたが、ヨアシュの人生は、恵みで始まり、肉で終わることになります。
 そんなヨアシュ王の人生を端的にあらわしている表現があります。2節。「祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、主の目にかなうことを行った」ということです。メンターであるエホヤダの指導や助言がある時には、主の目にかなうことを行ったが、メンターがいない時には、そうではなかったというのです。
 私たちも、誰の指導や助言を受けるかによって、的確に仕事ができ、正しい信仰に歩むことができます。特に、私たちが未熟である時には、メンターの存在が重要です。仕事でのメンターがいますか。信仰のメンターは誰ですか。現代は、昔のように部下が上司から命令され叱かれて仕事を覚えて行くという時代ではなく、仕事の内容だけでなく、メンタルの面まで指導や助言を行い、相談に乗って行くメンターが必要とされています。メンターという制度や名前がなくても、メンターの役割をしてくれている人が、私たちの周りにもいるでしょう。ぜひ、メンターの役割をしてくれる人を意識して、役立てたいものです。
 問題は、メンターがいる時は、その指導や助言を得て、相談に乗ってもらうことでよく働くことができ、精神面も支えられるが、メンターがいない時は、それがないということです。ヨアシュ王のメンターであったエホヤダは、主の前に正しい人でした。ですから、彼の指導や助言がある時には、ヨアシュ王は主の前に正しいことを行い、活躍することができました。

U−心の修理を−4〜16
 ヨアシュ王がその治世において最も力を入れたのは、神殿の修理です。祭司たちに神殿の修理を指示しました。4〜6節。ソロモンが神殿を建ててから140年ほど経ち、劣化して崩壊する所もありました。アタルヤの悪政の間は、神殿は顧みられることなく、破壊されることもあり、荒れ放題でした。そこで、ヨアシュは、宮を新しくすることを志して、神殿の修理を命令しました。民が望んでいたことでしょう。
 ところが、はじめはうまく進みませんでした。それで、直接祭司たちを呼んで、再び神殿の修理を命令しました。7〜16節。最初失敗したのは、資金集めの難しさにあったようです。ですから、資金調達や使い方まで命令しています。祭司たちは修理の責任から外され、専門家たちに委ねられました。資金が修理をする者たちにきちんと渡され、修理はスムーズに行われました。また、このために祭司の生活に支障の出ないようにもされました。ヨアシュ王の行政手腕が発揮されました。
 こうして、一大プロジェクトが行われ、神殿修理が完成しました。ヨアシュ王は、ソロモン王の神殿建設以来の大事業を果たすことができました。祭司エホヤダと共にこの世紀の大事業をやり遂げました。エホヤダというメンターがいる時は、すばらしい働きをなすことができました。
 しかし、高き所をそのままにして神殿を修理したのは、民を正しい信仰に導くためではありませんでした。言わば、国民受けする事業として行ったということです。神殿を表だけきれいにしたに過ぎません。その心が修理されないなら、本当の神殿修理とは言えないでしょう。
 私たちは、イエス様の十字架の犠牲が自分の罪と滅びの身代わりだと信じて救われ、新しく造り変えられた者です。Uコリント5:17。そして、御言葉の養いと主の導きによって、イエス様に似た者になるまで成長し、造り変えられて行く者です。エペソ4:13,15。私たちも、それを意識して願う時に、造り変えられ、霊的に成長して行きます。
 ですから、主なる神様は、私たちに心の修理を求めておられます。御言葉は、私たちの罪や誤りを指摘し、悔い改めと直しを求めます。聖徒たちが御言葉を聞く理由も、自分の間違いに気付き、直すべきことが何かを知るためです。
 もし御言葉を聞いても、自分の修理すべきことを知ることがなければ、主が自分に望んでおられることに気付くことがなければ、退屈な話を聞いたに過ぎなくなります。はたして、私たちは、自分の人生が神の御心に沿うものとなり、主に喜ばれることを望んでいるのでしょうか。御言葉を聞いて、自分に必要な成長は分かった、自分の修理すべき所も理解したならば、修理する必要があります。
 何と、イエス様を信じて救われた私たちは、神の御霊が宿っている神の神殿だと宣言されています。Tコリント3:16〜17。神殿で民の罪のために犠牲がささげられたように、私たちの救いのために、神の御子イエス・キリストが犠牲として十字架に渡されました。ですから、神殿の修理は、私たち自身の心の修理を意味していたのです。気付いて修理されるために、信仰のメンターも必要です。

V−メンターがいなくなって−17〜21, U歴代24:17〜21
 メンターがいなくなったらどうなるのでしょう。メンターがいないとどんな危険があるのでしょう。祭司エホヤダがいなくなって、教えや助言がなくなったら、ヨアシュ王はどうなりましたか。祭司エホヤダが死んだ後、どんなことが起こったのでしょうか。U歴代24:17〜21。祭司エホヤダがいなくなると、高官たちが擦り寄って来て、ヨアシュを持ち上げたので、王は彼らの言うことを聞きました。主の宮を捨てて、偶像に仕えるようになりました。主が悔い改めを求めて預言者たちを遣わしても、耳を貸しませんでした。最後には、エホヤダの息子ゼカリヤを遣わしても、陰謀を企てて殺してしまいました。
 何ということでしょうか。「あなたがたが主を捨てたので、主もあなたがたを捨てられた」というゼカリヤの言葉が響きます。17節以降は、エホヤダが死んだ後の出来事です。アラム王ハザエルがエルサレムを目ざして攻め上って来たので、ヨアシュは、宮や王宮のすべての金をハザエルが送って、アラム軍を引き上げてもらいました。17〜18節。あの神殿の修理は何だったのか、民がささげた金は何のためだったのか。裏切られ、怒った者たちによって、ヨアシュ王は殺されてしまいます。20節。
 どうしてこんなことに。「エホヤダが死んで後」つまり、メンターがいなくなったからです。神殿の大修理という世紀の事業を成し遂げたにもかかわらず、不信仰な高官の言いなりになって、罪を重ね、主から離れたからです。エホヤダが死んだ後は、ゼカリヤをメンターにすべきでした。私たちも、メンターが必要だと思ったら、メンターを探し求めましょう。
 ヨアシュの人生は、メンターがいる時といない時の変化の大きさを教えています。40年に亘って王国を治め、神殿修理の大事業を成し遂げた彼の生涯は、メンターがいることの大切さを教えています。その後の惨状は、メンターのいないことがどれほど危険であるかを教えてくれます。テモテのメンターであったパウロは、主を呼び求める人々との交わりが必要であると教えています。Uテモテ2:22。信仰の友と交わりを持ち、互いの心の状態や問題を分かち合い、互いのためにメンターとなることもできます。
 企業などでのメンターの役割は、上司とは別の先輩が、メンティである社員の業務の支援や仕事上のメンタル面をサポートし、人材を育成して行くことです。信仰のメンターも同じです。メンターの支援を受ける聖徒が、御言葉によって養われ、祈りや黙想を通して主と交わり、霊的に造り変えられ、信仰が成長するように助けるのがメンターの役割です。そして、すべての聖徒たちのために、主がメンターとなられます。詩篇119:24。主との交わり、主の御言葉こそ、私たちの相談相手です。



U列王記12:1 ヨアシュはエフーの第七年に王となり、エルサレムで四十年間、王であった。彼の母の名はツィブヤといい、ベエル・シェバの出であった。
12:2 ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、【主】の目にかなうことを行った。
12:3 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。
12:4 ヨアシュは祭司たちに言った。「【主】の宮にささげられる聖別されたすべての金、すなわち、各人に割り当てを課せられた金や、自発的に【主】の宮にささげられるすべての金は、
12:5 祭司たちが、めいめい自分の担当する者から受け取り、宮のどこかが破損していれば、その破損の修理にそれを当てなければならない。」
12:6 しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは宮の破損を修理しなかった。
12:7 それでヨアシュ王は、祭司エホヤダと、祭司たちを呼んで彼らに言った。「なぜ、宮の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。宮の破損に、それを当てなければならないから。」
12:8 祭司たちは、民から金を受け取らないことと、宮の破損の修理の責任を持たないこととに同意した。
12:9 祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴をあけ、それを祭壇のわき、【主】の宮の入口の右側に置いた。入口を守る祭司たちは、【主】の宮に納められる金をみな、そこに置いた。
12:10 箱の中に金が多くなるのを見て、王の書記と大祭司は、上って来て、それを袋に入れ、【主】の宮に納められている金を計算した。
12:11 こうして、勘定された金は、【主】の宮で工事をしている監督者たちの手に渡された。彼らはそれを【主】の宮で働く木工や建築師たち、
12:12 石工や石切り工たちに支払い、また、【主】の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、宮の修理のための出費全部のために支払った。
12:13 ただし、【主】の宮に納められる金で、【主】の宮のために銀の皿、心切りばさみ、鉢、ラッパなど、すべての金の器、銀の器を作ることはなかった。
12:14 ただ、これを工事する者に渡し、これを【主】の宮の修理に当てた。
12:15 また、工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしなかった。彼らが忠実に働いていたからである。
12:16 0 罪過のためのいけにえの金と、罪のためのいけにえの金とは、【主】の宮に納められず、祭司たちのものとなった。
12:17 そのとき、アラムの王ハザエルが上って来てガテを攻め、これを取った。それから、ハザエルはエルサレムを目ざして攻め上った。
12:18 それでユダの王ヨアシュは、自分の先祖であるユダの王ヨシャパテ、ヨラム、アハズヤが聖別してささげたすべての物、および自分自身が聖別してささげた物、【主】の宮と王宮との宝物倉にあるすべての金を取って、アラムの王ハザエルに送ったので、ハザエルはエルサレムから去って行った。
12:19 ヨアシュのその他の業績、彼の行ったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
12:20 ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをミロの家で打ち殺した。
12:21 彼の家来シムアテの子ヨザバデとショメルの子エホザバデが彼を打った。それで彼は死んだ。人々は彼をダビデの町に先祖たちといっしょに葬った。彼の子アマツヤが代わって王となった。



エペソ4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

Tコリント3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
3:17 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。

U歴代24:17 エホヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた。
24:18 彼らはその父祖の神、【主】の宮を捨て、アシェラと偶像に仕えたので、彼らのこの罪過のため、御怒りがユダとエルサレムの上に下った。
24:19 主は、彼らを【主】に立ち返らせようと預言者たちを彼らの中に遣わし、預言者たちは彼らを戒めたが、彼らは耳を貸さなかった。
24:20 神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤを捕らえたので、彼は民よりも高い所に立って、彼らにこう言った。「神はこう仰せられる。『あなたがたは、なぜ、【主】の命令を犯して、繁栄を取り逃がすのか。』あなたがたが【主】を捨てたので、主もあなたがたを捨てられた。」
24:21 ところが、彼らは彼に対して陰謀を企て、【主】の宮の庭で、王の命令により、彼を石で打ち殺した。

Uテモテ2:22 それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。

詩篇119:24 まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。

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