2022年6月12日「向かい風の中で」使徒27:1〜12

序−人生は、ある時には順風満帆、ある時には向かい風を進むというように表現されます。きょうの箇所は、パウロがローマへ向けて長旅をするところです。その船旅の様子から私たちの信仰生活の適用を学びます。

T−人生の旅の同行者1〜3
 いよいよパウロのローマ行きが決まりました。1節。囚人という立場ではあるが、カイザリアを出航し、ローマへと船出します。2節。フェリクス総督のために2年間もカイザリアで監禁されたままでしたが、カイザルへの上訴によって、ローマで裁判を受けることになりました。パウロは、ローマまで行って福音を宣教するという使命が主から与えられていました。パウロも、ローマまで行かなければならないと決めていました。使徒23:11,19:21。ようやく、ローマへの旅が始まったのです。
 パウロは、前途多難だとしても、希望を失ったり、諦めたりすることはありませんでした。パウロ自身、何が起ころうとも、自分に与えられた使命を果たす決意でいました。主の御旨に従うことを求めました。私たちは、どうでしょうか。パウロの船旅から学びたいと思います。主からの約束は、その方法や形は自分の思いとは違っても、必ず実現するということです。これが私たちへの励ましです。
 パウロの道中の状況と行程が詳しく記されています。それもそのはず、1節に「私たち」とあるように、使徒の働きの記者であるルカが同行していたからです。使徒21章以来です。年老いて傷付いた体で、持病も持っていたパウロにとって、ルカの同行はどれほど励ましになったことでしょうか。私たちの人生にも、信仰を励まし、霊的に癒してくれる友がいます。
 さらに、テサロニケのマケドニア人アリスタルコも同行していました。2節。エペソでパウロの身代わりとなって捕らえられ、義捐金をもってパウロとエルサレムまで一緒でした。後にはローマでパウロの同労者となって働き、一緒に牢獄される人です。使徒19:29,20:4,ピレモン1:24,コロサイ4:10。目立たないが、パウロに同行し、体を張ってパウロを助けてくれた人です。私たちの人生にも、そんな人知れず祈ってくれて、ひそかに助けてくれる信仰の友がいます。
 このような同行者だけではありません。パウロは、ユリウスという百人隊長に引き渡され、ローマまでこの人に守られて旅をすることになります。1節。このユリウスは、パウロを親切に扱ってくれました。2節。シドンでは友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許してくれました。3節。ユリウスという百人隊長がよほどパウロを信頼していたということです。船旅が始まって間もない内にパウロに好感を持ち、信頼関係ができていたようです。
 聖書に出て来る百人隊長はみな立派な人です。マタイ8:5〜13。特に「ただおことばをください」と行ってイエス様を驚かせたように、神に聞き従う聖徒たちに通じるものがありました。御言葉に誠実に生きる聖徒たちには、誠実に生きる世の人たちも好感を持ち、よくしてくれるということです。私たちにも好感を持って助けてくれる人がいるでしょう。

U−向かい風の中を進む−4〜8
 シドンを出帆してからは、向かい風でした。4節。この旅は、向かい風や強い波に翻弄されて行く船旅となります。当時の船旅は、風任せです。以前の記録にも、同じ所への行きが二日なのに、帰りでは五日かかっています。使徒16:11,20:6。ですから、向かい風だったので、キプロスの島陰を航行しました。小アジア半島の近海を慎重に航行しました。5節。これまでも伝道旅行で通った所です。神の導きや取り扱いを思い出しながらだったでしょうか。風のために少しずつゆっくり進みました。人生の向かい風とは、自分が進もうとする逆の力が働いているということです。人生も、様々な障害がある時は、慎重にゆっくりと確かめながら進むのです。
 やがて、船は半島南部のミラに到着します。6節。ここで、イタリアへ行くアレキサンドリアの船に乗り換えています。アレキサンドリアはエジプトの貿易港です。エジプトの麦を積んでローマへ行く大型貨物船に乗り換えたということです。37〜38節。これまでは小型船でしたが、風や波を乗り切ってローマへ行くために乗り換えました。人生においても、大きく前進するときには、乗り換えることも必要でしょう。
 それでも、船は、風のために一日で行ける小アジアの西南端のクニド沖まで何日もかかりました。7節。風のせいでそれから西へは行けず、南のクレテ島の島陰を航行しました。向かい風のために、思うようには進めず、進路も変わってしまいました。まさに、様々な問題や事件のために、翻弄されて、思うように先に進めない、進路も変更せざるをえない人生の様相を示しているようです。
 それでも、向かい風にも諦めることなく、進路を変えてでも進もうとしています。ローマまでも行かなければならないというビジョンに変更はないからです。主の導き、主からの使命という観点が抜けてしまうと、私たちの人生は、諸問題に容易に翻弄され、どこかへ行ってしまうでしょう。思ったように進まないからといって、諦めたり、失望したりしてはなりません。
 ローマまでも行かなければならない、このように行き先がはっきりしていることは、何にもまして安心できることです。私たちにもそれぞれ示された行き先があるでしょう。はっきりしていれば、揺らぐことなくそこへ進むのです。どのような行程を歩もうと、神様の示してくださった行き先へと私たちの人生は進んで行くのです。
 イエス様が弟子たちと一緒にガリラヤ湖を舟で向こう岸に行こうとされた時がありました。その時突風が吹いて来て、危険になりましたが、イエス様が波と風をしずめてくださり、向こう岸に着くことができました。ルカ8:22〜26。私たちの人生の旅には、このイエス様がともにいてくださり、同行してくださっています。マタイ28:20。
 そして、やっとのことでクレタ島の「良い港」に着きました。向かい風の中ようやく導かれたのが良い港と呼ばれる所だというのが、象徴的です。神の守りを感じます。港と訳された言葉は、避難所という意味もあります。大変なことが続き、問題に翻弄される時には、主なる神という良い港に逃げ込んで、しばらく休息することが必要です。Uテサロニケ1:7,詩篇95:7。

V−危険な旅−9〜12
 そこに留まって、しばらくが過ぎましたが、天候は好転しませんでした。9節。そこで、パウロは、これ以上の航海は危険なので、そこで冬を過ごすことを提案します。9〜10節。ユダヤ人の断食の日とは、10月上旬くらいです。もうすでに航海には危険な季節であったので、このまま航海を続ければ、積荷や船体だけでなく、人の生命にも危害を及ぼすとパウロは警告しました。
 パウロがこんなことを言うのが変に思うかもしれませんが、パウロは何度も危険な船旅を経験していたからです。Uコリント11:25〜26。幾たびも船旅をし、難船したことが3度、一昼夜海上を漂ったこともありました。そうした経験と知識から提案したのです。そこには主の導きへの信頼があります。思い通り航海が進まないからと苛々したり、揺れ動いたりしませんでした。向かい風の中を翻弄されていたけれども、主が自分に語られた約束は必ず実現してきたことを見て来たからです。私たちにとっても、同じことだと思います。私たちに与えられた約束は、必ず実現します。
 私たちはどうでしょう。次々と問題に前進を阻まれ、まったく思うように進むことができず、遅々として進まないことが続いたら、苛々して、周りにあたり、間違った手段も取るかもしれません。しかし、パウロの9〜10節の言葉は、主への深い信頼があるから出たことです。思うように行かず、前途多難な時、私たちは神に信頼することが大事です。救い主イエス様は、私たちの避難所です。
 パウロのこの提案は受け入れられませんでした。11〜12節。百人隊長は、船長や船主のほうを信用し、船に乗っていた大多数は、この港は冬を過ごすのに適していないと言い、もっと西にあるクレテ島のフェニクスまで行くことにしました。西へ行っても安全だと言っているのではありません。良い港近くのラサヤの町は小さくて、何もないから、大きな町で娯楽もたくさんあるフェニクスで冬を過ごしたいと思ったからです。
 専門家の意見が適切だということもありません。人は自分の利益や欲で判断を狂わせ、分別力を失い易いからです。パウロは決して自分の体験や思いだけではありません。間違いなく主の啓示があったはずです。23〜24節。それで、今は進むべきはないと提案したのです。神の時を見極めるには、御言葉に聞くことですが、祈っていて平安があります。環境が整えられ導きが確信でき、信仰の友の助言もあります。向かい風の中を少しずつ進んだように、知る限り見える所を少しずつ進んでみます。
 私たちの人生という航海について、パウロの航海は色々なことを教えてくれました。向かい風や時があるけれども、はっきりしているのは、必ずパウロはローマに行くということです。行き先がはっきりしていれば、安心です。私たちの人生も同じです。主が必ず目的地に着かせてくださると信じて進むことは、何にもまして幸いなのです。使徒23:11。



使徒27:1 さて、私たちが船でイタリアへ行くことが決まったとき、パウロとほかの数人の囚人は、親衛隊のユリウスという百人隊長に引き渡された。
27:2 私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行く、アドラミティオの船に乗り込んで出発した。テサロニケのマケドニア人アリスタルコも同行した。
27:3 翌日、私たちはシドンに入港した。ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。
27:4 私たちはそこから出帆し、向かい風だったので、キプロスの島陰を航行した。
27:5 そしてキリキヤとパンフリィヤの沖を航行して、リキヤのミラに入港した。
27:6 ここで、百人隊長はイタリアへ行くアレキサンドリアの船を見つけて、それに私たちを乗り込ませた。
27:7 何日もの間、船の進みは遅く、やっとのことでクニドの沖まで来たが、風のせいでそれ以上進めず、サルモネ沖のクレタの島陰を航行した。
27:8 そしてその岸に沿って進みながら、やっとのことで、「良い港」と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。
27:9 かなりの日数が経過し、断食の日もすでに過ぎていたため、もはや航海は危険であった。そこでパウロは人々に警告して、
27:10 「皆さん。私の見るところでは、この航海では積荷や船体だけでなく、私たちの生命にも危害と大きな損失をもたらすでしょう」と言った。
27:11 しかし百人隊長は、パウロの言うことよりも、船長や船主のほうを信用した。
27:12 また、この港は冬を過ごすのに適していなかったので、多数の者たちの意見により、ここを船出し、できれば南西と北西とに面しているクレタの港フェニクスに行き、そこで冬を過ごそうということになった。


使徒23:11 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。

使徒19:21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。

マタイ28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

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