2020年10月11日「主の前に自分の道を確かに」U列王記15:1〜38

序−信仰って何だろう?ご利益信仰ではないのですか。聖徒たちも、恵みや祝福を求めるでしょう。世では悪者が栄えているのに、信じている者がなぜ苦しみや苦難に会うの。繁栄していれば、それでいいのでは。そんな惑わしや戸惑いがあります。聖書に出て来る王たちの姿から学びます。

T−罪人をあわれんでくださる主−8〜31
 まず悪い王様の姿から見てみましょう。8〜31節。いずれも、共通していることは、「主の目の前に悪を行った」ということです。そして、皆次々と殺されています。ゼカリヤは王になってから6ヶ月で、家来のシャルムによって殺されました。父ヤロブアムUの時、空前の繁栄を見ましたが、息子の代でエフー王朝は4代で断絶することになります。御言葉の通りです。次に王になったシャルムは、1ヶ月でメナヘムによって殺され、メナヘムは、直ぐに従わなかった町の人々を残虐に殺しました。その息子ペカフヤは、側近のペカによって殺され、このペカをホセアが殺し、最後の王となります。30節。ホセア王の7年目に、アッシリヤが攻め込んで来てサマリアが陥落し、北イスラエルは滅亡することになります。
これらの王たちの時代は、次々と謀反によって王位を奪うということが繰り返されました。現代でも、権力者の権力争いは熾烈です。この時代、北イスラエルは大変繁栄していました。しかし、国が繁栄するに従って罪が増大し、社会は衰退へと向かいました。バブル時代です。人間の欲望が荒れ狂った時代でした。
その時代の預言者の伝える言葉を聞きましょう。「主を求めて生きよ。さもないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下り、これを焼き尽くす」アモス5:6。「正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ」ホセア10:12。そして、「どうしてあなたを見捨てることができようか。どうして引き渡すことができようか。わたしはあわれみで胸が熱くなっている」と言われたのに、悔い改めませんでした。ホセア11:8。この時代、預言者が多く活動し、御言葉も多く聞くことができました。「あなたの神、主に立ち返れ」言われたのに、主に立ち返りませんでした。ホセア14:1。欲望が渦巻き、崩れて行く世に望みを置いてはいけません。その中でイエス様の十字架に頼って、望みをもって生きます。
 私たちは、これらの悪い王を見ると、自分は彼らとは違う、関係ないとスルーするでしょう。ニュースに登場する悪い人を見ても、第三者として見るでしょう。自分が神の前に罪人であることは知っているが、残酷で邪悪な人々とは違うと考えます。しかし、聖書は行動の違いについて罪の質を問いません。聖書の言う裁きは、罪の軽重によるのではなく、罪と義を区別するためです。神の前には同じ罪人なのです。主に立ち返って、悔い改めて、救っていただき、罪赦される者なのです。
時代や環境は違うので、彼らのような悪い行動はないにしても、罪の性質は同じです。謀反が権力への欲望なら、誰にも力への欲があります。現実には権力など持てないだけで、偉くなったり、力を振るったりしたい欲はあります。自分に対抗したり、反対する人がいたら、憤慨したり、報復したくなりませんか。自分が誰かを批判したり、悪く言ったりしたら、聞く人はどうなりますか。人を踏みつけていることになりませんか。
 そのような私たちの罪を赦すために、救い主イエス様は来られたのです。私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかかられたのです。罪人にとって、こんな救いの恵みがどれほど貴重なことでしょうか。私たちをあわれんでくださった主、慈愛に満ちた神様がどんなにありがたいことか。

U−預言者の存命中は神を求めたアマツヤ−1〜7、U歴代26:5〜19
 一方、南ユダ王国の王は、どうでしょう。1〜5節。北イスラエルの王たちとは違って、「主の目にかなうことを行った」というのです。信仰に生きた王だということです。アザルヤは、何と52年間も王位にありました。しかし、「主が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔ての家に住んだ」とあります。どうしてでしょう。
 歴代誌を参照しましょう。U歴代26:5。「彼は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が主を求めていた間、神は彼を栄えさせた」ということです。この時代、南王国も、空前の繁栄を迎えました。U歴代26:6〜15。領土が拡張され、ダビデ、ソロモン王時代を回復しました。様々な工事が行われ、農業振興が行われ、経済も豊かになりました。新しい武器が開発され、国防も強められました。アザルヤすなわちウジヤ王の名声は、遠くまで及びました。
 素晴らしい業績です。ただし、お願いしたためのご利益というより、王が主を求め、主の目にかなうことをしたから、主が栄えさせてくださったのです。主を求めるというのは、主を信頼し、主に拠り頼むということです。だからこそ、主に助けられて、このように繁栄することができました。ご利益信仰の場合は、勝手なお願いをするだけです。主の目にかなうことをするわけでもなく、主を信頼するわけでもありません。自分の願ったようにならなければ、すぐに背を向けてしまいます。
 このような素晴らしいウジヤ王の信仰にも危うさがありました。U歴代26:5。「ゼカリヤの存命中は、神を求めた」ということは、主を認めて聞き従うようにと教えてくれた預言者ゼカリヤがいなくなったら、神を求めず、御言葉にも聞き従わなくなるということです。はたして、ゼカリヤが死んでいなくなると、その繁栄は自分の力によると勘違いし、高慢になりました。U歴代26:16〜19。
 そして、祭司以外にはしてはならないことを自分でしようとして、ツァラトに罹って、隔離されてしまいました。これは、高慢になったウジヤ王が神様を無視し、不信の罪を犯したということです。残念な姿です。「神を認めることをしなくなった」のです。神を認めるということは、神を恐れることです。信仰のメンターや信仰の友が助けて、導いてくれるのは、その人が神様にしっかりつながって、主を信頼して生きるためです。信仰の先輩の助けや導きは、自分がいなくても、その人が信仰を確かに生きてくれることを願ってのことです。その願いに応えたいのです。

V−主の前に自分の道を確かなものとしたヨタム−32〜38、U歴代27:2〜6
 隔離されたウジヤ王に代わって、息子のヨタムが王となりました。U歴代26:21。ヨタム王については、今日の箇所では、32〜38節です。ヨタムも、父ウジヤが行ったように、主の目にかなうことを行いました。主の宮の門を建て、神殿の修理をしました。U歴代27:2〜6を見れば、ユダ山地に町々を建て、森林地帯には堅固な城壁とやぐらを築き、アモンと戦って勝利しました。その信仰のゆえに繁栄するようになりました。
 そして、主の神殿に入るようなことはしませんでした。父のような間違いはしなかったということです。これはひとえに母と祖父の信仰教育の影響でしょう。王の母は祭司ツァドクの娘でした。母や祖父から御言葉を聞き、信仰の助けや導きを受けたことでしょう。特に神殿に関しては、ヨタム王の信仰が反映されています。
 それなのに、今日の37節には、「主はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカをユダに送って、これを攻め始めておられた」とあります。これは、おかしいのではないですか。主の目にかなうことをしていたのは、ヨタムの方です。ペカは、謀反を起こして王となり、主の目に悪を行った人です。高き所を取り除けなかったからなのですか。でも、なぜこんな悪い王を使って南ユダを攻撃させるのですか。信仰しているのに、どうしてそんなことが起こるのでしょう。信仰していたことは無駄なのですか。そんな疑念も起きるかもしれません。
 前にハバクク書を通して学んだように、「なぜ悪者が正しい人を攻撃するのをながめておられるのですか。悪者が正しい者を飲み込むのに、神はなぜ黙っておられるのですか」という訴えは、私たちの思いでもあります。ハバクク1:3〜4,13。その答えは、「正しい人はその信仰によって生きる」でした。ハバクク2:3〜4。やがて事がはっきりする時が来るから、信仰に生きる正しい人は、主を信じて待つというのです。
 確かに不条理だ、どうして私がこんな目にということがあります。しかし、主の約束を信じて、信仰に生きなさいと聖書は言うのです。ご利益信仰ならば、酷い目に会うなら、神に背を向けて、絶望してしまうでしょう。しかし、信仰に生きる義人は、落胆しないのです。神の子どもだから、懲らしめを受ける時もあるのです。ヘブル12:5〜7。どうして私が、なぜこんな目にと思う時、罪なく十字架に犠牲となられたイエス様を思いましょう。
 U歴代27:6には、「ヨタムが、彼の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである」とあります。私たちは、一時期の環境に左右されないで、主を信じて、自分の道を主の前に確かなものとして行きたいと願います。神を信じる者は、世にあってどんな存在であることが必要なのですか。神との関係から離れないで生きる存在です。私たちが神との関係にあるなら、イエス様の救いによって神の民としていただいた恵みを感謝するのです。平安な者だけが神を考え、感謝し、天国の望むのではなく、痛みを伴う人生であっても、神を考え、イエス様の救いを思い、御国を目指して歩むのです。十字架によって与えられた恵みを思うだけでも、自分の道を主の前に確かなものとすることができます。詩篇90:17。



U列王記15:1 イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。
15:2 彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレムの出であった。
15:3 彼はすべて父アマツヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。
15:4 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。
15:5 【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔ての家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、この国の人々をさばいていた。
15:6 アザルヤのその他の業績、彼の行ったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
15:7 アザルヤが彼の先祖たちとともに眠ったとき、人々は彼をダビデの町に先祖たちといっしょに葬った。彼の子ヨタムが代わって王となった。
15:8 ユダの王アザルヤの第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカリヤがサマリヤでイスラエルの王となり、六か月間、王であった。
15:9 彼は先祖たちがしたように、【主】の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れなかった。
15:10 ヤベシュの子シャルムは、彼に対して謀反を企て、民の前で彼を打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。
15:11 ゼカリヤのその他の業績は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。
15:12 【主】がかつてエフーに告げて仰せられたことばは、「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」ということであったが、はたして、そのとおりになった。

15:32 イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。
15:33 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼の母の名はエルシャといい、ツァドクの娘であった。
15:34 彼は、すべて父ウジヤが行ったとおり、【主】の目にかなうことを行った。
15:35 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。彼は【主】の宮の上の門を建てた。
15:36 ヨタムの行ったその他の業績、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
15:37 そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカをユダに送って、これを攻め始めておられた。
15:38 ヨタムは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともにその父ダビデの町に葬られた。彼の子アハズが代わって王となった。



アモス5:6 【主】を求めて生きよ。さもないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下り、これを焼き尽くし、ベテルのためにこれを消す者がいなくなる。

ホセア10:12 あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、【主】を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。

ホセア11:8 エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか。どうしてわたしはあなたをアデマのように引き渡すことができようか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができようか。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。

ホセア14:1 イスラエルよ。あなたの神、【主】に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。

U歴代26:5 彼は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が【主】を求めていた間、神は彼を栄えさせた。
26:6 彼は出陣してペリシテ人と戦ったとき、ガテの城壁、ヤブネの城壁、アシュドデの城壁を打ちこわし、アシュドデの中の、ペリシテ人たちの間に、町々を築いた。
26:7 神は彼を助けて、ペリシテ人、グル・バアルに住むアラビヤ人、メウニム人に立ち向かわせた。
26:8 アモン人はウジヤのもとにみつぎものを納めた。こうして、彼の名はエジプトの入口にまで届いた。その勢力が並みはずれて強くなったからである。

26:16 しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、【主】に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして【主】の神殿に入った。
26:17 すると彼のあとから、祭司アザルヤが、【主】に仕える八十人の有力な祭司たちとともに入って来た。
26:18 彼らはウジヤ王の前に立ちふさがって、彼に言った。「ウジヤよ。【主】に香をたくのはあなたのすることではありません。香をたくのは、聖別された祭司たち、アロンの子らのすることです。聖所から出てください。あなたは不信の罪を犯したのです。あなたには神である【主】の誉れは与えられません。」
26:19 ウジヤは激しく怒って、手に香炉を取って香をたこうとした。彼が祭司たちに対して激しい怒りをいだいたとき、その祭司たちの前、【主】の神殿の中、香の壇のかたわらで、突然、彼の額にツァラアトが現れた。

U歴代27:2 彼はすべて、【主】の目にかなうことを行った。父ウジヤが行ったとおりである。ただし、彼は、【主】の神殿に入るようなことはしなかった。民はなお滅びに向かっていた。
27:3 彼は【主】の宮の上の門を建てた。また、オフェルの城壁上に、多くのものを建てた。
27:4 彼はユダの山地に町々を建て、森林地帯には城塞とやぐらを築いた。
27:5 彼はアモン人の王と戦い、彼らに打ち勝ったので、アモン人は、その年に、銀百タラント、小麦一万コル、大麦一万コルを彼に贈った。アモン人はこれだけのものを彼に納めた。第二年にも第三年にも同様にした。
27:6 このように、ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、彼の神、【主】の前に、自分の道を確かなものとしたからである。

ハバクク1:3 なぜ、あなたは私に、わざわいを見させ、労苦をながめておられるのですか。暴行と暴虐は私の前にあり、闘争があり、争いが起こっています。
1:4 それゆえ、律法は眠り、さばきはいつまでも行われません。悪者が正しい人を取り囲み、さばきが曲げて行われています。
1:13 あなたの目はあまりきよくて、悪を見ず、労苦に目を留めることができないのでしょう。なぜ、裏切り者をながめておられるのですか。悪者が自分より正しい者をのみこむとき、なぜ黙っておられるのですか。

ハバクク2:3 この幻は、定めの時について証言しており、終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。
2:4 見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。

詩篇90:17 私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。

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