2022年3月27日「言葉は武器にも薬にも」使徒24:1〜9

序−レトリックという言葉があります。修辞法と言われるもので、言い回しを工夫することで相手の感情に訴える方法で、実質を伴わない表現上だけの言葉です。政治家の演説やドラマの裁判に出て来る手法です。今日の箇所に登場する弁護士も、まさにこのレトリックを用いています。

T−へつらい−1〜3
 パウロを暗殺する陰謀が発覚し、千人隊長がパウロを総督のもとへ送りました。そこへ、ユダヤ人の権力者たちがカイサリアに来て、フェリクス総督にパウロを訴えにでました。1節。こうして、パウロはローマ帝国の裁判に立つことになりました。陰謀が発覚してから五日後のことです。その間彼らは策を練って準備してやって来たことでしょう。その証拠に、弁護士テルティロを連れて来ました。
 弁護士と訳されたレトルという言葉は、雄弁家とか演説家という意味です。レトリックの元になっている言葉です。英訳などでは、雄弁家とも訳されています。ギリシャ文化の中では、雄弁家と言われる人が活躍していました。この人は、罪があるのかないのかというより、初めから雄弁家のレトリックで無罪の者を有罪とさせるためにこの人を呼んだのでしょう。
 ですから、弁護士テルティロの口頭弁論、陳述の切り出しは、パウロの罪状訴えではありませんでした。2〜3節。これもレトリックの手法なのでしょう。総督フェリクスの統治を褒め称え、感謝を述べています。裁判官の役割をするので、敬意を表しているというわけではありません。なぜなら、このフェリクスという人物、そんな賛辞を受けるにまったく値しない人物だからです。
 彼の兄パッラスは、皇帝クラウディウスの親族に仕えていた解放奴隷でしたが、その実務能力を買われて皇帝に重用された関係で、弟のフェリクスも総督になれたようです。この人の統治期間中に多くの騒動や暴動が起こり、その冷酷な鎮圧によって恐怖と悲惨さを与えたと歴史家タキトゥスは伝えています。それに、非常に賄賂を好んだ総督でした。そもそも、大祭司といったユダヤ人の権威者とは、とても仲が悪かったそうです。
 そんな総督に対してこのような賛辞を送るのは、まったくのへつらいや巧言令色だと言わざるを得ません。詩篇12:2。煽てておいて、裁判を有利にしようとするレトリックなのです。私たちは、不用意に人を傷付けないように言葉に気をつけなければなりませんが、だからと言ってへつらいや巧言令色はいけません。嘘なのですから。でも、慣れなければ、へつらいを言うことさえ難しいでしょう。
 この偽りの総督賛辞は、こびへつらいの目的ばかりではありません。総督への圧力もかけています。この頃は、皇帝が代わると共に兄も失脚しており、後ろ盾を失ったフェリクスの統治は、ユダヤ人の反抗や騒乱は罷免に直結していました。「平和を享受しており、この国の改革が進行して」という嘘は、脅かし以外の何ものでもないのです。我々の要求を入れないで、我々が反発して騒ぎ出したら、困るのは総督でしょうという脅しです。総督も、心の中では、苦々しく聞いていたことでしょう。
 これは、レトリックの悪用です。一方は感謝と賛辞を述べ、一方はそれを聞いて気を良くしているという構図なのですが、その心の中は、まったく反対のことなのです。人は、こうして言葉を乱用します。心の中は憎しみと嫌悪が渦を巻いているのに、口からは嘘とへいらいの言葉を出すのです。そのような世にあって、私たちは偽りを捨て、真実を語るように勧められています。エペソ4:25。なぜなら、私たちは、イエス様の十字架を信じて救われて、新しく生まれ変わった者であり、造り変えられる過程にある者だからです。コロサイ3:9〜10。

U−偽りの訴え−4〜9
 こうして、表面では総督を褒め称えていながら、裏では、その弱い立場に付け入り、訴えを認めるように脅しながら、告訴の口頭弁論に入ります。まずは、5〜6節。「宮を汚す」というのは、訴えの材料になりません。これは嘘です。彼らが最も問題にして、訴えたいことですが、ローマ法の裁きの対象とはならず、門前払いとなるでしょう。
 それで、パウロを「騒ぎを起こしている者」と訴えています。これなら、ローマ法で裁く事案になります。それも、最も総督が気にすること、統治の責任が問われるところです。そして、「ナザレ人の一派の首謀者」と、さも暴動を起こしている頭目かのように印象付けようとしています。実際に、フェリクスが統治している間に大小の騒動や暴動が起こりました。訴えながら総督を脅して、訴えを認めさせようとしています。
 「騒ぎを起こした」ことは、もちろん嘘、偽りです。暴動を起こしていたのはユダヤ人であり、パウロは福音を伝えて、人々を救いに導いていただけです。公平に見れば、素晴らしい働きをしていたのがパウロです。ユダヤ人が騒いだのは、妬みからでした。使徒13:45,17:5。この嘘は、パウロに対する悪口、誹謗中傷です。「まるで疫病のような人間」という表現は、その極みです。おそらく恐ろしい疫病にたとえるのですから、最も酷い悪口なのでしょう。人の心を刺すような悪口雑言です。人の言葉は、恐ろしい武器にもなるということです。
 ですから、すべてが嘘、偽りなのです。私たちは、こうして裁判でのパウロに対する訴えの嘘、偽りを見て来て、思い出すことがあるでしょう。そうです。イエス様の裁判の時と同じです。イエス様に対してエルサレムの権力者が問題にしたのは、冒涜罪です。ヨハネ10:33。でも、総督ピラトに対して、イエス様をユダヤ人の王と自称した、皇帝にそむいて、反乱を企てたと訴えたのです。ヨハネ19:12。動揺したピラト総督は、十字架につけろという大勢の声に屈して、イエス様を十字架にかけたのです。
 パウロは、イエス様の裁判を思い出していたことでしょう。私たちも、レント(受難節)を過ごしながら、イエス様の苦しみを覚え、それによって与えられた罪の赦しと救いの恵みを感謝し、思い巡らす時としましょう。
 8節の言葉を見ると、何か変です。ひっかかります。「訴えている内容はみな真実です」と主張しないで、「調べれば訴えすべてについてよくお分りいただけるはずだ」と言うのですが、調べれば無罪が分かるはずです。これまで大祭司たちは、総督に賄賂を贈り続けて来ました。「だから、訴えることを認めてくれるはずだ」と圧力をかけていたのです。知らない人には分からないが、関係している者にとっては分かる責めや批判があります。私たちも、そんなことを受けることがあるでしょう。
 圧力は、それだけではありません。9節。応援部隊である傍聴人のユダヤ人が挙って「そのとおりだ」と言い、さらなる圧力をかけました。

V−言葉の罪、御言葉の癒し−
 ドラマで裁判を見ているから、弁護士や刑事が偽りや策略を用いて弁論を行っていることが分かりますが、裁判所で裏を知らずに聞いていれば、素晴らしい人々が正論を訴えているように思うでしょう。この時も同じです。表面上では、立派な弁護士が理路整然と述べているかのように見えたことでしょうが、すべてが嘘でした。修辞学を学び、雄弁の技術を磨いて来たこの人は、レトリックを駆使して、無実の人を騒擾罪、暴動を起こした罪で死刑にしようとしたのです。
 彼は、パウロのことを知りません。恨みや怒りもありません。ただ、お金で訴えを頼まれたので、嘘、偽りを申し述べました。頼まれたことが本当かどうかは、関心もなかったでしょう。雄弁術で白を黒とし、大金を得れば良かったのでしょう。良心は痛まないのでしょうか。言葉を人殺しに用いようとしたのです。レトリックも、用いられ方次第では、まさに言葉は武器となります。
 ただ、私たちは第三者のようにこれを見ているわけには行きません。私たちも嘘や偽りを言っていないでしょうか。悪口や中傷を言ってしまうことがないでしょうか。自分にはそういう思いはなくても、発した言葉が人の心を刺してしまうこともあります。イエス様は、言葉が人を殺すとも言われました。マタイ5:21〜22。
 人は、罪ということがよく分からないと言います。確かにいわゆる犯罪を犯すわけではないからです。しかし、言葉が人の心を刺し、痛め、心を殺していると言われたら、誰しも、私も罪人ですと認めざるを得ません。ちょっと興奮して不用意な言葉を発してしまうこともあるでしょう。友達に対して、部下に対して、家族に対してその心を傷付けることを言ってしまいました。
 ですから、私たちは、悔い改めて、イエス様の十字架の意味を信じて罪赦され、救われたのです。もし私たちが傷付いたとしても、相手が故意でなければ、恨みや怒りを抱くべきではありません。悪口や侮辱を受けても、主の取り扱いに任せます。Tペテロ2:23。傷が癒され、憎しみや怒りから解放されることを願います。憎むことも罪なのですから。Tヨハネ3:15。
 御言葉は癒しとなります。イエス様は言葉をもって癒され、イエス様の十字架の苦しみが私たちを癒しました。イザヤ53:5,Tペテロ2:24。救われた私たちは、人を育てることばや勧めや慰めを話します。Tコリント14:3。御言葉を通してそうすることができるのです。侮辱に対して侮辱を返さず、祝福し、悪口欺きを語らず、善を行い、平和を追い求めるのです。Tペテロ3:9〜11。



使徒24:1 五日の後、大祭司アナニアは、数人の長老たち、およびテルティロという弁護士と一緒に下って来て、パウロを総督に訴えた。
24:2 パウロが呼び出され、テルティロが訴えを述べ始めた。「フェリクス閣下。閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を享受しております。また、閣下のご配慮によって、この国の改革が進行しております。
24:3 私たちは、あらゆる面で、またいたるところでこのことを認めて、心から感謝しております。
24:4 さて、これ以上ご迷惑をおかけしないために、私たちが手短に申し上げることを、ご寛容をもってお聞きくださるようお願いいたします。
24:5 実は、この男はまるで疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人の一派の首謀者であります。
24:6 この男は宮さえも汚そうとしましたので、私たちは彼を捕らえました。
24:8 閣下ご自身で彼をお調べくだされば、私たちが彼を訴えております事柄のすべてについて、よくお分りいただけると思います。」
24:9 ユダヤ人たちもこの訴えに同調し、そのとおりだと主張した。


詩篇12:2 人は互いにむなしいことを話し、へつらいの唇と、二心で話します。

エペソ4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。

コロサイ3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、
3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られてた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。

Tコリント14:3 ところが預言する者は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。

Tペテロ2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。


Tペテロ3:9 悪に対して悪に返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。
3:10 「いのちを愛し、幸いな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わず、くちびるに欺きを語らせるな、
3:11 悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追え。


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