2022年3月6日「勇気を出しなさい」使徒23:1〜11

序−国会議事堂へ行かれたことがありますか。国会で裁判が行われることがあります。裁判官を国会で裁判する弾劾裁判です。今日の箇所でパウロは、エルサレムの国会にあたる最高法院で尋問を受けます。四面楚歌のような中でのパウロの姿から大事なことを学ぶことができます。

T−権威に対する態度−
 千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人たちに訴えられているのか知りたいと思い、最高法院を召集し、パウロを彼らの前に立たせました。使徒22:30。最高法院と訳された議会は、自分たちの宗教問題は、自分たちでするようにとローマ帝国に許可されたユダヤの最高議決機関です。
 パウロの第一声に注目しましょう。1節。議員一人一人を見つめながら、「兄弟たち」と丁寧に呼びかけています。そして言った言葉が「私は健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました」と弁明です。神の律法と神殿を汚したということで訴えられていたので、こう弁明したのです。使徒21:28。でも、パウロという人は、本当にそのように生きて来た人です。これまでの信仰生活や伝道旅行での姿は、確かにそうでした。
 私たちがやがて天国へ召される時、どんな告白をするのでしょうか。このような告白をしたいと願います。そのためには、そのように生きて行くことが必要です。もちろん、大きなことをするわけではありません。日々御言葉に聞き従って、主に喜ばれる歩みを忠実にして行くことです。これからそのように生きようと願うことから始めましょう。
 このパウロの弁明に対して、大祭司アナニアは、パウロの口を打つように命じました。2節。どうしてこのような反応をしたのでしょうか。このアナニアは、西暦47年から58年にかけて大祭司の職にいました。貪欲で不正な利得を得ようと餓死者まで出し、暴力や暗殺を行う残忍な人でした。そんなアナニアでしたから、パウロの正しさやきよさが気に入らないので、口を打てと命じたのです。聞きたくなかったのです。
 パウロは、そんな人格否定のような命令に憤慨し、アナニアこそ律法を守るべき地位にいながら律法を破っている、まるで外側だけきれいにしている白壁のようだと批判しました。3節。すると、そばにいた者たちが「あなたは神の大祭司をののしるのか」と指摘しました。パウロは、はっと気付き、思いを変えました。これに対するパウロの答えに注目しましょう。5節。その後のパウロの態度が重要です。箴言15:31。アナニアが大祭司であるとは知らなかったと言い、「民の指導者を悪く言ってはならない」というのを引用して謝罪したのです。出エジプト22:28。エスカレートしそうになる時止められたという感じです。
 はっとして聖書も思い出したのでしょう。横暴で残虐な大祭司がパウロの人格を踏みにじろうとしたので、パウロもアナニアを批判し、責めるならば、争いになるでしょう。そうなったら、パウロが罰を受けます。しかし、パウロは、御言葉に従ったのです。これが、大切です。人は、沽券に関わるとかプライドが傷付いたと言って憤慨し、衝突しますが、私たちは、どうでしょうか。パウロは、ここで守られたのです。御言葉に立つことに立ち返りました。Tペテロ2:23。
 最も高い位にある大祭司がそんな振舞いをするとは知らなかったと言いたかったのでしょうか。ちゃんとした大祭司なら、裁判の席上で暴力を命じるはずはないということでしょう。大祭司だとは知らなかったとは、権威を認められた形の大祭司でしょうが、その権威にふさわしい人ではなかったのです。ともかく、パウロは、批判して溜飲を下げるということはしませんでした。自制心を失わず、悪い者でも、その権威を尊重したのです。それが、聖書にも教えられています。ローマ13:1〜4。

U−悪者は悪者同士で−
 気に入らないからと暴力を加えようとする裁判でどんなに証言しても無駄でしょう。このような悪辣な権威者に対して証言しても、埒は明かないとパウロは判断しました。そこで、パウロは、戦略を変えました。6節。70人ほどの最高法院には、サドカイ派、パリサイ派という2大派閥がありました。サドカイ人とパリサイ人は、その着ている服装から違いました。サドカイ派は、ユダヤ社会で既得権を握った世俗的な支配階層で、復活も御使いも霊もないと言っていました。8節。
 一方パリサイ派は、反対に律法に忠実であり、世俗的なものや汚れたものから自らを区別して分離していたので、分離された者・パリサイ人と呼ばれていました。彼らは、復活も御使いも霊も認めていました。8節。このように2つの派閥には、神学的には生活もまったく違っていたので、争いがありました。そこで、パウロは自分がパリサイ人であることを明らかにしました。6節。すると、2つの派閥の間で論争が起こり、2つに割れたのです。7節。
 パリサイ人は、復活を信じていましたが、パウロが言う死者の復活とは、イエス様の十字架からの復活を思ってのことでしょう。それでも、パリサイ人の子とパウロが言うのを受けて、パリサイ派の議員たちの中には、パウロを自分たちの側の人として擁護する人たちがあらわれました。9節。議場の様相は一変しました。もし、あのままパウロが、アナニアに抗議し、批判していれば、どんなことになったか。人は、他人が自分の意見と違うと、言ってやらなければ、分からせなければと躍起になって、論争したりします。私たちは、そんな時どうするのでしょうか。
 このパウロの対処変更とそれによる状況の変化から、私たちは、大切なことを学ぶことができます。パウロは、議場の構成を把握し、大祭司がどんな人物かが分かって、知恵を用いて、自分がパリサイ人であることを主張することにしました。その結果、四面楚歌のような状況が一変しました。擁護してくれる人々まで現れました。信仰で生きる者は、罪がはびこる人々の中で知恵を用いることも必要だということです。
 神様は、私たちを守って、助けてくださいますが、私たちにある知恵を用いることも神様の恵みだと信じて、積極的に活用することも必要です。言ってやらなければなどと危機を煽るような浅はかな対応ではなく、主が自分に与えて下さった知恵で問題や危機を乗り越えようとするのです。これも、御言葉が勧めていることです。箴言14:3,15:2。
 この混乱に、千人隊長が登場します。10節。2つの派閥の論争が激しくなると、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと恐れて、パウロを議場から引き出し、兵営に連れて行きました。こうして、パウロが知恵を発揮したことで、危機から助け出されました。またも、千人隊長の行動がパウロを守ってくれました。今回も役目に忠実に対処してパウロを守ってくれました。これもまた、神様が人を通して働いてくださったことです。神様は、ほとんどの場合、人を通して働かれます。それを見ることが、信仰の目です。

V−主が一緒におられるから−
 その夜、パウロは衝撃的な体験をします。11節。夢か幻の中で、イエス様がパウロに現れて言われたのです。「勇気を出しなさい」という主の言葉を聞きました。どんなに励まされ、慰められたことでしょうか。神様の私たちに対する愛は、わが子を思う母のようです。イザヤ49:15。危機から助けだされたものの、釈放されたわけではありません。兵営に逆戻りです。これからどうなるかという不安な夜を迎えての時に、主の言葉を聞いたのです。私たちも、主の言葉を聞かなければなりません。不安や恐れを抱いた時、この同じ主の言葉が心に生じますように願います。
 どうにもならない、何もできない、そんな夜に主がともにおられるなら、大丈夫です。どんなに思う存分できたとしても、主がともにおられなければ、何もないと同じです。いくら大変な状況でも、主がともにおられるなら、そこは天国です。安全なところです。
 そして、主がともにおられるだけでなく、「勇気を出しなさい」と言われるのです。なぜ、勇気を出しなさいと言われるのですか。「エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」からです。パウロは以前にも、その使命を受けて、知っています。使徒19:21。それをもう一度、この冷たい牢獄で思い出させているのです。これによって、不安や恐れしかないような夜が、感激と感謝のあふれる時となったのです。私たちも、不安や恐れの中で、主が導いてくださる使命を思い出し、感謝と希望を覚えたいのです。
 私たちは、私はもうやり尽くした、私のすべきことは終わったと思う時があります。でも、まだやるべきことがあるのです。主がパウロに言われたように、「あなたは〜しなければならない」と私たちにも言われるのです。そんな声を聞いてください。私にはもう何もできないから、私は年だからと思うこともありますが、「まだあなたにはなすべきことがあります」と言われます。
 今私たちは、何を求めて生きているのでしょうか。人生を大過なく過ごすことですか。世で成功することですか。そこに神様がいないなら、何の
意味がありますか。しかし、世で労苦が多いとしても、危機に陥るとしても、主がともにおられるなら、天国です。安全で素晴らしいところです。主がともにおられますか。マタイ28:20。



使徒23:1 パウロは最高法院の人々を見つめて言った。「兄弟たち。私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました。」
23:2 すると大祭司アナニアは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打つように命じた。
23:3 そこで、パウロはアナニアに向かって言った。「ああ、白く塗った壁よ。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法に背いて私を打てと命じるのか。」
23:4 するとそばに立っている者たちが「あなたは神の大祭司をののしるのか」と言ったので、
23:5 パウロが答えた。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはならない』と書いてあります。」
23:6 パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見てとって、最高法院の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人です。パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」
23:7 パウロがこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に論争が起こり、最高法院は二つに割れた。
23:8 サドカイ人は復活も御使いも霊もないと言い、パリサイ人はいずれも認めているからである。
23:9 騒ぎは大きくなった。そして、パリサイ派の律法学者たちが何人か立ち上がって、激しく論じ、「この人には何の悪い点も見られない。もしかしたら、霊か御使いが彼に語りかけたのかもしれない」と言った。
23:10 論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと恐れた。それで兵士たちに、降りて行ってパウロを彼らの中から引っ張り出し、兵営に連れて行くように命じた。
23:11 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。



Tペテロ2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

箴言14:3 愚か者の口には誇りの若枝がある。知恵のある者のくちびるは身を守る。

箴言15:2 知恵のある者の舌は知識をよく用い、愚かな者の口は愚かさを吐き出す。

イザヤ49:15 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。

マタイ28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

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