2022年1月23日「一期一会」使徒21:1〜6

序−パウロは、ミレトスでエペソの長老たちに遺言のようなことを話して、慟哭しながら、跪いて祈って、別れました。惜別というところでしょうか。今日の箇所にも別れが出て来ます。やはり、跪いて祈って別れましたが、その出会いと別れは、深い感動と励ましを与えてくれます。

T−キプロスが見えて来た−1〜3
 パウロたちを乗せた船は、小アジア半島のミレトスを出発してエーゲ海を南から東へと巡りながらイスラエルの北にあるフェニキアを目指します。1〜2節。エーゲ海のギリシャ語名アルキペラゴスから英語の多島海という言葉ができました。ミレトスから南へ行き、コス島に着きます。コス島は、小さいですが、医学の父と言われ、ヒポクラテスの誓いで有名なヒポクラテスの故郷であり、大きな医学校がありました。
 その翌日、コス島の南東のロドス島に向かいます。小アジア半島沿岸部最大の島であり、有名なバラの産地で、古代の貨幣にもバラが刻まれており、八重咲きのバラもありました。ロドス島には、世界七不思議の一つであるロドス島の巨像でも有名でした。高さ34m、台座を含めて50mです。パウロの時代は、倒れていました。そして、そこから小アジア半島の南にあるパタラ港に渡りました。こうして、名所であるコス島もロドス島も一顧だにせず、寄港するだけなのに、次の島だけは、違います。
 パタラ港からフェニキア行きの船に乗ると、やがてキプロス島が見えて来たというのです。2〜3節。キプロス島には寄港もしないのに、わざわざ記しています。それも、キプロス島をずっと見ながら航海したと付け加えています。キプロスが「見えて来た」の原語は、「発見された」「現れた」という意味です。明らかに、パウロの意思がこの島にあったことが示されています。パウロが見たくて発見したのです。
 これまでも多くの島を通り過ぎたのに、キプロスだけが記されています。なぜでしょう。キプロスと言えば、パウロの最初の伝道地です。使徒13:2〜5。キプロスは大きな島なので、通り過ぎるのに丸一日かかります。パウロは、何を思いながら、キプロス島を見つめていたのでしょうか。パウロは、船からキプロス島を眺めながら、13年前にバルナバとマルコと一緒にキプロスでの宣教の開始をしたことを思い出していたでしょう。
 アンテオキア教会でバルナバの訓練を受け、共に奉仕した後、世界宣教に送り出されました。使徒13:2〜5。そして、キプロス島に渡り、宣教を始めました。その時の期待と恐れの混じった思い、初めの愛、キプロスでの出来事などが思い起こされたことでしょう。そのキプロスで、サウロという名前をローマ風にパウロと変え、リーダーがバルナバからパウロに変わりました。その後の伝道旅行の原点となったところでした。
 私たちにも、そんなキプロスみたいなところがあるでしょう。職場や学校、習い事やサークル等々、思い出せば懐かしくあり、その時の思いや考え、痛みや失敗も思い起こされるでしょう。考えや生き方の変化の原点があるでしょう。信仰においても、キプロスがあるでしょう。信仰の原点となった出来事や出会いも思い起こされることでしょう。
 パウロは、3回合わせて13年にわたる伝道旅行を終え、エルサレムへ行くところです。「こうして、13年間守り導いてくださった。幾多の迫害や事件から守り、働きを祝福してくださった。」そんな思いにふけりながら、キプロスを眺めていたことでしょう。そして、「主はここまで助けてくださった。これからも主を信頼していこう。」そのように心導かれたのかもしれません。Tサムエル7:12。

U−弟子たちを探して−3〜4
 船は、やがてフェニキアのツロに到着しました。3節。フェニキアは今のレバノンです。ツロは、当時地中海の中の主要な港湾都市であり、貿易で繁栄していました。ですから、この時も船の積荷を降ろすために一週間停泊することになりました。3節。その間、パウロは、そこに住むイエス様を信じる聖徒たちを探しました。4節。
 貴重な七日間、船から降りてツロに滞在して活動します。ここにも、イエス様を信じる人たちがいたのです。このツロには、イエス様ご自身も足を踏み入れておられました。マルコ7:24〜30。娘の癒しのために、「食卓の子犬でも、子どもたちのパンくずはいただきます」と見事な答えをした女性の信仰で有名です。その後、ステパノの迫害によってエルサレムから散らされた聖徒たちが、この地に来て福音を証ししました。使徒11:19。
 パウロは、ここでたまたま「弟子たちを見つけて」ではなく、「弟子たちを探して」と言っています。パウロは、かつてこの地に来たことがありました。使徒15:2〜3。エルサレム会議へ出るためにこの地を通り、「異邦人の回心について詳しく伝えたので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした」という出来事がありました。ですから、明らかに旧知の聖徒たちが、ここツロにいたということです。
 パウロが自分たちを探して突然現れて、聖徒たちはさぞ驚いたことでしょう。10年ぶりに再会して旧知の聖徒たちは、どれほど嬉しかったでしょうか。早速、家族や他の聖徒たちにもパウロ先生に引き合わせ、話を聞いたでしょう。彼らの家族や友人の聖徒たちも、パウロに出会って、どんなに喜び、感謝したことでしょうか。伝道旅行での様々な出来事を聞き、神様の豊かな恵みと驚くべき働きを知って、信仰が増し加えられ、信仰が確かなものへと変えられたに違いありません。
 私たちも、友人や知人と久しぶりに会うことがあります。10年ぶりに突然再会するなんてことがあるとしたら、驚き、懐かしむでしょう。その関係が濃いもので良いものであったならば、喜び、感激し、涙することもあるでしょう。再会の様子は、かつての関係がどうかに因ります。
 ですから、今これから、どんな関係を持つか、どのような交わりを持つかで、後の出会いが決まります。普段人々と良い関係を結んでいれば、やがて再会する時、喜んで感謝して会うことができます。心を遣うことなくぞんざいに対したら、再会もうれしいものではないでしょう。二度と会わない人となるかもしれませんが、ならば、愛をもって誠実に接しなければと思わされます。 
 それこそ、旧知の聖徒たちの家族や友人たちは、その出会いがとても感慨深い、信仰的なものになりました。その理由は、パウロのエルサレムでの迫害が聖霊によって知らされたことによります。4節後半。聖霊がツロの聖徒たちにも「エルサレムへの道が鎖と苦しみが待っている」と知らせてくれました。当然聖徒たちは、エルサレムには行かないようにと繰り返し頼みます。これは、命令するほどの強い言い方です。
 ここでも、パウロは、エペソの長老たちに言ったように答えたでしょう。使徒20:24。「自分の走るべき道のりを走り尽くし、福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」このようなパウロの信仰の決意と決断を聞いて、献身の姿を見て、ツロの聖徒たちは、信仰の何たるか、信仰の凄さと素晴らしさを覚えたことでしょう。ツロの聖徒たちは、イエス様を信じて救われて、クリスチャンとなっていることの確かさと喜びが与えられたでしょう。

V−妻や子どもたちと一緒に−5〜6
 ツロでの滞在期間が終わって、出発する頃には、聖徒たちの心も定まり、励ましと感謝に満たされながら、パウロを見送ることになります。5〜6節。「妻や子どもたちと一緒に」という表現は、聖書の中で簡単に見つけることのできない表現です。妻や子どもたちまで、パウロの信仰に励まされ、大きな影響を受けたので、みな一緒に見送りに来たと思われます。海岸でひざまずいて祈って別れた光景は、感動的なものとなりました。
 繰り返しエルサレムには行かないように勧めても、自分の走るべき道のりを走り尽くしますというパウロの崇高な献身的言葉を家族も共に聞きました。これは、どんなに貴重で幸いな信仰の経験となったことでしょうか。子どもたちに大きな霊的な影響を与えてくれたでしょう。生きた信仰教育となりました。聖徒たちは、家族も連れて来て、パウロを一緒に見送ることにしました。その光景を記憶させることによって、パウロのような献身的信仰に家族が倣うように願ったからです。
 6節の「彼らは自分の家に帰って行った」という表現は、聖徒たちと家族がパウロとの別れから信仰の大きな恵みと導きを受けた様子を想像させてくれます。道々パウロの信仰の姿勢に感動したことや励ましやチャレンジを受けたこと分かち合っている光景が浮かんで来ます。きっとこんなことを言っていただろう、その声さえ聞こえてきそうです。
 私たちも、そのような信仰の場に家族を、友人を連れて来なければなりません。信仰で生きることがどんなに確かなものか、神に導かれて歩む人の生き方がどれほど崇高なものであるか、それを知ることができるようにしてあげなければなりません。私たちも家族を愛しています。家族に何かを残したいと願っています。ですから、ツロの聖徒たちのように神様の恵みと導きを受ける場に連れて来たいのです。
 神様が望む道に従うパウロの信仰を私たちも倣いたいと思います。自分の走るべき道を神様の御手に委ねて、主の御手に家族を任せる信仰になることを願います。使徒20:24。
 


使徒21:1 私たちは彼らと別れて出帆した。コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。
21:2 そこにはフェニキア行きの船があったので、それに乗って出発した。
21:3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左に通過し、シリヤに向かって航海を続け、ツロに入港した。ここで船は積荷を降ろすことになっていた。
21:4 私たちは弟子たちを探して、そこに七日間滞在した。彼らは御霊に示されて、エルサレムには行かないようにとパウロに繰り返し言った。
21:5 滞在期間が終わると、私たちはそこを出て、また旅を続けた。彼らはみな、妻や子どもたちと一緒に町の外まで私たちを送りに来た。そして、海岸でひざまずいて祈ってから、
21:6互いに別れを告げた。私たちは船に乗り込み、彼らは自分の家に帰って行った。


使徒13:2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。
13:3 そこで彼らは、断食と祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。
13:4 二人は聖霊に送り出され、セルウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、
13:5 サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。

Tサムエル7:12 サムエルは一つの石を取り、それをミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。

使徒11:19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオケアまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。

使徒15:2 それで、パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバ、そのほかの何人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。
15:3 こうして彼らは教会の人々に送り出され、フェニキアとサマリアを通って行った。道々、異邦人の回心について詳しく伝えたので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。

使徒20:24 けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。


戻る