2020年12月13日「過越の小羊」U列王記23:1〜30

序−努力しても成果がなければ駄目だ、失敗だと言われます。果たしてそうなのでしょうか。人々は、間違った成果主義にとらわれていると言われています。発見された律法の書を聞いて衝撃を受けたヨシヤ王は、努力して、信仰の改革を推し進めますが、その結果はどうなのでしょうか

T−心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしたが−1〜20,25
 私たちは、仕事や生活において責任やビジョンを与えられたならば、それを成し遂げようと努力するでしょう。発見された律法の書を聞いて衝撃を受けて、悔い改めたヨシヤ王、主の御心から遠く離れた惨状を知って、何とかしなければと思いました。そこで、今度は、指導者たちや民を集めて、律法の書を聞かせます。1〜3節。契約を守り行うように強調しました。
 自ら国民の前で、主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして、御言葉を守り、主との契約を実行することを誓いました。3節。そして、民もみな、この契約に加わらせました。律法の書を聞いた時のヨシヤの衝撃がここまで王を動かしたのです。自分の時代は、人々が信仰に生きていないのだということが分かったからです。民が御言葉に基づいて生きるように勧め、王国が霊的に新たになることを願ったわけです。
 4節以降は、ヨシヤ王が推進した改革の具体的な内容が列挙されています。神殿の中にあった偶像とそれらのために使用していたすべての器具を除きました。4〜7節。忌むべき偶像礼拝をやめさせ、そうした所を取り除かせました。8〜14節。さらには、滅びてしまった北イスラエルまで行って、偶像を取り除きました。15〜20節。私たちが、あれもこれも取り組み、どれについても頑張り、懸命に努力しているというような姿です。
しかし、信仰の改革に励んでいるヨシヤ王の熱心と頑張りが伝わって来ますが、どれほど民は偶像崇拝に浸りきっていたのかということも分かります。ヨシヤ王は、御言葉を聞いて衝撃を受け、衣を裂いて、涙を流し、悔い改めて、民にも御言葉を読み聞かせたけれども、民は悔い改めませんでした。王の力で家来や民を動員したけれども、渋々仕方なく集まったのでしょう。王に命令に従って偶像を取り除いただけのようです。
 私たちが、仕事や生活の現場において与えられた責任や役割を、頑張って成し遂げようとするのですが、周りはそれに乗って来ない、協力してくれない、その働きを評価してくれないということがあります。何か自分ばかり空回りしているように思え、辛くなって来ます。やめてしまいたいと思うようになるでしょう。ヨシヤ王はどうでしょうか。
 偶像を取り除くために北イルラエルのベテルに行った時のエピソードが17節にあります。かつて北イスラエルの初代ヤロブアム王がベテルで偶像崇拝を始めた時、一人の預言者が、やがてダビデの家に生まれるヨシヤという人がこの偶像の祭壇を取り除くようになると預言したという話です。T列王13:1〜2。それを記念した墓を見つけたのです。そういう使命を果たした名も無い預言者のことを知って、自分も主の御心通りにしていると心強くしたことでしょう。信仰者にとって、人の評価より主の評価が大事です。御言葉の導き、主からの使命感が、信仰者を動かしてくれます。

U−それにもかかわらず−21〜26
 ですから、民がそのようであっても、ヨシヤはそこで失望も挫折もしませんでした。北イスラエルから帰って来てから、過越の祭りの復興を計画します。21節。ヨシヤ王は、律法の書を契約の書と呼んでいます。2〜3節。その意味は、神様が律法の書を与えられたのは、主との契約を行わせることでした。その契約の中心が、過越です。
 過越とは、先祖が奴隷の境遇であったエジプトから救い出されたことを記念する重要な行事でした。出エジプト12:1〜24。小羊の血を家の門柱と鴨居に塗った家は滅びが過ぎ越され、エジプトを脱出することができました。過越の行事を守ることが神の民の生きる道でした。本格的に過越の祭りを行いました。U歴代35:1〜18。22節にあるように、士師の時代からその時まで、このように過越の祭りが行われたことはなかったほどでした。
 どうしてこれほどまで、過越のイベントを行ったのでしょう。過越については、必ず子々孫々にわたって守り、行わなければならないと繰り返し命じていたからです。出エジプト12:14,17,24。小羊の犠牲によって主の民を救い出されたという主の愛とあわれみを覚えるためでした。しかし、民はその恵みを忘れて、偶像を拝んでいたからです。
 そして、この過越が、イエス様による救いをあらわしたものだからです。私たちの救い主イエス様が、この過越の小羊です。ヨハネ1:29。主なる神は、御子イエス様を過越の小羊とされ、十字架上に流された血の犠牲によって、私たちを救ってくださいました。Tペテロ1:19, Tコリント5:7。イエス様は、エルサレムで弟子たちと過越を祝われました。それが、最後の晩餐です。イエス様は、その時、「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です」と言われました。ルカ22:20。ですから、新約時代の聖徒は、旧約時代の過越のように、聖餐式を守り、行い、イエス様の十字架の犠牲による救いを覚えるのです。ルカ22:19。
 ヨシヤ王は、国中で過越を守り行わせました。ところが、住民はどうでしょう。過越の中心は、救いの象徴である小羊の血です。小羊をほふって、その血を門柱と鴨居に塗ることです。民は、小羊を連れて来たのでしょうか。いいえ。王が小羊三万頭、牛三千頭を自分の財産から出して用意し、民に与えたとあります。U歴代35:7。結局、これに刺激された家来たちの協力によって、過越のイベントは行われました。U歴代35:8〜9。ヨシヤ王の情熱が、この大イベントを成し遂げさせました。
 しかし、驚くべき王の熱心でも、ユダ王国を救うことはできませんでした。26節。それにもかかわらず、主はユダに対する怒りを静めようとはされませんでした。表面的には過越を行ったけれども、心からささげたものではなかったのです。全面的な悔い改めはなかったのです。悔い改めがなければ、何の変化もないのです。悔い改めがなければ、救いはありません。ヨシヤ王の多大な努力があっても、ユダの滅びは変わりませんでした。残念です。ヨシヤ王の心境はいかばかりだったでしょうか。
 私たちが、どんなに努力しても、どれほど頑張っても、結果が出なければ、評価されません。失敗したと見られるでしょう。切なくなり、空しさを感じることでしょう。しかし、本当に失敗なのでしょうか。

V−彼のような者は、ひとりも起こらなかった−25,29〜30
 さらに残念なことは、こんなに頑張っていたヨシヤ王が、突然戦死してしまいます。29〜30節。改革の途中で、これからという時、ヨシヤ王の改革事業は突然終わりました。ヨシヤ王は失敗したのでしょうか。中には、ヨシヤの何かが悪くて、それで道半ばで戦死した、事業は失敗に終わったと評する人々もいます。私たちが頑張って事を行っても、結果がよくなければ、目に見える成果がでなければ、やり方が悪いから、努力が足りないから失敗したなどと周りは言うでしょう。そうなのでしょうか。
 この20年後には、エルサレム神殿は焼失し、ユダ王国は滅亡して、バビロン捕囚となります。あれほどの努力は無駄となったのでしょうか。信仰の改革は失敗だったのでしょうか。確かに、表面的には失敗したと見えるでしょう。成果が見えないのだから、人々は失敗と評価するでしょう。
 しかし、信仰の人を評価されるのは、主なる神です。25節。ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にも後にも彼だけだと称賛されています。ヨシヤ王は、主に認められた人です。ユダの民は、本当に滅んでしまったのでしょうか。70年後には、捕囚からエルサレムに帰還することになります。旧約聖書が整えられ、民の信仰が再建されます。そして、今日の私たちまで、その信仰は続いています。
 確かに、その時、民は徹底的には悔い改めなかった。でも、ヨシヤ王のおかげで無理やりでも、御言葉を聞くことができた。反発しつつも、偶像を一掃することができた。王自ら財産を投げ出して過越を守らせてくれた。命をかけて国のために戦ってくれた。そういうヨシヤ王の信仰と精神が、バビロンで生きて働き、帰還後の信仰改革につながったのです。
 神の民、聖徒たちにとって、成功した人生か失敗した人生かは、神の前に立ってはじめて分かることです。人々は、人に評価された人生が成功した人生だと思います。しかし、人が分かってくれなくても、主が分かってくれて、主が評価してくれる人生が成功した人生です。決して人の評価で、世の価値観で失敗したと途中で決め付けないでください。
 誠実に努力したからと言って、人は認めてくれるとは限りません。間違った成果主義の世にあっては、頑張っても報われないことも多いです。でも、イエス様の預言である苦難のしもべは、輝きや見栄えもなく、人々にさげすまれ、のけ者にされ、尊ばれませんでした。イザヤ53:2〜5。イエス様は失敗したのですか。イエス様は、ご自分を卑しくし、実に十字架の死にまで従われましたが、高く上げられ、称えられました。ピリピ2:8。十字架にかけられたけれども、よみがえられたイエス様は、「建てる者たちに捨てられた石が礎の石となった」と言われました。使徒4:11〜12。イエス様を信じて、救われた聖徒たちも、同じです。信仰をもって、主の評価を思ってそれぞれの働きに臨むことを願います。U列王23:25。



U列王記
23:1 すると、王は使者を遣わして、ユダとエルサレムの長老をひとり残らず彼のところに集めた。
23:2 王は【主】の宮へ上って行った。ユダのすべての人、エルサレムの住民のすべて、祭司と預言者、および、下の者も上の者も、すべての民が彼とともに行った。そこで彼は、【主】の宮で発見された契約の書のことばをみな、彼らに読み聞かせた。
23:3 それから、王は柱のわきに立ち、【主】の前に契約を結び、【主】に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして、主の命令と、あかしと、おきてを守り、この書物にしるされているこの契約のことばを実行することを誓った。民もみな、この契約に加わった。

3:21 王は民全体に命じて言った。「この契約の書にしるされているとおりに、あなたがたの神、【主】に、過越のいけにえをささげなさい。」
23:22 事実、さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代からこのかた、イスラエルの王たちとユダの王たちのどの時代にも、このような過越のいけにえがささげられたことはなかった。
23:23 ただ、ヨシヤ王の第十八年に、エルサレムでこの過越のいけにえが【主】にささげられただけであった。
23:24 さらにヨシヤは、霊媒、口寄せ、テラフィム、偶像、それに、ユダの地とエルサレムに見られるすべての忌むべき物も除き去った。これは、祭司ヒルキヤが【主】の宮で見つけた書物にしるされている律法のことばを実行するためであった。
23:25 ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、【主】に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。
23:26 それにもかかわらず、マナセが主の怒りを引き起こしたあのいらだたしい行いのために、【主】はユダに向けて燃やされた激しい怒りを静めようとはされなかった。
23:27 【主】は仰せられた。「わたしがイスラエルを移したと同じように、ユダもまた、わたしの前から移す。わたしが選んだこの町エルサレムも、わたしの名を置く、と言ったこの宮も、わたしは退ける。」
23:28 ヨシヤのその他の業績、彼の行ったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
23:29 彼の時代に、エジプトの王パロ・ネコが、アッシリヤの王のもとに行こうとユーフラテス川のほうに上って来た。そこで、ヨシヤ王は彼を迎え撃ちに行ったが、パロ・ネコは彼を見つけてメギドで殺した。
23:30 ヨシヤの家来たちは、彼の死体を戦車にのせ、メギドからエルサレムに運んで来て、彼の墓に葬った。この国の民は、ヨシヤの子エホアハズを選んで、彼に油をそそぎ、彼の父に代えて、彼を王とした。


ヨハネ1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

Tペテロ1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。

Tコリント5:7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。

ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

U歴代35:7 ヨシヤは民の者たちに羊の群れ、すなわち、子羊とやぎの子を贈った。すべては、そこにいたすべての人の過越のいけにえのためであった。その数は三万、牛は三千。これらは王の財産の中から出された。

イザヤ53:2 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

ピリピ2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

使徒4:11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった』というのはこの方のことです。
4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」

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