2022年5月1日「主の計画こそが実現する」使徒25:1〜12

序−前回機会を逸しないようにということについて学びましたが、機会をどう捉えるのですか、何が機会であるかどうしたら分かるのですかと思う人々もいます。ですから、機会に気付き、機会を捉えた例として、今日の箇所から学ぶことにしましょう。

T−誠実な新任総督フェストゥス−1〜5
 カイザリアの総督官邸での裁判は延期されたままで2年が経ちました。パウロは、官邸に監禁されたままでした。どんなに状態だったと思われるでしょうか。失意の内に落ち込んで鬱々としていたのでしょうか。そうではなかったでしょう。いつまで延期されるのか、いつどうやってローマまで行けるのだろうかなどとは言っていたでしょう。しかし、パウロは、延期されていたことを受け止め、そこにも何か意味があり、神の導きや守りを疑うことなく、祈って、神の時を待っていたに違いありません。それでこそ、機会を捉えることができるようになります。
 そこに、大きな変化が起こりました。騒動の収拾で失態を犯したフェリクスがローマに召喚され、フェストゥスが新総督として赴任して来たからです。1節。彼は、優れた行政官でした。それは、着任早々エルサレムへ行きに表れています。ローマからカイザリヤまで10日間ほどの長旅なのに、三日後、つまり一日休んだだけでエルサレムへ行ったということです。早く属州の状況や様子を知ろうとしたのです。真面目な誠実な人です。
 2節。さっそく、祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たちが来て、パウロを訴えます。彼らは、新任総督に対して、「パウロをエルサレムに呼び寄せていただきたい」と懇願したというのです。3節。しつこく繰り返し要請したというのです。前の総督はユダヤ人の騒動で失脚していますから、圧力を加えているのです。
 その理由を見ると、「待ち伏せして、途中でパウロを殺害しようとしていた」のです。3節。あの「パウロを殺すまでは飲み食いしない」と誓った暗殺団を思い出します。使徒23:15,21。ところが、フェストゥスは、おかしいと気付きました。わざわざエルサレムに連れて来いと願うのには、何か裏がありそうだと思ったのです。
 このまま要求に応じていたら、何か事件が起こりそうだと思ったフェストゥスは、ユダヤ人の要求を拒みます。でも、こんなに懇願して来るのを断ったら、騒動が起こるかもしれません。この新任総督は有能な人です。ユダヤ人への応答を見ましょう。4〜5節。彼らの反発を招くことのないように自然に要求を退けました。瞬時にこのように応答できるなんて、とても賢い人です。パウロを守ろうとしたのではないでしょうが、正しい仕事をしようとする誠実なこのような人が、フェリクスの後任として来たというところに、神様の導きを感じさせます。
 このような総督に代わったということが、パウロにとって機会到来なのです。神の導きを祈っていたパウロは、神の導きを感じていたことでしょう。神の守りと導きを信じて、祈っていたパウロだから総督が交代したことが、変化の機会だと気付かされたのです。
 私たちの社会にも、フェストゥスのような真面目な人、誠実に応答してくれる人が多くいます。すべての人が神によって造られました。創世記1:27。それも神に似せて造られていますので、良い面があります。神様は、そういう良い面を発揮する人たちを主の民のために用いてくださいます。

U−またも失敗した悪い企て−2〜6
 ところが、旧約聖書を信じていた民の指導者たちは、誠実な世の為政者とは、まったく正反対のような人々でした。彼らは、以前パウロを千人隊長が保護すると、詳しく調べるから最高法院に連れて来るように頼み、その間に暗殺しようとしていました。使徒23:20〜21。しかし、陰謀は露見し、失敗しました。
 ユダヤ人の指導者たちは、新任総督に代わったことが暗殺を企てる絶好の機会と考えました。フェストゥスが着任の挨拶のためにエルサレムに来ると、パウロをエルサレムに連れて来るように懇願したのです。2年前と同じように、その途中を襲い、暗殺しようと企てたからです。
 彼らの邪悪さは、変わっていません。エルサレムでパウロを訴えたいと言いながら、暗殺しようとしたのです。無罪であることを知りながら、パウロに対して妬み、気に入らないと憎み、殺そうとしたのです。
 考えてみてください。彼らは、民の上に立つ指導者です。旧約聖書を信じる者たちであり、最高法院の議員たちです。そんな人たちが、暗殺のような悪を行おうとしたのです。嘘を言い、騙そうとしたのです。妬みや憎しみは、人をひどくしてしまいます。聖書を学び、礼拝をささげながら、彼らは霊的に変えられることはありませんでした。
 聖書は、このような姿を通して、私たちを省みさせます。私たちも聖書を信じる民であり、神に礼拝をささげています。でも、以前と比べて、どれだけ変えられているでしょうか。聖化の道を歩んで来たのでしょうか。妬みや憎しみがなくなったのでしょうか。人の心を傷付け、人を悩ましていないでしょうか。このようなユダヤ人指導者の姿を見て、自分はどうだろうかと考えてみることも必要です。
 でも、真実な礼拝は人を養い、人を変えます。イエス様の十字架は人を救い、人を生かし、人を変えます。Uコリント5:17,コロサイ3:10。必要なことは、私たちの確信であり、御言葉に聞き従う姿です。イエス様とともに歩むことです。イエス様とともに歩むならば、神の時を理解します。機会に気付き、捉えることができます。
 しかし、このようなユダヤ人指導者たちは、新総督の交代がパウロを暗殺できる機会と考えたのでしょうが、新任総督にうまく要求を退けられてしまいました。裁判はカイサリアで再開されました。5〜6節。ここに主の導きがあり、聖徒を守る働きがあります。人の心には多くの計画がありますが、主の計画こそが実現するのです。箴言19:21。

V−ローマまで行かなければ−6〜12
 法廷がカイサリアで再開され、パウロが法廷に引き出されます。6節。ユダヤ人たちは、多くの重い罪状を申し立てたが、それを立証することはできませんでした。7節。一方パウロは、すべて無罪であると弁明します。8節。パウロの弁明から、ユダヤ人指導者たちの偽証の内容が分かります。律法を犯し、宮を汚し、カエサルを誹謗したと言っていたのでしょう。
 このカエサルへの言及が呼び水となったかもしれません。もちろん、パウロは、すでに新総督に代わったことに、主の導きを感じていたでしょう。詩篇33:11。フェストゥスが、パウロに、「おまえはエルサレムに上り、私の前で裁判を受けることを望むか」と尋ねました。9節。ここで、「ユダヤ人たちの機嫌を取ろうとした」とあるために、フェストゥスをフェリクスと同じように自分のためにパウロを犠牲にする自分勝手な総督と評する人が多いのですが、そうではありません。
 そうであるならば、すでにエルサレムで要請された時、二つ返事で承諾していたはずです。新任総督ですから、ユダヤ人の反応を気にしていますが、エルサレムでの法廷を提案しているだけです。それをパウロが望まないのは明らかですから、提案を退けると考えたのです。総督の前での裁判を退ければ、カエサルへ上訴するしかありません。双方の弁論を聞いていて総督はパウロの無罪を確信したから、このように提案したのです。
 これが神の与えた絶好の機会でした。パウロも、はっきりとこれが神の導きだと察知し、カエサルへの上訴を申し出ました。10〜11節。フェストゥスが予想していたとおりです。これでフェストゥス自身も、ユダヤ人に恨まれることなく、面倒な案件から解放されます。一応ユダヤ人の手前、陪席の者たちと協議したうえで、カエサルへの上訴を承認しました。12節。あたかも、パウロとフェストゥスが申し合わせて、演技しているかのように、とんとん拍子にパウロのローマ行きが決定しました。
 そうです。カエサルのもとへ行くということは、ローマに行くことです。う〜ん。これが、神の導きであり、神が与えた機会なのです。パウロは、主から「ローマでも証ししなければならない」言われていました。使徒23:11。でも、それがいつなのか、どのようにしてなのか分かりませんでした。2年間裁判が延期されたままでした。監禁されたパウロは、どれほど祈っていたことでしょうか。「主よ、ローマへはいつ行けるのですか。なぜ、監禁されたままなのですか。どこに導きがあるのですか」などと祈って、黙想していたのでしょう。
 だからこそ、フェストゥスが赴任して来たことに、神の導きを感じたのです。再会された裁判で、その機会を捉えることができました。カエサルへの上訴は、囚人のままです。それでも、それでローマへ行けると悟ったのです。釈放されたら、暗殺の危険がありますが、囚人としてローマへ護送されれば兵士によって守られます。こうして、ローマ行きが決定したパウロは、神の導きの素晴らしさに驚き、感動していたことでしょう。
 私たちも、パウロのように導きを受け、機会を捉えたいのです。どのような中でも、神様を信頼して祈り、黙想します。神と出会う礼拝をし、御言葉に聞き従います。そのようにして歩む時、私たちもパウロのような取り扱いを受けることになるでしょう。箴言19:21。


招詞箴言19:21 交読詩篇33:9~12

使徒25:1 フェストゥスは、属州に到着すると、三日後にカイサリアからエルサレムに上った。
25:2 すると、祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たちが、パウロのことを告訴した。
25:3 そして、パウロの件について自分たちに好意を示し、彼をエルサレムに呼び寄せていただきたいと、フェストゥスに懇願した。待ち伏せして、途中でパウロを殺害そうとしていたのである。
25:4 しかし、フェストゥスは、パウロはカイサリアに監禁されているし、自分はまもなく出発の予定であると答え、
25:5 「その男に何か問題があるなら、おまえたちの中の有力な者たちが、私と一緒に下って行って、彼を訴えればよい」と言った。
25:6 フェストは、彼らのところに八日か十日ばかり滞在しただけで、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロの出廷を命じた。
25:7 パウロが現れると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てた。しかし、それを立証することはできなかった。
25:8 パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカエサルに対しても、何の罪も犯してはいません」と弁明した。
25:9 ところが、ユダヤ人たちの機嫌を取ろうとしたフェストゥスは、パウロに向かって、「おまえはエルサレムに上り、そこでこれらの件について、私の前で裁判を受けることを望むか」と尋ねた。
25:10 すると、パウロはこう言った。「私はカエサルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。閣下もよくご存じのとおり、私はユダヤ人たちに何も悪いことをしませんでした。
25:11 もし私が悪いことをし、死に値することをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」
25:12 そのとき、フェストゥスは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「おまえはカエサルに上訴したのだから、カエサルのもとへ行くことになる。」


Uコリント5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

コロサイ3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。

箴言19:21 人の心には多くの計画がある。しかし主の計画こそが実現する。

詩篇33:11 主のはかられることは、とこしえに立ち、みこころの計画は代々に続く。


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