2022年3月13日「天網恢恢疎にして失わず」使徒23:12〜24

序−古典の老子に「天網恢恢疏而不失」という有名な一節があります。天の網は広くて、目があらいようだが、悪事は知られるという意味です。まさに、今日の箇所のようです。神の名は出てきませんが、神の御手を覚えさせます。私たちの人生においてもそうなのだと学ぶことができます。

T−価値ないことに命をかける人々−12〜15
 私たちの人生には、様々なことが起こります。思い通りに進まず行き詰まったり、なぜこんなことが起こるのかと途方にくれたりします。そこにも神の御手があったとあとで分かるのですが、その時は分かりません。混乱した最高法院から助けだされたパウロについて、暗殺の陰謀が企てられました。12〜13節。一夜明けて、パウロを憎む人々40人ほどが徒党を組み、パウロを殺すことを誓ったというのです。
 暴動や騒乱は、何か起こっているか分かりますが、陰謀は何か起こっているか分かりません。恐ろしいことです。今パウロはローマ軍の兵営の獄中にいます。それでも、その中は安全です。守られています。パウロを憎んで殺そうとしている人がいても、手出しはできません。そこで、彼らは、パウロを暗殺する計画を立て、大祭司を訪ねました。14〜15節。パウロをもっと詳しく調べるふりをして、最高法院に連れて来るように千人隊長に願い出てくださいと頼みました。そして、その途中で暗殺する計画だというのです。
 彼らは、ここでパウロを殺すまでは食べたり飲んだりしないと誓っています。彼らはいのちがけだというのです。でも、彼らは、パウロのことをきちんと知っているのでしょうか。偽りの訴えに扇動され、確かめることなく、暗殺団を結成しました。愚かなことです。よく、命をかけると気安く言う人がいます。何かに頑張ることを「命をかけて」というのです。人が力を注いでいることについて「命をかけている」と評したりします。この徒党を組んだ人々も、そうなのです。パウロを殺すまでは食べたり飲んだりしないと誓って、その後食べたり飲んだりしなかったのでしょうか。
 ローマ兵がパウロを連行して来ます。暗殺者たちは、へたしたら、ローマ兵に殺されてしまうでしょう。大事な命をそんな偽りの悪いことにかけていいのでしょうか。一度だけの人生をそんなことにかけるなんて、何とむなしいことでしょうか。私たちも、自分のいのちをかけていることについて考えてみましょう。何か頑張っていること、何か力を注いで来たことがあるでしょう。それは、果たして大切な命をかける価値のあることなのだろうか。神様に認めてもらえることなのだろうか。
 私たちは、イエス様の十字架の福音を信じて、天国への命を与えられています。はたして、それは、天国まで持って行くものだろうかと考えてみるのです。天国への命を与えられたということは、天国までつながることに命をかけて生きるということなのです。
 天国までつながる命をかける価値あるものとは、何でしょう。それは、人の命につながることです。人が救われ、ともに天の御国へ入ることです。イエス様を信じて、一緒に天国へ行けるようにすることが、真に価値あることです。それぞれの立場で、人生の置かれた所で、人が救われ、天国へ行けるように尽くすことです。永遠の価値あることに命をかけて行くことを願います。

U−知られるところとなった陰謀−
 さて、暗殺団は綿密に計画を練ったのでしょうが、暗殺計画は、天網恢恢疎にして失わずのごとく、悪事は知られてしまいました。16節。何と、悪巧みをパウロの姉妹の息子、つまりパウロの甥っ子が知ることになったというのです。以前にも、パウロに対する陰謀を知るようになりました。ダマスコでの回心の後、怒ったユダヤ人がパウロを殺そうと企てますが、その陰謀はパウロの知るところとなり、城壁からつるされて逃れました。使徒9:23〜25。第3回伝道旅行の時、コリントから船出しようとしたが、ユダヤ人の陰謀を知って、マケドニアを経由して帰ることにしました。使徒20:3。
 今日の箇所には、神とか主という名は出て来ません。しかし、神様が背後で働いてくださっておられたということです。悪事を漏らさなかったということです。旧約聖書のエステル書には一度も神の名は登場しませんが、その内容は神が働いておられることは疑いようもありません。
 暗殺団は、パウロ暗殺に命をかけると息巻いて、パウロを殺すまでは食べたり飲んだりしないと誓ったのですが、こうして陰謀は知られることになり、計画は失敗することになります。彼らはこの後どうしたのでしょうか。食べたり飲んだりしなかったのでしょうか。飲食する度に思い出し、どれほど恥ずかしかったことでしょう。計画を聞いた人と顔を合わすことができなかったでしょう。
 一方、パウロについては、百人隊長が、パウロのことを「囚人パウロ」と呼んでいます。18節。痛々しさを感じます。何も悪いことをしていないパウロが獄中にあり、老いた体も傷だらけです。でも、惨めではありません。恥ずかしいこともありません。福音を伝えるという使命のために受けていたことであり、むしろ心は清々しくさえありました。なぜなら、まさにその働きに命をかけていたからです。
 私たちも、そのことを信仰をもってしているなら、御言葉に聞き従っていることであるなら、神の導きの中で行っているなら、たとえうまく行かなくても、苦しみの中にあるとしても、心は安らかであり、清々しくさえなるのです。不当な苦しみに会ったとしても、そこで信仰をもって耐えるなら、神様が喜んでくださるからです。Tペテロ2:19〜20節。脱出の道も備えてくださいます。Tコリント10:13。
 この時のパウロの脱出の道は、またもや千人隊長が用いられます。17〜18節。パウロは、百人隊長に、その甥っ子を千人隊長のところに連れて行ってくれるように頼みました。千人隊長は、何かあると察知して、誰もいない所でその青年からユダヤ人の陰謀について聞きました。19〜22節。このことを千人隊長に知らせたことは、誰にも言わないようにと釘を刺して、その青年を帰しています。有能な人です。
 この千人隊長とパウロを出会わせてくださったのは、神様の導きです。神様が、この人を通してパウロを守ってくださいました。その間を取り次いだ百人隊長が、傲慢で、囚人パウロを無視したら、千人隊長に陰謀は伝わらず、万事休す、パウロは陰謀の餌食となったでしょう。百人隊長が、青年を千人隊長の所に連れて行ったことも、神が働いてくださったことです。私たちについても、主は人を通して守ってくださいます。そのためにも、日ごろ良い証しを立てて生活して行くことが肝要です。

V−先を行く確かな神の導き−23〜24
 陰謀を知った千人隊長は、確かな対策を立てます。23〜24節。この場合、暗殺に注意しながらパウロを守って、最高法院に連れて行くということになるのではないでしょうか。しかし、有能な千人隊長は、その方法を取りませんでした。ユダヤ人の陰謀による要請が来る前に、夜のうちにパウロをユダヤ総督へ送ってしまうということにしたのです。エルサレムよりカイザリアの総督官邸の方が遥かに安全です。こうして、陰謀を出し抜いて、より確かな安全な方法を取ることにしました。
 それだけではありません。千人隊長の取った方法は、二重三重に確かな安全策を立てています。パウロを護送する兵隊の数を見てください。合計470人、駐屯地にローマ兵が千人いたとしたら、その半数をパウロの護衛につけたということです。実際は千人もいなかったようですから、半分以上ということです。それに、パウロが乗る馬も用意してくれました。囚人一人のために、これほどの兵士を動員しているのです。
 この人は、それほど事の重要性を感じていたのでしょう。どこまでも慎重で緻密な司令官でした。このようにして、神様がこの人を用いて確かにパウロを守ってくださったということです。このような扱いは、通常では考えられないことです。陰謀があると訴えても、果たして囚人の言うことをローマ兵が取り扱ってくれるでしょうか。陰謀があると知ったとしても、こんな大勢の護衛をつけるでしょうか。
 これらは、みなパウロの願いや思いとは関係のないところで行われています。神様が守ってくださったのです。私たちを救い、愛してくださる主は、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに越えて行うことのできるお方です。エペソ3:20。パウロは、「勇気を出しなさい。あなたはローマでも証しをしなければならない」という主の御言葉を握って、獄中で祈っていただけです。神に信頼するパウロの願いと思いをはるかに越えて、神様は働いてくださり、獄の外の状況を変えてくださいました。
 今、私たちを取り巻く状況はどうですか。どうにもならない困難な状況ですか。次々と問題が起こって、辛く悲しい状況ですか。今日、私たちは神様がその愛するしもべのために、その願いと思いを越えて働いてくださったことを学びました。ですから、私たちは、たとえ自分が困難な状況に陥ることがあっても、むしろ自分の信仰を振り返り、神様を真実に信頼して行く機会となることを願います。そうする時、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに越えて働かれる神様の導きを見ることになるでしょう。エペソ3:20〜21。



使徒23:12 夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺すまでは食べたり飲んだりしない、と呪いをかけて誓った。
23:13 この陰謀を企てた者は、四十人以上いた。
23:14 彼らは、祭司長たちや長老たちのところに行って、次のように言った。「私たちは、パウロを殺すまでは何も口にしない、と呪いをかけて堅く誓いました。
23:15 そこで、今あなたがたは、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように、最高法院と組んで千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がこの近くに来る前に殺す手はずを整えています。」
23:16 ところが、パウロの姉妹の息子がこの待ち伏せのことを耳にしたので、兵営に来て中に入り、そのことをパウロに知らせた。
23:17 そこでパウロは百人隊長の一人を呼んで、「この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。何か知らせたいことがあるそうです」と言った。
23:18 百人隊長は彼を千人隊長のもとに連れて行き、「囚人パウロが私を呼んで、この青年をあなたのところに連れて行くようにと頼みました。何かあなたに話したいことがあるそうです」と言った。
23:19 すると、千人隊長は青年の手を取り、だれもいない所に連れて行って、「私に伝えたいことというのは何だ」と尋ねた。
23:20彼はこう言った。「ユダヤ人たちは、パウロについてもっと詳しく調べるふりをして、明日パウロを最高法院に連れて来るよう、あなたにお願いすることを申し合わせました。
23:21 どうか、彼らの言うことを信じないでください。彼らのうちの四十人以上の者が、パウロを殺すまでは飲み食いしないと呪いをかけて誓い、待ち伏せをしています。今、彼らは手はずを整えて、あなたの承諾を待っているのです。」
23:22 そこで千人隊長は、「このことを私に知らせたことは、だれにも言うな」と命じて、その青年を帰した。
23:23 それから千人隊長は、二人の百人隊長を呼び、「今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を整えよ」と命じた。
23:24 また、パウロを乗せて無事に総督ペリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた。


Tペテロ2:19 もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみ耐えるなら、それは神に喜ばれることです。
2:20 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神御前に喜ばれることです。

Tコリント10:13 あなたがたの経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。

エペソ3:20 どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに越えて行うことのできる方に、

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