2022年3月20日「自分の益や栄光ではなく」使徒23:25〜34

序−よく「あれもこれも私がやった」とか、「あのことは私が口を聞いてあげた」という人がいます。それほどしていないのに、何でも自分の功績にする人もいます。自分を主張しないとやっていけないという環境もあるのでしょうか。今日の箇所にあるそのような人の姿を通して自分を顧み、信仰にある生き方とは何かを学びます。

T−嘘や順序を変えて自分の有利にする姿−25〜27,30
 前回学びましたように、ユダヤ人の暗殺計画からパウロを守ろうとした千人隊長は、兵士470人を付けて、夜のうちにカイサリアのユダヤ総督官邸へパウロを送ることにしました。神様が働いてくださったことですが、これだけのことをするには、千人隊長のこの仕事に対する並々ならぬ思い入れがあるようです。
 千人隊長の総督フェリクスに宛てた報告書にそのことを見ることができます。26〜30節。千人隊長の名前、クラウディウス・リシアという名が、この人のことを表しています。クラウディウスはローマ名ですが、リシアはギリシャの名前です。前に、千人隊長は、「多額の金でこの市民権を手に入れた」と言っていました。使徒22:28。その時、当時の皇帝の名前を付けたようです。元々ローマ人ではないこの人が高い官職にいるということは、とても出世志向の強い人のようです。
 その証拠が文面にいくつも見られます。まず、27節を見ると、「パウロがユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知ったので、彼を助け出した」と言っているのですが、少し嘘を言っています。順序を変えています。本当は、鞭打ってユダヤ人の騒動の原因を知ろうとしたら、パウロがローマ市民権を持っていることを知って拷問を止めたということです。使徒22:24〜25。
 なぜ順序を変えて、嘘を言ったのでしょう。それは、囚人であるかも調べずに、ローマ市民権を持つ者を鞭打とうとしたからです。それを問題にされたら、自分の落ち度となり、責任が問われます。幸い、パウロは問題にしませんでした。それを隠したかったので、順序を変えたのです。
 さらには、順序を変えることで、有能な千人隊長ということを印象付ける目論見があります。ローマ市民を守るという任務にどれだけ励んでいるかを総督にアピールする目的でこのように報告しました。そういうことでは、有能です。
 こういうことって、生活の現場で人々がよく行っていることでしょう。丸っきり嘘ではないが、表現を変えて自分に有利なように報告するのです。自分の落ち度は隠して、たまたま事なきを得たのも自分の功績のように表現したり、脚色したりするのです。私たちは、どうでしょうか。イエス様は、そういうことを否定されるどころか、功績さえ故意にあらわすことをしないようにと教えています。マタイ6:3。ことさらに自分を主張しないという古来の伝統すら、現代のグローバル社会では流行らなくなったのでしょうか。
 もう一つの偽りというか、やはり順序を変えて報告をしています。30節。千人隊長は、「パウロを総督のもとに送って、訴える者には総督の前で訴えるように命じておいた」と言うのですが、この手紙を書いている時点では、ユダヤ人に総督の前でパウロを訴えるようにと命じてはいません。おそらく、後日ユダヤ人たちが訴えて来たら、そのように言い渡すつもりであったに過ぎません。「なお〜訴えるように命じておきました」と付け加えれば、いかにも能吏をアピールできるわけです。
 こういう報告は、人々にとっては、嘘でも脚色でも何でもないのでしょう。社会では、普通に行われていることなのでしょう。私たちも、していることではないでしょうか。でも、やっぱり嘘なのです。人は、自分に益となるように、少しでも自分の得になるように表現するのです。それが、社会を偽りとごまかしで覆うようにしてしまいます。

U−自分を飾り、自分の功績を主張する人−28〜30
 嘘やごまかしではないのですが、千人隊長の姿勢には問題があります。不必要なことを行い、やるべきことをしていないというところです。28〜29節。パウロが訴えられている理由を知るために最高法院に連れて行き、訴えを聞いてみると、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことが分かったと言っています。無罪ならば、釈放していいのではないですかということです。これが問題です。
 治安を預かる守備隊の長官として騒動の原因を調べたならば、自分の権限で決定をくだし、パウロを解放することができました。無罪と分かっていたと自分で言っているのに、釈放しないのです。よしんば、パウロを陰謀から守るためというならば、エルサレムから離れた所、自分の管轄外まで連れて行って釈放すればいいことでしょう。なぜ、多くの護衛を付けて、総督まで送ったのでしょうか。ここに、千人隊長の意図があります。無駄なことをしているわけではありません。演出なのです。
 ここで釈放してしまえば、千人隊長としては何の点数にもなりません。上官である総督に知られることもなく、活動を認めてもらうこともできません。社会では、何かの活動報告を記す場合、人によってはとても詳しく、そこまでしなくてもというくらい報告する人がいます。これだけいっぱい活動している、働いているということをアピールするわけです。
 千人隊長もそうなのです。この時、パウロがローマ市民権を持っていることを利用しました。ローマ市民を裁判する総督へ、ローマ市民権を持つパウロを守り、問題を適切に処理し、上司である総督に送ることで、総督に認めてもらおうとしたのです。こういう意味では、有能な官吏です。パウロを利用しただけということではなく、パウロに好意をもって助けてはくれたと思います。
 頭の回る人が、時には自分の功績や活動を認めてもらおうと機会や人を駆使して自分をあらわすことがよくあります。有能でなければ、演出や脚色はできないからです。イエス様も、そのような人々の例としてパリサイ人を取り上げておられます。マタイ6:1〜8。彼らの行いの目的は、「人に見せるために、人にほめられたくて」ということです。
 確かに、人はどうしても、人に認めてもらいたいという欲求があります。仕事場や責任のある場ばかりでなく、普通の人間関係においても、それを求めるのです。そのために千人隊長のように演出したり、アピールしたりします。それでも、必ずしも期待した承認がないと憤慨したり、落ち込んだりするのです。千人隊長は、この後出世できたのでしょうか。いくら偽りやごまかしの報告で自分をアピールしたとしても、総督の方がもっとずる賢い、稀代の悪者ですから、効果はなかったでしょう。
 私たちは、どのようにするのでしょう。イエス様は、虚飾や演出するパリサイ人のようではなく、「天の父の報いを受けられるように」と勧めています。マタイ6;1。人の目よりも、神様の目を気にするようにと言われました。マタイ6;4。神様が私たちを認めていてくださいます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われます。イザヤ43:4。これが私たちの基です。私たちは、救い主イエス様を意識して働き、行動するのです。結果、人にも認められるでしょう。ローマ14:18。たとえ認められなくても、神様が認めてくださり、報いがあります。

V−自分の益や栄光よりも、神に栄光を帰する人−31〜34
 一方、パウロは、全く人の評価とか人の目を意識した虚偽や演出はありません。ただただ十字架のイエス様だけを見て、神様の承認を確信し、人に喜ばれるより神様に喜ばれることを思って、使命を果たそうと歩んで来ました。Tテサロニケ2:4。そのためにユダヤ人から批判され、攻撃され、陰謀にさらされました。でも、どうなりましたか。31〜35節。ローマ兵に守られて、カイサリアの総督官邸に連れて行かれ、ユダヤ人の訴えが来るまで保護されることになりました。
 キリキア出身であることを確認したのは、フェリクスがキリキア州の総督も兼ねていたからです。自分の管轄を確認したことになります。今までは、すべてユダヤ人の議会ですが、これからは、ローマ帝国の法廷に立つことになるということです。つまり、「ローマでも証しをしなければならない」と言われた主の約束通り、ローマへの道が始まったということです。使徒23:11。人の評価を得ようと脚色したり、画策したりすることがなくても、主の召しに従う歩みは、確かに導かれるのです。
 私たちの歩みはどうですか。何を得ようとして歩んでいますか。パウロも、イエス様に出会う前は、人に認めてもらおうと自分をあらわそうと熱心のあまり、教会を迫害しました。ピリピ3:6。ところが、イエス様に出会って救われてからは、それがどんなに空しいことかが分かり、主に喜ばれることを願いながら、イエス様からの使命に生きる人生を生きて来ました。苦難も問題も多かったですが、幸いな人生でした。
 何よりも、忠実に主の召しに従って、御言葉を聞いて歩んで来た道は、患難や苦しみがあったとしても、守られ、導かれた歩みでした。パウロは自分の頑張りを見せようと脚色したり、人からの評価を得ようと画策したりしませんでした。自分の益や栄光よりも神様の栄光があらわされることを望みました。詩篇115:1。私たちも、自分の益や栄光よりも主の栄光があらわれることを願い歩む者となることを願います。Uコリント1:20。



使徒23:25 そして、次のような文面の手紙を書いた。
23:26 「クラウディウス・リシア、謹んで総督フェリクス閣下にごあいさつ申し上げます。
23:27 この男が、ユダヤ人に捕らえられ、まさに殺されようとしていたときに、私は兵士を率いて行って、彼を救い出しました。ローマ市民であることが分かったからです。
23:28 そして、ユダヤ人たちが彼を訴えている理由を知ろうと思い、彼を彼らの最高法院に連れて行きました。
23:29 ところが、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことが分かりました。
23:30 しかし、この者に対する陰謀があるという情報を得ましたので、私はただちに彼を閣下のもとにお送りします。なお、訴えている者たちには、彼のことを閣下の前で訴えるようにと命じておきました。」
23:31 そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンティパトリスまで連れて行き、
23:32 翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。
23:33 騎兵たちは、カイサリアに到着すると、総督に手紙を手渡して、パウロを引き合わせた。
23:34 総督は手紙を読んでから、パウロにどの州の者かと尋ね、キリキアの出であることを知って、
23:35 「おまえを訴える者が来たときに、よく聞くことにしよう」と言った。そして、ヘロデの建てた官邸に彼を保護しておくように命じた。



マタイ6:1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いが受けられません。
6:2 ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。
6:3 あなたは、施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
6:4 あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。

詩篇115:1 私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、ただあなたの御名に、栄光を帰してください。あなたの恵みとまことのゆえに。

Uコリント1:20 神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。

戻る