2022年6月19日「同船している人々を与えて」使徒27:13〜26

序−私たちは、人生において様々な問題や事件に出会います。それによって私たちの人生は嵐の中の船のように翻弄されてしまいます。地中海をローマへ船で旅するパウロは、向かい風どころか、嵐に出会います。パウロが嵐の中でどのように導かれたのか、そこから人生の海で嵐に出会う私たちへの適用を学びます。

T−万策尽きて、絶望に陥る船の人々−13〜20
 同船の人々は、パウロの提案をしりぞけて、西のもっと大きな港町フェクニスで冬を越そうと決めた時、穏やかな南風が吹いて来たので、人々は思い通りになったと考えて、船出しました。13節。自分の思い通りに歩もうとする人は、様子を見ることなく「思い通りになったと考え」突き進んでしまいます。ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹いて来ました。14節。これは、北東という意味の暴風です。
 人生の海には、穏やかな南風ばかりではありません。突然嵐が起きます。健康の問題や家族の問題、職場の問題や経済の問題という暴風が吹く時があります。世の誘惑を受け、揺さぶられ、試みの嵐に吹きまわされることもあります。今暴風のために、パウロの乗った船は、風に逆らって進むことができず、流されるままとなりました。15節。私たちの人生に様々な問題によって嵐が吹き荒れると、いつものように生活することができず、問題によって流されるようになります。
 船員たちは、どうしましたか。16〜17節。接岸用の小船を船に引き上げ、強い波から船体を守るために綱で巻き、座礁しないように帆を降ろしました。できる限り何とか暴風対策を取りました。私たちにすれば、問題解決のために努力したということです。しかし、努力しても、問題は一向に解決しないということもあります。
 それでも、船は暴風に激しく翻弄されたので、船の人たちは、ついに積荷や船具まで投げ捨てました。18〜19節。商人や船主にとって大切なものまで捨ててしまいました。嵐の中でそれらを持ち続けたら、船が沈んでしまうからです。大切だと思って、今まで取って置いた物があるでしょう。危機の時、人は本当に自分にとって何が大切なのか考えさせられるようになります。
 暴風は激しく吹き続け、何日も太陽も星も見えない日が続きました。20節。太陽も星も見えないというのは、方角が分からないということです。位置情報が分からないということは、航海において最も不安なことです。船の人々はみな、絶望しました。ルカでさえ、「私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた」と思いました。人生の嵐では、人は方向を見失い、絶望してしまいます。混乱の現代社会において、多くの人々が人生の方向を見失い、流されています。問題が次々起きれば、ああもう駄目だ、私はこれからどうすればいいのかと思います。
 船の人々は、やれるべきことはみなやりました。それでも、嵐は荒れ続け、船は翻弄され、壊れるか、沈んでしまうかと思われました。問題や嵐が起こる時、人々が取る反応があります。まず、あわてて動き回り、右往左往します。やれることはやって、努力します。しかし、効果がなく変わらないと、落胆し、絶望します。人が努力しても、どうにもならないことがあります。頑張っても、何ともならない時があります。

U−神の声を聞いて、人々を励ますパウロ−21〜26
 船の人々が万策尽きて、絶望の中にある時、一人パウロだけは違いました。パウロは絶望することなく、希望を抱いていました。神の言葉を聞いていたからです。パウロは、人々の中に立って、話し始めました。21節。パウロの忠告を無視して出航した結果こうなったのですから、「そら、見たことか」と言っているように思うでしょう。いいたくなる場面です。しかし、そうではありません。今度はちゃんと聞いてほしいということです。
 パウロは、この時御使いを通して聞いた神の言葉を伝えて、船の人々を励まします。22〜24節。「元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。」どれほど、励ましとなったことでしょうか。絶望した人々に希望を与えてくれました。パウロの希望の元は神の言葉です。使徒23:11。
 人々が疲れ切って失望落胆している時、一人パウロは主なる神に祈っていました。23節。嵐の中でも主が共におられることを知っていました。今船の中では、人々が希望を失って、呻いていましたが、パウロは嵐の中にもおられる神様に祈りました。イザヤ43:2。そして、神の御声を聞きました。神の言葉によってどれほど勇気を与えられたことでしょう。なぜ、大胆に「いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです」と言えたのでしょうか。パウロの仕えている神が御使いを通して言われたからです。神様が責任をとってくださるということです。「私の仕えている神」という言い方がいいですね。神に仕えている人は強いです。
 同じ絶望の場面にいながら、パウロ一人勇気を持つことができました。私たちが、人生の嵐の中にあっても、神の御声を聞くことを願います。問題に出会って、困難に陥っている時、神の御声を求めて祈ります。神様は、私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。詩篇40:1〜2。そして、神様は、様々な方法で御声を聞かせてくださいます。そうして、私たちに勇気を与えてくださいます。
 どのように御声を聞かせてくださるのでしょうか。祈りの黙想の中で聞かせてくださいます。御言葉を通して語ってくださいます。時には、信仰の友の助言を通して聞かせてくれます。あるいは、出来事を通して御声を悟らせてくださいます。神は様々な方法を通して御声を聞かせてくださいます。ですから、切に祈り、神の御声を求めてください。聞こうとしてください。人生の海の嵐の中で、神の御声を聞いてください。
 どんなに自分を取り巻く状況が難しいとしても、絶望の声を聞かないでください。パウロは、絶望の状況でも、嵐の中でも神の御声を聞いていました。私たちの仕える神の希望の御声を聞いてください。
 どうして、パウロは元気だったのでしょう。パウロ自身が神の御声を聞いて元気をもらっていたからです。人々が太陽も星も見えないで自分を見失っていた時、それらを造られた神を見ていました。そのために、嵐の中でも、人生の方向を見失うことがありませんでした。パウロが頼りにしたのは、御言葉です。神の言葉が人生を導くともしびであり、光です。詩篇119:105。人生の旅路において、嵐に襲われるかもしれません。その時どう進んでいいのか不安になります。方向が分からなくなります。その時、神の言葉に信頼しているかが問われる時です。ヘブル10:23。

V−同船している人々を救う、新たな使命−24
 パウロは、このような中で新しい使命、ビジョンをいただきました。24節。ローマに行ってカエサルの前に立つことは、以前から与えられていることでしたが、「見なさい。神はあなたと同船している人々を、みなあなたに与えておられます」とは、どういうことでしょうか。この船に同乗している人々がパウロの手に渡されているということです。そうです。今この船にいる人々の命がパウロにかかっているからです。パウロがこの人たちを守るようにという新しい使命が与えられたのです。パウロ、自分が助かるかで終わらないで、あなたがこの人たちの命を守らなければならないと言われたのです。
 これが、クリスチャンの役割であり、クリスチャンが世に存在する理由なのです。今日も、クリスチャンは、この船に乗っているパウロのような存在です。イエス様は、私たちに向かって、「あなたと同船している人々をみな、あなたに与えています」と言われます。つまり、「あなたと一緒にいる者たちをあなたに与えた」と言われるのです。これが、私たちに与えられている使命です。
 パウロは、この使命を知らされたので、同乗している人たちを「元気を出しなさい」と励ましました。どんな絶望の中でも、自分が希望を持つならば、自分が生き、周りの人たちをも生かすことになります。私たちと一緒にいる人々、コミュニティーは、神様から私たちに与えられています。ですから、自分が救われればいいというのではなく、自分と一緒にいる人たちが一緒に救われるために、何ができるのかを考えるのです。
 映画ベンハーにおいて、奴隷となったベンハーがローマ軍の船を漕いでいます。戦いでその船が沈められ、艦長である総督をベンハーが助けます。後に味方の船に救出され、味方の勝利を聞いた総督がベンハーに対して「あなたが信じる神があなたを救うために我々ローマ軍に勝利を与えてくれた」と言うシーンがあります。まさに、この時のパウロと同じ存在であったのです。私たちは、周りの人々にとってそういう存在なのです。
 パウロが必ずローマへ行くという約束によって、パウロ一人が救われるのではなく、その船に同乗していた人々が一緒に救われることになります。イエス様が十字架にかかってくださったことで、イエス様を信じる者が救われます。ヨハネ3:15〜16。神の御子イエス様を信じれば、地上の生涯を終えた後、天国へ行くことができます。それだけでなく、自分と一緒にいる周りの者を天国へ導く約束を果たして行くのがクリスチャンなのです。私たちは、素晴らしい大切な存在なのです。詩篇40:1〜2



使徒 27:13 され、穏やかな南風が吹いて来たので、人々は思い通りになったと考え、錨を上げて、クレタの海岸に沿って航行した。
27:14 ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来た。
27:15 船はそれに巻き込まれて、風に逆らって進むことができず、私たちは流されるままとなった。
27:16 しかしカウダという小島の陰に入ったので、どうにかしっかりと小舟を引き寄せることができた。
27:17 そして、小舟を船に引き上げ、船を補強するために綱で船体を巻いた。また、シィルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具を降ろし、流れるに任せた。
27:18 私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、
27:19 三日目には、自分たちの手で船具を投げ捨てた。
27:20 太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた。
27:21 長い間、だれも食べていなかったが、そのときパウロは彼らの中に立って言った。「皆さん。あなたがたは私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。
27:22 しかし今、あなたがたに勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。
27:23 昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私のそばに立って、
27:24 こう言ったのです。『恐れることはありません。パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神はあなたと同船している人々を、みなあなたに与えておられます。』
27:25 ですから、皆さん。元気を出しなさい。私は神を信じております。す私に語られたことは、そのとおりになるのです。
27:26 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」


イザヤ43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。

詩篇40:1 私は切に、主を待ち望んだ。主は私に身を傾け、助けを求める叫びを聞いてくださった。
40:2 滅びの穴から、泥沼から、主は私を引き上げてくださった。私の足を巌に立たせ、私の歩みを確かにされた。

詩篇119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

ヨハネ3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

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