2022年2月13日「謀略や騒動の中でも」使徒21:27〜40

序−願っていたようにならない、恐れていたことが起こる、そんなことばかりだと憂い、不満の中に埋没する人がいます。でも、本当にそうでしょうか。謀略と騒動の危機的状況の中にあったパウロの姿から、主が御自身に信頼する聖徒たちをどのように扱ってくださるかを学びます。

T−偽りと誤解によって暴動へ−27〜30
 パウロは、ヤコブと長老たちの勧めにより、ナジル人の誓いをした人々と共に神殿に行きました。26節。ところが、このことが裏目に出て、騒動が巻き起こることになります。27〜28節。前回学んだように、根も葉もない噂話でユダヤ人聖徒たちが揺れ動いていたので、それを静めるために律法の儀式を行うように勧められました。パウロとしては、まったく必要のないことですが、それで事が収まるのであればとその通りにしたのです。
 人は、気が進まない、必要ないと思うのに、勧められたので従ったことで、かえって問題が起きたり、うまく行かなかったら、ほら見たことか、やっぱりするべきじゃなかったと思うでしょう。でも、パウロはそんなふうには思いませんでした。彼らの勧めを尊重し、パウロ自身もそれをよしとして行いました。だから、事の推移を見守ることにしました。
 異邦人を宮の中に連れて来て、この神聖な場所をけがしたという扇動者の主張は、まったくの誤解です。29節。エペソ人トロフィモが町でパウロと一緒にいるのを以前見かけていたので、一緒に宮に入ったと思い込んだというのです。単なる推測です。それなのに、確かめもしないで、騒動を起こしていますから、誤解ではなく、謀略かもしれません。神殿の中にエペソ人トロフィモがいたなら、一緒に捕まえたでしょう。
 偽情報によって興奮した人々は暴徒と化し、確かめもしないで、パウロを捕らえて、宮から引きずり出しました。30節。暴動です。ついに、暴力を振るうようになりました。危険な状況です。31節。当時のユダヤは、ローマ帝国の支配に対して強烈な不満や反抗が鬱積していたので、偽りや誤解がきっかけで騒動が起こりました。現代も、経済の衰退や社会の混乱によって人々の心に不満や反感が鬱積しています。ですから、誤解や偽情報が拡散し、混乱や騒動が起こることがあります。人は、不満や苛立ちが心に溢れていれば、ちょっとしたことで吹き出て来ます。
 私たちも、注意しなければなりません。ネット情報に流されないように、噂話を鵜呑みにしないようにすることです。真理であるイエス様を信じる私たちは、信仰で受け止めて、御言葉で考えて、確認して行動したいものです。エペソ4:24。確認もしないで他の人に流すなんてことは避けなければなりません。自分が伝えた人を巻き込み、ここに登場している扇動者と同じになってしまうからです。
 人がこれを見るなら、こんな目に遭い、危機にさらされるなら、来なければ良かったのだ、他人の言うことを聞かなければ良かったのだ、これは失敗だという考えが出て来るでしょう。私たちも、そのような状況に陥ったら、そう思うでしょうか。それに、これはパウロが信仰でしていることであり、祈ってもらっていることです。ローマ15:30〜31。私たちも、願っているようにならない、恐れていたことが起こる、そんなことばかりだと憂いと不満の中に沈み込んでしまうでしょう。
 私たちは、事を肉の目だけで見てはなりません。過去しか表面しか見ることができないからです。しかし、主なる神は、すべてのことをご存知です。導いてくださいます。見捨てません。Uコリント4:8〜10。イエス様の十字架の犠牲によって救われているのですから。諦めないで、失望しないで、どう導いてくださるのか、見極めることです。

U−危機的状況での守り−31〜36
 暴動がこのまま続けば、パウロの命は危うくなります。そんな危機的状況の時、何が起こりましたか。31〜32節。パウロが殺されそうになった時、暴動が起きていると報告を受けたローマ軍が出動して来て、暴徒はパウロを打つのを止めました。司令官である千人隊長が、ただちに兵士を引き連れて来ました。なぜ、すぐに来たかというと、当時ユダヤ人の暴動に備えて、神殿の側にアントニオ要塞、アントニオ塔があり、そこにローマ軍が駐留して、見張っていたからです。
 百人隊長たちを率いてということですから、何百人かのローマ軍が来たので、暴動はストップしました。パウロはすんでのところで助けられました。千人隊長は、パウロを捕らえて、鎖につなぎました。33節。騒動の原因になっている者を確保し、取り調べをすることにしたのです。34〜36節。しかし、群衆はそれぞれに違ったことを叫び続けたので確かなことが分かりませんでした。それは当然です。誰もちゃんとしたことは分からないで騒いでいたのです。「殺してしまえ」と叫んで押し迫る暴徒から、兵士たちがパウロを守ってくれました。このシーンは、イエス様の裁判の時を思い出させます。マタイ27:22。総督が群衆にイエス様をどうするかと問うと、扇動された群衆は「十字架につけろ」と叫びました。
 この時、私たちが注目しなければならないことは、ローマ軍、千人隊長によってパウロが守られたということです。群衆がパウロを殺そうとしていた時、千人隊長が駆けつけ、暴力が止まりました。31〜32節。危機の時、ローマまで行くはずではなかったか。エルサレムでも主の働きができるようにという祈りは聞かれないのですか。もう駄目です。そう思ったでしょうか。その時、予想もしない助けが入りました。もちろん、千人隊長がパウロを助けようとしたわけではなく、自分の責任を果たしただけです。
 パウロのように真実に主の働きをする者も、主が望まれることをしようとする聖徒も、苦難や危機に陥ることがあります。しかし、その中でも、神の守りの御手があります。その守りが、信仰者の助けである時もあるでしょうが、世の権力者を用いて助けてくださることもあるのです。思い出してください。コリントでもガイオ総督によって、エペソでは町の書記官によって守られ、助けられました。使徒18:12〜16,19:35〜40。
 神様は、主に仕え、主の栄光をあらわそうと生きる聖徒のためには、予想もできない方法で守ってくださるのです。ですから、私たちは、どんな中でも神を信頼して歩むことができます。どんな状況になったとしても、苦難の中で主の御手が働いてくださいます。Tコリント10:13。イエス様を信じて救われているからです。
 私たちは、病気や患難、悲しみや苦しみにある時、努力しても解決しえない苦難の前で無力でしかない時、私たちはどんな態度を取るのでしょうか。人が何もできない状況こそ、神の絶妙で驚くべき働きが生じて来るのです。出エジプト14:13。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」と保証されています。摂理と奇跡によって守られ、導かれる神の御手を信じて体験する聖徒となることを願います。

V−かえって福音の証しが−37〜40
 予想を超える主の御手は、守ってくださるだけではありません。導きも与えてくださいます。パウロは、エルサレムでも福音を伝える働きができるように願い、祈ってもらいました。ローマ15:30〜31。パウロは、兵営に入れられる前に千人隊長に話しかけました。37~39節。弁明の機会を求めました。ギリシヤ語で話したので、その物腰と話し方であの暗殺者、つまりテロリストではないと分かりました。そう思っていたから、鎖で縛って兵営に入れようとしていたのです。
 このような状況だったら、無実を主張したり、不当逮捕に抗議したりするところでしょう。群衆の暴力から助け出されて、ほっとするかでしょう。しかし、パウロはそうしませんでした。何よりも、エルサレムでユダヤ人に福音を語ることを願い、使命としていたからです。私たちも、その姿勢を倣いたいものです。何かあった時、自分のことを主張するよりも、抗議をするよりも、その場を証しの機会としたいのです。
 この時も、「兵営の中に連れ込まれようとしたとき」という絶妙なタイミングで語りかけています。主の導きのゆえです。テロリストではないと分かると、千人隊長は群衆の前で弁明することを許可しました。38,40節。考えてみてください。パウロにとって四面楚歌のような群衆の前で、パウロについて偽りと誤解が満ちている中で、何と福音を語るチャンスが与えられたのです。とてもそんなことは望めない環境の中でです。見えざる神の御手が働いていたからと言うほかありません。
 群衆に向かっては、ユダヤ人ですから、ヘブル語で語り始めました。40節。群衆も静かになりました。パウロは、自分の民族を愛していました。彼らもイエス様を信じて救われてほしいという思いがあったから、何とかして福音を伝えたかったのです。この自分の命が危ないという瞬間にも、助かったよりも、福音を語ることに思いは集中していました。
 御言葉を思い巡らし、神の御心に適う歩みをしようとする聖徒は、辛い、悲しい、痛みを伴うような問題の中でも、神様の守りの御手を発見し、そればかりか主に用いられる霊的な機会ともなります。ローマ8:28。苦しみの中でも、八方塞がりの状態であっても、自分に与えられた務めを黙々とし、苦難の中で忍耐を学び、悲しみの中でも全能の神の前に祈り、神に信頼する聖徒となりますように願います。ローマ8:28。



使徒21:27 ところが、その七日の期間が終わろうとしていたとき、アジアから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、群衆をみな扇動して、彼に手をかけて、
21:28 こう叫んだ。「イスラエルの皆さん、手を貸してください。この男は、民と律法とこの場所に逆らうことを、至る所でみなに教えている者です。そのうえ、ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています。」
21:29 彼らは前にエペソ人トロフィモが町でパウロと一緒にいるのを以前見かけていたので、パウロが彼を宮に連れ込んだのだと思ったのである。
21:30 そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。すると、ただちに宮の門が閉じられた。
21:31 彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。
21:32 彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちを率いて、彼らのところに駆けつけた。人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた。
21:33 千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じた。そして、パウロが何者なのか、何をしたのかを尋ねた。
21:34 しかし、群衆はそれぞれに違ったことを叫び続けた。千人隊長は、騒がしくて確かなことが分からなかったので、パウロを兵営に連れて行くように命じた。
21:35 パウロが階段にさしかかったときには、群衆の暴行を避けるために、兵士たちは彼を担ぎ上げなければならなかった。
21:36 大勢の群衆が「殺してしまえ」と叫びながら、ついて来たからである。
21:37 兵営の中に連れ込まれようとしたとき、パウロが千人隊長に、「少しお話ししてもよろしいでしょうか」と尋ねた。すると千人隊長は、「あなたはギリシヤ語を知っているのか。
21:38 では、おまえは、近頃暴動を起こして、四千人の暗殺者を荒野に引き連れて逃げた、あのエジプト人ではないのか」と言った。
21:39 パウロは答えた。「私はキリキアのタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です。お願いです。この人々に話をさせてください。」
21:40 千人隊長がそれを許したので、パウロは階段の上に立ち、静かにするように民衆を手で制した。そして、すっかり静かになったとき、ヘブル語で次のよう語りかけた。


ローマ15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。
15:31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。

Uコリント4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

出エジプト14:13 モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。

Tコリント10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

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