2022年7月10日「ついに道が開かれ」使徒28:11〜22

序−どんな困難があろうと、どんな問題があろうと、これが主の導かれる道だなという道は、やがてその道が開かれます。その道には主の備えがあり、進むことができます。私たちの人生の道にも、主は備えをしてくださり、導いてくださいます。パウロたちのローマまでの道を通して学びます。

T−ローマまでの道−11〜13
 マルタ島に着いたパウロたち、嵐が治まれば、すぐにでもローマに出発したかというと、そうではありません。11節。その島で三か月間留められたままでした。冬の季節風が吹く地中海の航行は無理だったからです。どんな気持ちだったのでしょう。2年間もカイザリアで待たされました。ようやくローマに向けて出発したと思ったら、乗った船が向かい風に翻弄されて進めず、行き先がしばしば変わり、さらには嵐の中を2週間も流されて、この島に漂着したのです。地図を見ると、イタリアのすぐ近くまで来ているのです。一日でも早くローマに行きたいのです。
 私たちが、パウロたちの状況だったら、とてもイライラするでしょう。文句や嘆きが口から出て来るでしょう。やっとあの問題から解放されたのに、なぜこんなに待たなければならないの、問題は解決したのに、どうして進展しないの、そんな思いになるでしょう。そんな時、準備、備えなどは、まるで眼中にないからです。確かな神の導きがあることを忘れているのです。パウロは、神の召しを聞き、確信していたので、マルタ島で三か月間待つことができました。詩篇62:5。
 ようやく、出航する条件が整いました。冬が終わり、イタリアに向かって風が吹くようになったからです。北国の人にとって、春は格別なものです。いつまでこの寒さと雪は続くのかと思ってはいても、確実に暖かくなり、雪が溶け、春が来るからです。パウロは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船に乗ってイタリアへ出帆しました。どんなに晴れ晴れとした船出でしょうか。
 この船もアレクサンドリアの貨物船のようです。この船の説明に「その船首にはディオスクロイの飾りが付いていた」とあります。ゼウスの双子という船の守護神の像が船首に刻まれていました。なぜ、ルカはそんなことを記録しているのでしょうか。自分たちを載せているこの船を本当に守ってくださるのは主なる神だということを言いたいのでしょう。これまでの航海を通して、強烈にそのことを確認させられたからです。
 冬が終わって春が始まると、急速に草が生え、木々に葉が茂り始めます。そのように、主の導く道も、時が来て、進み始めたら、早いです。12〜13節。まず、パウロたちは、シチリア島のシラクサに寄港して、荷物の積み下ろしでしょうか、三日間そこに留まった後は、イタリア半島のつま先にあるレギオンに着きました。そこで一日たつと南風が吹き始めたので、レギオンを船出し、次の日にはプテオリに入港しました。現代のナポリのあたり、ここで上陸してローマに向かいます。船旅は終わりです。嵐を共にした同船の人々ともお別れです。
 順調に進んで来ました。マルタまでのあの向かい風、嵐に翻弄され、あちこちに流され、思い通りには進まなかった航海とは全く違います。あっという間に船旅は終わりました。私たちの人生の旅も、問題や失敗で遅々として進まない、停滞していると思う時があります。詩篇42:5。焦る気持ち不安な気持ちがいっぱいになります。しかし、神の備えがある時、神の導きは進んで行きます。時至って進み始めたら早いです。

U−聖徒たちの歓迎−14〜15
 さあいよいよローマです。パウロにとって初めての土地です。ラテン語の世界です。皆さんは、見知らぬ国の言葉の通じない国に来たら、どんな気持ちになりますか。心細い、不安な気持ちになるでしょう。ところが、プテオリに着いたパウロの一行は、驚きます。14節。何と、この町にはイエス様を信じるクリスチャンがいました。教会がありました。聖徒たちのところに七日間滞在したというのは、日曜日主の日の礼拝を共にしたというのでしょう。上陸地でこんな神の備えがありました。
 どうしてこんな所に聖徒たちがいるのですか。パウロは来たこともないし、宣教したこともないのにと戸惑いますか。すでに、パウロから福音を聞き、イエス様を信じて救われた人々が、小アジアやギリシャから主要な貿易港プテオリに来ていたのです。彼らの証しによって教会もできていたのです。聖徒たちとの交わりは、どれほど安心と喜びを与えられ、慰めと励ましを受けられたことでしょうか。私たちも、信仰の友が与えられていることを感謝します。私たちが不安な時、落ち込んでいる時、どれほど兄弟姉妹から慰めや励ましを受けたことでしょうか。
 もっと驚きの出会いがあります。15節。プテオリからローマへの道、アッピア街道の途中の宿場町まで、ローマの聖徒たちがパウロたちを迎えに来てくれたのです。これって、すごいことです。アピイ・フォルムは、ローマから70kmくらい、トレス・タベルネは50kmほどです。トレスは三つ、タベルネは宿屋という意味です。三軒茶屋ですね。ちょっと駅まで出迎えにというくらいの距離ではありません。プテオリにパウロが上陸したとの情報を得たローマの聖徒たちが、早くパウロを出迎えたいと二、三日かけてもやって来たのです。ドラマのような光景です。
 なぜ、これほどまで。ローマの聖徒たちとパウロは、すでに精神的なつながりがあったからです。パウロがコリントに滞在していた時、ローマにいる聖徒たちへ手紙を書いていました。それが、私たちが親しんで読んでいるローマ人への手紙です。ローマ書は、その後のキリスト教を導いた大切な書簡です。イエス様を信じる信仰とはどういうものであるか、教会はどのようなものなのかということが神学的に書かれています。これによって、ローマの聖徒たちは養育され、教会が立てられていました。ローマ人への手紙という備えがあったのです。私たちも、兄弟姉妹とのメールや電話などもつながりや交わりの備えが大事だということを教えられます。
 ですから、ローマの聖徒たちとは、会ったことはないけれども、手紙を通して旧知の仲だったのです。心はつながっていたのです。そして、パウロが繰り返し「ローマに行けるように願っている」「ローマで福音を伝えたい」と手紙に書いていました。ローマ1:10,15:29。手紙を読んだローマの聖徒たちも、いつ来るのかとパウロがローマに来るのを待っていたのです。そのパウロがプテオリに上陸したと伝えられたら、居ても立っても居られず、50km70km歩いて出迎えたのです。この驚くべき出迎えに、パウロは、神に感謝し、勇気づけられました。

V−鎖につながれているのは、イスラエルの望みのため−16〜22
 こうして、「ついに道が開かれ」て、ローマに来ることができました。ローマでのパウロの生活が始まりました。その様子は、驚くべき姿です。16節。パウロは、監視の兵士付きの軟禁生活というところでしょうか。外出は許されないが、訪問客を迎えることができました。どうして、こんな特別待遇なのでしょうか。そうです。同行した親衛隊の百人隊長ユリウスの計らいによることでしょう。ここにも、主の備えがありました。パウロを監視するための兵士なのですが、パウロを迫害や暗殺から守ってくれたということです。これまでで最も安全なローマでの生活となりました。主は、私たちのことも、思いと願いを越えて守ってくださいます。
 パウロが新しい町に来るとすぐに問題になるのが、ユダヤ人の騒動や迫害です。ですから、パウロは、すぐにローマにいるユダヤ人コミュニティーの指導者たちを招き、これまでの経緯を説明します。17〜20節。先祖の慣習に対しても何一つ背いてはいない、裁判では無実とされて釈放されるべきだった、ユダヤ人が反対したのでカエサルに上訴したと説明しました。それでも、同胞ユダヤ人を訴えようとしたわけでない、それどころか、「鎖につながれているのは、イスラエルの望みのためです」と力説しました。
 「イスラエルの望み」とは、何でしょう。ダビデの子孫としてやがて約束されたメシヤが来て、民を救ってくださるという望みのことです。そして、その来るべきメシヤ、救い主が、十字架に死んで復活されたイエス様でした。ルカ2:11。パウロは、同胞イスラエルの救いのためには、自分がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願うと言っていました。ローマ9:3, 10:1。
 ユダヤ人指導者たちの反応はどうでしょう。21〜22節。意外にも好意的であり、丁寧です。エルサレムから何の通知も受けておらず、訴えもない。偏見をもたずにパウロから直接話を聞きますと答えたのです。ローマのユダヤ人は、暴動を起こしたことでローマから追放されましたが、ローマに戻ることができるようになったところです。それも影響して、穏健だったのでしょう。それもまた、備えられていたということです。
 向かい風と嵐に翻弄されながらも、こうしてついに道が開かれてパウロはローマまで来ることができました。神様はパウロがローマに来るための備えをいくつもしてくださっておられました。神様の約束は、必ずローマに行くということであり、向かい風や嵐、危険や問題がないと約束はされていません。ローマまでの船旅は数々の患難がありましたが、こうしてローマに到着することができました。私たちの人生の旅も、このように守りと備えをもって、導いてくださることと信じます。ヨハネ16:33。



使徒28:11 三か月後に、私たちは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船で出帆した。その船首にはディオスクロイの飾りが付いていた。
28:12私たちはシラクサに寄港して、三日間そこに滞在し、
28:13 そこから錨を上げて、レギオンに達した。一日たつと南風が吹き始めたので、二日目にはプテオリに入港した。
28:14 その町で、私たちは兄弟たちを見つけ、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマにやって来た。
28:15 ローマからは、私たちのことを聞いた兄弟たちが、アピイ・フォルムとトレス・タベルネまで、私たちを迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。
28:16 私たちがローマに入ったとき、パウロは、監視の兵士が付いてはいたが、一人で生活することを許された。
28:17 三日後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集めた。そして、彼らが集まったとき、こう言った。「兄弟たち。私は、私の民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つ背くことはしていないにもかかわらず、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。
28:18 彼らは私を取り調べましたが、私に死に値する罪が何もなかったので、私を釈放しようと思いました。
28:19 ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私は仕方なくカエサルに上訴しました。自分の同胞を訴えようとしたのではありません。
28:20 そういうわけで、私はあなたがたに会ってお話ししたいと願ったのです。私がこの鎖につながれているのは、イスラエルの望みのためです。」
28:21 すると、彼らはパウロに言った。「私たちは、あなたについて、ユダヤから何の通知も受け取っていません。また、ここに来た兄弟たちの誰かが、あなたについて何か悪いことを告げたり、話したりしたこともありません。
28:22 私たちは、あなたが考えておられることをあなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、いたるところで反対があることを、私たちは耳にしていますから。」


詩篇62:5 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。
42:5 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。

ローマ1:10 祈るときにはいつも、神のみこころによって、今度はついに道が開かれ、何とかしてあなたがたのところに行けるようにと願っています。
1:15 ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。

ローマ9:3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
10:1 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。

使徒23:11 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムで私のことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。

ヨハネ16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては患難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」

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