2020年12月27日「聞きたいことだけを聞く者」U列王記24:1〜20

序−最近災害時に「正常性バイアス」という言葉をよく聞きます。客観的な情報を見ずに、事態を過小評価したり、都合の悪い情報を無視して「自分は大丈夫だろう」としてしまう心理作用のことです。また、「希望的観測」もよく聞きます。自分にとって都合の良い、期待感を込めた結果を想定して判断を下してしまうことです。滅亡寸前のユダの王や民は、まさにそのような状態でした。

T−聞きたいことしか聞かない−
 信仰の人ヨシヤ王の後は、2つの大国の間で揺れ動き、ユダ王国は急速に滅亡へ向かって行きます。このような時、神の民の生きる道は何でしょうか。主に立ち返り、御言葉に聞き従うことでしょう。困難や危機に会っている聖徒たちも、同じです。しかし、王や民は主の御言葉を聞くことをせず、自分なりの思いで歩み、滅びの道を行くことになります。
 エホヤキム王は、ヨシヤ王戦死の後、エジプトによって立てられた王です。1節,U列王23:34,36。主なる神は、預言者エレミヤを通して、御言葉を伝えさせましたが、聞こうと耳を傾けることもしませんでした。エレミヤ25:3〜4。主の言葉を伝えた預言者ウリヤをエジプトまで追わせ、捕まえさせて殺しました。エレミヤ26:20〜23。ゼデキヤ王もまた、主の遣わす預言者の言うことを聞きませんでした。18節,U歴代36:12。バビロンに逆らうことなく、仕えるように伝えるのですが、聞きません。エレミヤ27:12〜13。民もそのような預言者を侮辱し、笑って悪口を言いました。U歴代36:16。
 結局、主の御言葉を無視したまま、自分たちにとっていいと思われる道にこだわり、破滅的な最後を迎えます。U列王25:1〜7。これは、ひと事ではありません。人は、災害時であっても、客観的に情報を見ることをしないで、事態を過小評価したり、都合の悪い情報を無視したりして「自分だけは大丈夫だろう」と思ってしまうからです。自分にとって都合の良い希望的観測で結果を想定して、判断を下してしまうからです。
 実際に、その頃偽預言者が登場し、王と民に偽りの預言を聞かせます。エレミヤ27:14,16。例えば、「バビロンの王に仕えることはない」と言い、「主の宮の器は、今すみやかにバビロンから持ち帰られる」と偽預言者は言うのですが、何の裏づけもありません。希望的観測を言ったに過ぎません。事態を過小評価して、都合の悪い情報を無視しているのです。「2年のうちにバビロンの王ネブカデネザルのくびきを砕く」と勝手に言うのです。エレミヤ28:11。人々に夢を見させているのです。エレミヤ29:8。どうして偽預言者は、そんなでたらめを言うのでしょうか。なぜ、王や民はそんな偽りを聞くのでしょうか。人は聞きたいことだけしか聞こうとしないからです。
 むしろ、主の言葉を伝える預言者が迫害され、その伝えることを王も民も聞かないのを見て、偽預言者は、人々の願うことだけを言い、人々が聞きたいことだけを言ったということです。Uテモテ4:3。現代の聖徒たちも、聞きたい御言葉だけ聞き、聞きたくない御言葉を聞こうとしないということはないでしょうか。人は都合の悪いことは聞きたくないし、自分の願っていることだけ聞きたいからです。そうして勝手な願いばかりして、御言葉に聞き従おうとしなくなるのです。事態はまったく良くなりません。
 主は、預言者を遣わし、繰り返し、偽預言者の言うことを聞くな、彼らは偽りを預言していると警告するのですが、まったく聞き入れません。エレミヤ27:9〜10,29:8〜9。ユダの民が生きて行く道は、神の御声を聞くことです。つまり、主が遣わされた預言者の伝えることを聞いて、従うことです。エレミヤ7:23。しかし、彼らは主の言葉を聞かず、耳を傾けず、自分たちなりの道を進んで行きました。エレミヤ7:24。
 彼らの立場に立てば、無理もないかもしれません。ユダは征服される、バビロンに連れて行かれるなんて、誰も聞きたくない、そんなことは起こるはずはないと思いたいからです。そこに希望を見出せないからです。それで終わりだと思うからです。でも、本当にそうなのでしょうか。

U−その地で生きよ−
 この頃世界史では大きな出来事が起こります。中東の覇権を賭けたカルケミュの戦い(BC605年)で、バビロンがエジプトに勝利しました。エジプトは以後自分の国から出ることはありません。これによって、ユダのエホアハズ王はバビロンに従属することになります。新興国バビロンのネブカデネザル王は、国家経営のリーダーシップを持つ王であり、様々な制度や施設を整備して、征服地から優秀な人々を集めて教育し、用いました。
 主は、バビロンへ連れて行っても、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民をその土地にいこわせる、土地を耕し、その中に住むと約束されました。エレミヤ27:11。しかし、エホヤキムは3年後に反逆します。希望的観測でエジプトの支援を期待しても、助けはなく、ネブカデネザル王の攻撃を受け、バビロンに連れて行かれました。1〜2節, U歴代36:5〜7。ネブカデネザル王は、人質として王族や貴族を数人連れて行きました。後にバビロンの大臣になるダニエルも含まれています。ダニエル1:1〜6。
 エホヤキムがバビロンに捕らわれて行った後、エルヤキンが王となりますが、3ヶ月後バビロンが本格的に攻めて来ます。8〜11節。そして、王族、高官、有力者1万人、技術者、兵士たち等大勢の民がバビロンに連れて行かれます。ただ貧しい農民だけが残されました。これが、第1次バビロン捕囚です。12〜16節。こんなことでユダに明日があるのか、民族の滅亡ではないかと思われたことでしょう。
 しかし、主は、捕囚になった者たちに対して、こう伝えさせます。エレミヤ29:4〜7。その地でもしっかり働き、生活基盤を築き、その国で繁栄するようにしなさい。そのためには、その地の繁栄のために祈りなさいと言うのです。驚くべきことです。事態を過小評価したり、都合の悪い情報を無視して、自分勝手な希望的観測を想定するのとは、まったく違うものです。バビロンでそのように生きてこそ、将来があり、希望があります。どんな約束がされていますか。エレミヤ29:10。何と、バビロンでの捕囚もやがて終わりが来て、70年後には帰還できるというのです。
 私たちも、御言葉に聞き従うことなく、近視眼的になり、自分勝手な願い、計画だけを望むなら、この時のユダの人々と同じ状況になってしまうでしょう。客観的な情報を見ずに、事態を過小評価したり、都合の悪い情報を無視していませんか。自分にとって都合の良い希望的観測をして判断していませんか。自分にとって望ましくないとしても、御言葉に聞いて判断して、主の御心に沿った行動をしたいものです。それがイエス様に救われ、神の民となった者の生き方です。エペソ5:10,ローマ12:2。

V−希望的観測−
 エレミヤが伝えたことは、バビロンに仕えなければ滅びるということでした。そんな言葉は、ユダにとっては絶望であり、バビロンの味方ではないかということになります。エレミヤ27:6〜8。神様へのまったき信頼がなければ、そんな言葉は到底受け入れることはできません。「主の宮の器は、今すみやかにバビロンから持ち帰られる」「2年のうちにバビロンの王ネブカデネザルのくびきを砕く」という偽預言者の言葉は、希望的観測ですが、ユダの人々が期待したのも、そのような言葉でした。
 私たちも気をつけなければなりません。仕事や生活の現場において、客観的な見方をしないで、そんなことになるはずがないと事態を過小評価したり、そんなこと聞いてられないと都合の悪い情報を無視し易いのです。自分が望まない、自分の気持ちに合わないと、そんなことする必要はない、自分は大丈夫だろうと希望的観測で判断してしまうのです。
 主は、預言者を通して繰り返し、偽預言者の偽りや希望的観測を聞かないようにと警告していました。なぜ繰り返されているのでしょう。自分の思いによって生きている人は誰でも、自分の願わない客観的な言葉よりも、勝手な希望的観測に耳を傾けるほかないからです。そして、御言葉に心を留めることをしなくなるからです。
 確かに、聖徒たちは御言葉を主の祝福の言葉だと思っています。主は、ご自分の民を良い道に導いてくださるお方です。しかし、どのようなことが最終的に祝福であり、どのような意味で良い道かということです。仮に自分の考えている祝福は自分が望むようにしてくれることだとするならば、自分の罪を指摘し、悔い改めを求める言葉には耳を貸さないでしょう。これはユダの民と同じです。自分の好むことだけを聞くということです。
 神の民であるユダが生きて行く道は、エジプトでもバビロンでもなく、主なる神の道です。私たちも、世のあれかこれかではなく、御言葉がどう言っているか、主の御心は何か、それに聞き従うのです。ユダは、神の言葉に心を留めるのではなく、勝手な希望的観測で頼ったり、裏切ったりして生きる道を求めました。それで、滅亡に至りました。
 自分の思い中心で生きると、神の言葉でさえ自分の都合の良い御言葉だけ期待するようになります。イエス様の救いは人々の罪を背負って十字架にかかることでした。それは、イエス様に勝手な期待や希望を寄せる者にとって、絶望となりましたが、復活されて救いの道が与えられました。ですから、私たちも、自分の望まない状況でも、都合の悪いことを無視したり、勝手な希望的観測ではなく、主の導きと御言葉に従うのです。そこにこそ希望があります。エレミヤ29:11。



U列王記24:1 エホヤキムの時代に、バビロンの王ネブカデネザルが攻め上って来た。エホヤキムは三年間彼のしもべとなったが、その後、再び彼に反逆した。
24:2 そこで【主】は、カルデヤ人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められた。ユダを攻めて、これを滅ぼすために彼らを遣わされた。【主】がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。
24:3 ユダを主の前から除くということは、実に【主】の命令によることであって、それは、マナセが犯したすべての罪のためであり、
24:4 また、マナセが流した罪のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを罪のない者の血で満たした。そのため【主】はその罪を赦そうとはされなかった。
24:5 エホヤキムのその他の業績、彼の行ったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
24:6 エホヤキムは彼の先祖たちとともに眠り、その子エホヤキンが代わって王となった。
24:7 エジプトの王は自分の国から再び出て来ることがなかった。バビロンの王が、エジプト川からユーフラテス川に至るまで、エジプトの王に属していた全領土を占領していたからである。
24:8 エホヤキンは十八歳で王となり、エルサレムで三か月間、王であった。彼の母の名はネフシュタといい、エルサレムの出のエルナタンの娘であった。
24:9 彼は、すべて先祖たちがしたとおり、【主】の目の前に悪を行った。
24:10 そのころ、バビロンの王ネブカデネザルの家来たちがエルサレムに攻め上り、町は包囲された。
24:11 バビロンの王ネブカデネザルが町にやって来たときに、家来たちは町を包囲していた。
24:12 ユダの王エホヤキンは、その母や、家来たちや、高官たち、宦官たちといっしょにバビロンの王に降伏したので、バビロンの王は彼を捕虜にした。これはネブカデネザルの治世の第八年であった。
24:13 彼は【主】の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが造った【主】の本堂の中のすべての金の用具を断ち切った。【主】の告げられたとおりであった。
24:14 彼はエルサレムのすべて、つまり、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や、鍛冶屋もみな、捕囚として捕らえ移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。
24:15 彼はさらに、エホヤキンをバビロンへ引いて行き、王の母、王の妻たち、その宦官たち、この国のおもだった人々を、捕囚としてエルサレムからバビロンへ連れて行った。
24:16 バビロンの王は、すべての兵士七千人、職人と鍛冶屋千人、勇敢な戦士を、すべて、捕囚としてバビロンへ連れて行った。
24:17 バビロンの王は、エホヤキンのおじマタヌヤをエホヤキンの代わりに王とし、その名をゼデキヤと改めさせた。
24:18 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナの出のエレミヤの娘であった。
24:19 彼は、すべてエホヤキムがしたように、【主】の目の前に悪を行った。
24:20 エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、【主】の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられたのである。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。


エレミヤ25:4 また、【主】はあなたがたに、主のしもべである預言者たちを早くからたびたび送ったのに、あなたがたは聞かず、聞こうと耳を傾けることもなかった。

エレミヤ27:14 『バビロンの王に仕えることはない』とあなたがたに語る預言者たちのことばに聞くな。彼らはあなたがたに偽りを預言しているからだ。」
27:16 私はまた、祭司たちとこのすべての民に語って言った。「【主】はこう仰せられた。『見よ。【主】の宮の器は、今すみやかにバビロンから持ち帰られる』と言って、あなたがたに預言しているあなたがたの預言者のことばに聞いてはならない。彼らはあなたがたに、偽りを預言しているからだ。

エレミヤ28:11 そしてハナヌヤは、すべての民の前でこう言った。「【主】はこう仰せられる。『このとおり、わたしは二年のうちに、バビロンの王ネブカデネザルのくびきを、すべての国の首から砕く。』」そこで、預言者エレミヤは立ち去った。

エレミヤ29:8 まことに、イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。「あなたがたのうちにいる預言者たちや、占い師たちにごまかされるな。あなたがたが夢を見させている、あなたがたの夢見る者の言うことを聞くな。

Uテモテ4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、

エレミヤ27:9 だから、あなたがたは、バビロンの王に仕えることはない、と言っているあなたがたの預言者、占い師、夢見る者、卜者、呪術者に聞くな。
27:10 彼らは、あなたがたに偽りを預言しているからだ。それで、あなたがたは、あなたがたの土地から遠くに移され、わたしはあなたがたを追い散らして、あなたがたが滅びるようにする。

エレミヤ7:23 ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神となり、あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにするために、わたしが命じるすべての道を歩め。』
7:24 しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、悪いかたくなな心のはかりごとのままに歩み、前進するどころか後退した。

エレミヤ27:11 しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民を、わたしはその土地にいこわせる。──【主】の御告げ──こうして、その土地を耕し、その中に住む。』」

U歴代36:5 エホヤキムは二十五歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼は、その神、【主】の目の前に悪を行った。
36:6 この彼のもとに、バビロンの王ネブカデネザルが攻め上って来て、彼を青銅の足かせにつなぎ、バビロンへ引いて行った。
36:7 ネブカデネザルは、【主】の宮の器具をバビロンに持ち去り、バビロンにある彼の宮殿に置いた。

エレミヤ29:4 イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。「エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
29:5 家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。
29:6 妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。
29:7 わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために【主】に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」

エレミヤ29:10 まことに、【主】はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。

エレミヤ29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

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