2022年7月17日「大胆に、妨げられることなく」使徒28:23〜31

序−未完成というと、シューベルトの未完成交響曲やミケランジェロの未完成彫刻ピエタなどを思い起こすでしょうか。それぞれ理由があるようです。使徒の働きの最後も、未完成のようなのです。なぜ、そうなのでしょうか。その理由を使徒の働き最後の箇所から学びます。

T−福音は異邦人へ広がる−23〜28
 その前に、ローマに着いたパウロが、ユダヤ人たちと会い、話をするところがあります。17節。ユダヤ人たちは、直接パウロから話を聞こうと日程を合わせて、パウロのところに集まって来ました。23節。法で統治されていたローマにおいては、ユダヤ人も大人しくしていたようです。パウロは、一日中熱心に話し続けました。
 「モーセの律法と預言者たちの書によって」というのは、旧約聖書によってということです。旧約聖書は、人には救い主が必要であり、イスラエル民族を通して救い主メシヤ、キリストを送ってくださることを約束しておられました。イエス様は、その神様の約束の実現として、世に来られました。イエス様も、旧約聖書を通してご自分について書いてあることを説明されました。ルカ24:27。ですから、旧約聖書を知れば、イエス様が人の罪のために十字架にかかられた意味も、よく分かるのです。
 その反応は、どうでしょうか。24節。ある人たちは受け入れたが、ほかの人たちは信じようとしなかったというのです。情報が少なくて信じられなかったのではなく、信じようとしなかったのです。イエス様が救い主と信じる前に、自分の罪のためにイエス様が十字架にかかられたこと、すなわち自分の罪を認めなければなりません。それをしたくなかったということです。頑なだったということです。残念です。
 ですから、帰りかけたユダヤ人たちに対して、パウロは次のような旧約聖書を引用します。25〜27節。預言者イザヤが神様に召しだされて、民に遣わされる時、神の言葉を伝えても民は聞かないと言われたのです。イザヤ6:8〜10。悲しい言葉です。なぜこんなことを引用したのでしょうか。頑なであることを知らせるためです。心に飢え渇きを覚えなければ、求める心も生じません。ローマ7:24。自分の罪の姿に満足しているならば、聞こうとせず、飢え渇きのニーズも起きないのです。飢え渇いていなければ、福音を信じようとしないのです。
 ですから、一生懸命証ししても、受け入れてもらえないとがっかりするのではなく、そのような中でも伝え続けることが教えられています。28節。拒まれても、福音の進展につながったというのです。福音は、元々イスラエルから始まったのですが、イスラエル人が受け入れなかったので、異邦人に広がって行ったということです。神様は、イスラエルの頑なさを用いて、異邦人を救う計画をされていたのです。この神様の愛とあわれみを覚えて、私たちは自分がすべきことを行うだけです。
 頑ななユダヤ人にも、神のあわれみがあります。ローマ11:25〜26。異邦人に救いが満ちる時には、イスラエルはみな救われると約束されています。なんという恵みでしょうか。今日も、イエス様を信じるユダヤ人は、確実に増えています。

U−はばかることなく、妨げられることなく−30〜31
 こうして、パウロは、ローマにおける軟禁生活2年間、家に来る人々に御言葉を語り続けました。30〜31節。御言葉を「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく」伝えて、教えたと強調されています。パウロは囚人であったのに、これまでなかったほど、最も自由に語ることができました。カエサル法廷の裁判中、番兵付き、誰も手出しはできません。
 そのように御言葉が伝えられた結果、どうなったでしょうか。確実に多くの人々に福音が広がっただけでなく、届くことが難しい人々にも広がりました。ピリピ1:12〜13。ここで、パウロが強調している「私の身に起こったことが」というのは、どういうことでしょうか。パウロが囚人となっていることです。これがかえって福音を前進させたというのです。
 なぜなら、パウロに付いている番兵は親衛隊の兵士です。彼らは、勤務中四六時中パウロと一緒におり、語られる福音を繰り返し聞くことになったからです。ピリピ1:13。福音は、親衛隊の兵士たちから他の人たちにも、広がって行きました。何と、「カイザルの家に属する人々」にも福音が伝わりました。ピリピ4:22。皇帝の家族も救われるようになったということです。驚くべきことです。パウロは囚人となって鎖につながれていましたが、御言葉はつながれてはいませんでした。Uテモテ2:9。
 このように鎖につながれているパウロが福音を伝えていたことは、人々をはばかって、福音の証しを妨げられていた聖徒たちを励ますことになりました。ピリピ1:14。聖徒たちは、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。私たちも、人の反応をはばかり、恐れることなく、証しの生活をしたいのです。
 パウロが囚人として鎖につながれていることが、かえって福音を前進させることになったというのは、ほかのことにも起こっています。パウロは、出かけることはできませんが、四つの手紙を書き送りました。いわゆる獄中書簡です。エペソ6:20, ピリピ1:12〜14,コロサイ4:3,ピレモン1:13。どれほど、多くの人々に福音が伝わり、教会を立て上げることになったことでしょうか。これらの手紙を通して、2000年後の私たちまで恵みを受けています。
 ですから、一見妨げや束縛と見られる状況でも、神様が働いて私たちを用いてくださることを信じます。今置かれているところで何か鎖のようなものにつながれているかもしれません。身動きが取れない状況にあるかもしれません。しかし、はばかることなく、妨げられることもなく福音を伝えることができます。信仰生活を証しすることができるのです。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったということが、私たちにも起こって来ます。
 ある人から「この後パウロはどうなるのですか」と質問されました。この後、パウロの裁判は、訴えていたユダヤ人から何の証拠も提出されず、結局釈放されたようです。伝説では、後にローマの大火をクリスチャンのせいにして迫害したネロ皇帝に捕らえられ、処刑されたと伝えられています。しかし、使徒の働きは、パウロのその後については、何も記されていません。パウロの殉教の話で終わらないで、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えたことで終わっています。

V−使徒の働きを書き続ける−
 使徒の働きの終わりの様子は、終わりではなく、まだ続いているようです。これから、どんどんローマで福音が宣べ伝えられ、救いが広がって行くという進行中です。その途中、突然終わったように見えます。この未完成は、どういうことなのでしょうか。これは、その後のクリスチャン、聖徒たちによって、使徒の働きが続いているということなのです。私たちも、人生を通してイエス様の福音を宣べ伝え、信仰を分かち合うなら、それは、使徒の働きであるというのです。
 使徒の働きが突然終わっているように見えるのは、その続きをあなたが書きなさいということです。使徒の働きは、別名聖霊の働きと言われます。確かに、聖霊が聖徒たちや使徒たちを用いて、導いて、福音のための働きをさせていたからです。使徒13:2,20:23。使徒の働きは、聖霊が弟子たちの上に臨んで、力を受けて、人々へのキリストの証人とされた時から始まっています。使徒1:8。イエス様の福音を信じて、救われた私たちにも、聖霊が働いて、信仰の人生を証しさせて、私たちを用いて人々を救いに導いてくださるのです。これって、すごいことではないでしょうか。
 使徒の働きは終わっていません。今も、私たちを通して、教会を通して続けられているのです。このように私たちが使徒の働き29章の主人公として用いられて行くのに重要なことは、御言葉の力です。23,31節。パウロが、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく神の国を宣べ伝え、イエス様の福音を教えることができたことは、御言葉の勝利です。パウロの力で邪魔されなかったというのでなく、世のどんなものも神の御言葉を妨げることはできなかったということです。
 御言葉に信頼して御言葉に従って信仰に生きるということが、私たちの人生に勝利をもたらします。Tヨハネ5:4。イエス様を信じて救われ、御言葉に聞き従って生きる者には、神様がすべてのことを働かせて益としてくださるからです。ローマ8:28。こうして、パウロが鎖につながれて、閉じ込められていても、御言葉はつながれることなく、驚くべき仕方で語られ、読まれ、人々を救いに導いて行きました。Uテモテ2:9。
 神様は、人をその不完全、未完成を通して神様の力が臨むようにしてくださいました。神様に用いられる人はみな、完全な人ではありません。未完成の人です。未完成の状態で神様の完全さを頼ることが使徒の働きなのです。イエス様が弟子たちを選ばれる時、欠けや弱さ、不足した者を選ばれました。Tコリント1:27〜28。私たちの人生も、未完成の人生です。人生を走っている途中で召されて行くのです。他人にも、完成を求めないでください。私たちは、救われて新生して、聖化の道を歩んでいます。天国に行くまでは未完成です。私たちの未完成の人生を通して、神様の恵みと力が現れることを願います。ローマ8:28。
 


使徒28:23 そこで彼らは日を定めて、さらに大勢でパウロの宿にやって来た。パウロは、神の国のことをあかしし、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとし、朝から晩まで説明を続けた。
28:24 ある人たちは彼が語ることを受け入れたが、ほかの人たちは信じようとしなかった。
28:25 お互いの意見が一致しないまま彼らが帰ろうとしたので、パウロは一言、次のように言った。「まさしく聖霊が、預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語られたとおりです。
28:26 『この民のところに行って告げよ。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。
28:27 この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、目は閉じているからである。それは、彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟とることも、立ち返ることもないように。そして、わたしが癒やすこともないように。』
28:28 ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らが聞き従うことになります。」
28:30 パウロは満二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、
28:31 少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。


ローマ7:24 私は、本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

ローマ11:25 兄弟たち。あなたがたが自分を自分を知恵ある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、
11:26 こうして、イスラエルはみな救われるのです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。

Uテモテ2:9福音のために私は苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばはつながれてはいません。

コロサイ4:3 同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。

ピリピ1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
1:13 私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり、
1:14 また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。

ピリピ4:22 聖徒たち全員が、そして特に、カイザルの家に属する人々が、よろしくと言っています。

ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

Tコリント1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

戻る