2022年4月17日「恐れないで喜びなさい」マタイ28:1〜10

序−AIによる文章解析というものがあるそうです。何と、登場人物や筆者の感情まで解析できるそうです。今日私たちは、イエス様の復活の箇所に現れた感情を読み取り、そこから私たちへのイエス様の復活のメッセージを受けたいと思います。

T−重い足取りで墓に−1〜4
 週の初めの日、つまり日曜日の朝、マグダラのマリアともう一人のマリアがイエス様の墓に来ました。1節。マグダラのマリアにとってイエス様は、かつて病で苦しんでいた自分から七つの悪霊を追い出して、病も癒していただいたお方です。マルコ16:9。そのイエス様が十字架で殺され、安息日のために金曜日の夜急いで墓に納められたので、イエス様の体に埋葬の香油をつけてあげたかったのです。
 姉妹たちの愛するイエス様が殺されて、希望が失われてしまいました。姉妹たちは、失望と空しさ、不安と恐れを抱きながら、重い足取りで墓まで来ました。彼女たちは、墓まで来る間も、墓の入口を塞いでいる重い石を誰か転がしてくれるでしょうかと心配し、番をするローマ兵が妨げるでしょうかと恐れていたことでしょう。マルコ16:3。
 姉妹たちのそんな空しさや失望、不安や恐れを象徴した言葉が、「墓を見に」行ったということです。そこには、何の期待も希望もありません。心は落ち込んでいました。姉妹たちのこの時の感情を思うと私たちも共感するでしょう。あの頃の私だ、あの事の心だと思い出すのです。イエス様に出会う前、問題に出会った時、イエス様から心が離れた時でしょうか。
 ところが、そんな姉妹たちが墓まで来ると、地震が起きて、墓の入口の石が転がりました。2節。主の使いが来て、そうしてくれたのです。イエス様が十字架にかけられた時も、地震が起きました。復活も神様のされたことだということを表しています。重い石の問題が解決されたことよりも、その光景に驚きました。番兵たちが恐ろしさで震え上がり、死人のようになったというのですから、姉妹たちも恐れたことでしょう。3節。
 この重要な場面に、あの弟子たちがいません。皆恐れてイエス様を捨てて、逃げてしまっていたからです。この姉妹たちに恐れや不安があったものの、愛するイエス様の埋葬の用意をしてあげたいという思いが、姉妹たちをここまで導いてくれました。自分を癒して、救ってくれた感謝の思いがイエス様の復活の場面に立ち会わせてくれました。マルコ15:40。イエス様を愛する思いが強くあったために、イエス様の十字架の時も、イエス様が埋葬された時も、姉妹たちはイエス様から離れませんでした。マルコ15:47。
 私たちにも、このような救い主イエス様への感謝の思いと愛があるでしょう。自分のために罪を負って十字架にかかってくださったからです。それが、どんなに失望落胆したり、恐れや不安にと陥ったりしても、私たちをイエス様に出会わせ、再び立ち上がらせてくれます。

U−恐れないで−5〜8
 墓の入口の石が転がされていたのを見た姉妹たちはイエス様が復活されたとは思いません。むしろ、イエス様の体を誰かが持っていったかもしれないと恐れました。そんな姉妹たちに対して、御使いは、「恐れることはありません」と言ってくれました。さっきまでは誰かが墓の入口から石を転がしてくれる人がいるでしょうかと心配していたのに、番兵がいるから邪魔されるかもと恐れていたのに、石が転がされていると、誰かが主の体を取って行ったのかと心配するのです。
 こういうことは、私たちにもあります。何か問題や患難があると、その後も物事を悲観的否定的に考えてしまうのです。ですから、御使いは恐れや失望の中にあった姉妹たちを思いやり、「恐れることはありません」と慰め、励ましてくれたのです。そして、イエス様の復活を宣言します。5~6節。よみがえられたからここにはおられません。納められていた場所を見なさいと言いました。
 姉妹たちは、空の墓を見ただけです。復活の現場を直接見たわけではありません。主の復活のニュースを聞きました。そして、復活を信じました。さっきまで恐れや失望の中にいた姉妹たちは、大いに喜んで、弟子たちに知らせようと急いで走って行きました。8節。その光景に、姉妹たちの喜び、変化が現れています。
 イエス様の復活を信じると、すべてが変わりました。墓に来るまでは重い足取りだったのに、飛ぶように走って行きました。悲しみや不安で押しつぶされそうになっていた心が喜びに満たされました。弱く人の目を気にしていたマグダラのマリアが大胆な人に変わりました。イエス様の復活を信じる私たちもそうです。イエス様の復活は、信じる者を変えてくださいます。なぜなら、イエス様のよみがえりほどの奇跡はないからです。イエス様を信じて救われた者もよみがえりの命をいただいているからです。Tヨハネ5:11〜12。その内側に真の命をいただいている者といない者とでは、外観は同じですが、内側は違います。
 姉妹たちは、イエス様が復活されたので、自分たちの永遠の命も与えられると思い、うれしくて仕方ありません。良いニュースは、早く知らせたいので、じっとしていられません。ですから、今日イエス様の復活のニュースを聞いた私たちも、姉妹たちのように変化すると信じます。たとえ難しい問題に出会っても、悲しみや不安に押しつぶされるのではなく、救われている恵みと喜びを抱いて生きるようになるでしょう。
 なぜ、恐れないでいられるのでしょうか。イエス様が復活の初穂であるならば、イエス様を信じて救われた者も、復活の約束にあるからです。ローマ8:23。人は、罪の重荷と死の恐れに押しつぶされそうに生きています。イエス様の復活が、信じる者をそこから解放してくださいます。罪赦され、新しい命が与えられるからです。ですから、罪に倒れ、罪に翻弄されていた人格も変えられます。
 私たちは、人生の中でどれだけ主の復活の喜びを味わっているでしょうか。日々の生活に喜びがあるでしょうか。姉妹たちが弟子たちに知らせようと走っていたように、私たちも走っているでしょうか。主のいない空の墓に行っていませんか。主の望んでおられないところへ走っていないでしょうか。

V−喜びなさい−7〜10
 それから、御使いは、弟子たちに2つのことを伝えなさいと言いました。7節。イエス様がよみがえられたことと、弟子たちよりも先にガリラヤに行かれ、そこでお会いできるということです。7節。姉妹たちは、喜んで走って弟子たちに伝えに行きました。8節。ここに、復活のイエス様に出会って、変えられた人の姿が示されえています。私たちも、イエス様の十字架と復活を信じて、救われた者です。ですから、私たちもイエス様の復活の福音を伝える証し人です。
 復活の福音は、死のために絶望の中にいる人々が希望を持つことができるようにしてくれます。この偉大な救いの恵みを自分だけのものとしないでください。私たちの周りには、福音を必要としている者がいます。福音を恥としないでください。ローマ1:16。福音は、信じるすべての人にとって救いを得させる神様の力なのです。
 8節をよく見ると、姉妹たちは、大いに喜んでいたものの、まだまだ恐れや不安を抱いていました。そんな姉妹たちに、復活されたイエス様が現れました。9節。「おはよう」と訳されているのですが、原語は、喜ぶという動詞の現在時制の命令形「喜びなさい」となっています。挨拶にも使われるのですが、イエス様は、まだ恐れや不安を抱いている姉妹たちに、「喜びなさい」と言われたのです。
 自分の前にイエス様が現れて、「喜びなさい」と言われたら、どうですか。もし、落ち込んでいるなら、不安や恐れの中にいるなら、どれほど励まされることでしょうか。「悲しみや恐れがありますね。でも私はあなたのために十字架にかかり、よみがえりました。それゆえあなたも復活の命に与っています。わたしはあなたとともにいます。喜びなさい。」そんなふうに言っていただけるのです。
 姉妹たちは、驚いて、感激して、跪いて、イエス様を礼拝しました。御足に触れたということは幽霊ではないということでしょうか。イエス様は、続いて、御使いが言ったことと同じことを言われました。10節。これは、イエス様が弟子たちにすでに言っておられたことです。マタイ26:32。なぜ、弟子たちに「ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます」と繰り返されたのでしょうか。
 イエス様は私たちの心を暖かく包んでくださるお方です。弟子たちはみな、イエス様を見捨てて、逃げてしまいました。イエス様を知らないと否定しました。そんな弟子たちを、イエス様は、「わたしの弟子たち」と呼ぶことで、その関係が回復されることを示されました。
 なぜ、ガリラヤなのですか。ガリラヤは、弟子たちにとって特別な所です。イエス様に出会い、弟子になる召しを受けた所だからです。イエス様との関係が回復し、新しい使命を受けるには最適の場所です。マタイ28:19〜20。私たちにとってのガリラヤはどこでしょう。教会です。イエス様の復活された日曜日に礼拝をささげ、イエス様と会うのです。ピリピ4:4。



マタイ28:1 さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアと、もう一人のマリアが墓を見に行った。
28:2 すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て石をわきへころがして、その上に座ったからである。
28:3 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
28:4 その恐ろしさに番兵たちは震え上がり、死人のようになった。
28:5 御使いは女たちに言った。「あなたがたは恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。
28:6 ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。
28:7 そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこで、お会いできます』と。いいですか、私は確かにあなたがたに伝えました。」
28:8 彼女たちは、恐ろしくはあったが大いに喜んで、急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行った。
28:9 すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。
28:10 イエスは言われた。「恐れることはありません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます。」


マルコ16:3 彼女たちは、「誰か墓の入口から石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。
16:9 さて、週の初めの日の朝早く、よみがえったイエスは、最初にマグダラのマリアにご自分を現された。彼女は、かつて七つの悪霊をイエスに追い出してもらった人である。

Tヨハネ5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

ローマ1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

ピリピ4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

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