2022年8月14日「主は敵のようになって」哀歌2:1〜10

序−歴史においては、ユダ王国は、バビロン帝国によって滅ぼされ、破壊され、捕囚となったということです。しかし、哀歌には、真にユダを滅ぼしたのは、バビロン帝国ではないという衝撃的なことが記されています。

T−主は怒り、エルサレムを破壊する−
 2章は、「ああ、主は娘シオンを御怒りの曇でおおい」と、エルサレムに対する主の怒りから始まっています。1節の「御怒りの日」、2節の「憤って」、3節にも「燃える怒り」と続いています。神も怒るなら自分が怒るのもいいだろうなどと、決して誤解しないでください。人が怒るのは、不満の感情に基づいており、しばしばそれは歪んだものであり、間違った感情です。そして、罪を誘発します。ですから、聖書は怒りを捨てなさいと命じています。エペソ4:31。しかし、神は、罪に対して怒られます。それも、愛するがゆえのことです。イザヤ54:8。ここでも、主は、エルサレムを「娘シオン」と特別に呼んでおられます。1.4.8節。
 怒られた主がユダ王国を滅ぼし、主がエルサレムを破壊されたと言っています。1〜9節。主は、火のように怒りを注ぎだし、イスラエルの栄えを天から地に投げ落としました。1節。エルサレムの要塞や城壁、宮殿や神殿について、打ち壊し、打ち倒し、荒らし、滅ぼし、砕くという破壊を表現する言葉が繰り返し使われています。2,5,8節。2,5節の「呑み込み」も、破壊のことを比喩的に表現する時に使われる言葉です。破壊や滅びをあらわす異なる言葉を用いることで、その徹底さを表現しています。まさに「容赦なさらなかった」のです。2節。神は、ご自分の民を憎んだから、ここまでされたのですか。いいえ、主は愛する者を叱ったり、懲らしめたりされるお方です。黙示録3:19。
 主の怒りの凄まじさがどれほどなのかが、破壊を表す様々な言葉を繰り返し用いて表現されています。かつて「美の極み、全地の喜びと言われた都」が徹底的に破壊され、打ち砕かれたのです。哀歌2:15。5節「破壊する」6節「荒らす」8節「打ち壊す」と訳された言葉シャーハトは、「堕落する」の意味もあります。申命記9:12。聖書は、神の民が堕落して、偶像を拝むならば、神の民だとしても滅ぼされ、国々に散らされると警告されていました。たとえ、そのように怒り、破壊されたとしても、ご自分の民に対する神の愛は変わらず、あわれんでくださいます。
 さらに、主の破壊は、城壁や要塞、宮殿だけではありません。4,6〜7節を見ると、何と、主は、幕屋を破壊し、荒らさせました。つまり、エルサレムの神殿を破壊し、荒らされたというのです。「主は、ご自分の幕屋を荒らし」とまで言われています。主が大切になさるものをご自分で破壊し、投げ捨てて、ご自分を傷つけているようです。こうまでなさる主なる神様の御心を思うと、心苦しくなって来ます。
 当然、例祭の場所を滅ぼされたので、神殿での礼拝も、行事も行えません。いや、すでに形式だけだったのです。これについても、主が例祭と安息日を忘れさせ、激しい憤りをもって王と祭司を退けられたというのです。主は、偶像を拝んでいる民の例祭を拒まれ、主の御心を行わない王と祭司を退けました。民のご自分への礼拝を望んでおられる神が、ご自分の神殿をご自分で破壊し、荒らされたということが、どれほど御自身にとって辛いことではなかったでしょうか。このような主と神の民を見て、私たちは何を思うのでしょうか。

U−恵みと特権を受けていたエルサレム−
 そんなにもエルサレムを破壊し、打ち壊しているならば、主は民の敵になられたのでしょうか。確かに、破壊や打ち壊しを見れば、敵のようなのですが、そうではありません。4〜5節。主は、なぜ愛するご自分の民にたいして「敵のように」なられたのでしょうか。その原因は、神の民が預言者エレミヤの伝える主の言葉に耳を傾けなかったからです。エレミヤ7:26〜27。偶像を造り、偶像を拝んだからです。エレミヤ7:30。
 元々、エルサレムと神の民はどういう存在だったのですか。エレミヤ2:7。エジプトで苦役に苦しんでいた時に、主に助けを求め、その呻きは主の耳に届き、エジプトから救い出されて、約束の地に導かれました。彼らは神の民として守られ、多くの恵みを受けたのです。主が民に求めたのは、周りの異邦人のように偶像を拝まないように、ただ主の御声に聞き従うようにということでした。エレミヤ7:23〜24。ところが、民は聞き従いませんでした。ついに、主は言われた通り、わざわいをエルサレムに下されたのです。エレミヤ19:15。
 神の民は、神の民としての特権を持ち、多くの恵みを受けました。特権や恵みは受けるだけでしょうか。その分、要求されることもあるでしょう。今日でもそうではありませんか。たくさん与えられた人は、たくさん要求されることがあります。神の民に要求されたことは、多くありません。偶像を拝むような背きの罪を犯さない、主の御言葉に聞き従うことだけでした。イエス様を信じて救われた私たちも、主の御言葉をいただき、御言葉に生きるように求められています。
 特権を持っている者が、その権利を乱用したら、どうなりますか。乱用に応じて、特権を持つ者の罪は大きくなります。責任は、特権の大きさだけ大きくなります。主の娘シオンと特別に呼ばれたのは、特権的な称号ですが、その特権には大きな責任が伴います。神の民は、特権による祝福を受けるばかりで、その責任を果たすことはありませんでした。偶像を拝み御言葉に従わない民の姿は、周りの異邦人にどのように映ったでしょう。私たちも、イエス様を信じて救われた時、神の子という特権をいただきました。ヨハネ1:12。救いの恵みを受けました。ですから、神の子として生きているか、受けた恵みに答えているか顧みることも必要でしょう。
 罪に対する神の怒りは、神が奉仕と働きのために与えたものを人が乱用する時、主はついにそれらを破壊するようになりました。それが、今日の箇所に記されていることです。神の民は、神の民としての責任を考えるのではなく、特権の観点からのみ考えて、恵みだけ享受していました。そのような地位が、道徳的および精神的な領域における重要な義務を伴うことを悟りませんでした。
 私たちは、イエス様に救われた恵み、罪赦され新しい命を与えられた祝福、神の子どもとされた特権を享受したいと思います。それとともに、その特権にふさわしく生きているだろうか、その救いの恵みと祝福をむだにしていないだろうかと顧みます。救いの恵みをあらわし、救いの素晴らしさを精一杯証ししたいと願います。

V−悔い改める者に希望があります−
 エルサレムを徹底的に破壊された神の民はどうしたのでしょうか。10節。地に座して黙し、頭にちりをかぶり、身に荒布をまとった、頭を地に付くほど垂れたというのは、神の民の大きな悔い改めを表した姿です。旧約聖書には、しばしば神の民が悔い改める姿が登場しています。そのほとんどは、「着物を裂き、荒布をまとい、悲しみ嘆く」というものです。イザヤ37:1,エレミヤ4:8。沈黙というは、彼らの悔い改めの習慣ではありません。
 エルサレムの長老たちと言えば、以前は民に話す人々でした。長年の経験から民の相談を受け、話すことを求められました。彼らの慣習によって、長老たちは、昔の偉大な神の導きと助けを語り継ぎ、神の命令と戒めを教える働きを担っていた者たちでした。ところが、どうでしょう。彼らがして来たことは何ですか。エレミヤが、偶像を拝むことをやめて、神に聞き従うように主の言葉を伝えたが、聞き入れませんでした。
 国と民の偉大さを誇るのは簡単でしょう。しかし、御言葉に聞き従うことや自分たちの誤りを語ることはしませんでした。そのために、エルサレムの滅亡と破壊を招いたのです。彼らは、今黙っています。屈辱や傷付いたプライド、恥の沈黙でもあったでしょう。でも、それ以上に、言葉に出て来ない罪や失敗の告白と悔い改めの姿でした。彼らの沈黙そのものが、大きな悔い改めと罪の告白のあらわれだったのです。エルサレムの滅亡と破壊をもたらした責任を認めた沈黙でした。
 私たちも、時にはそのように悔い改め、黙して心を主に向けることが必要です。それとともに、私たちは、普段から御言葉に聞き従わなければ、若い頃から神の御声を求めて、聞くようにしなければと思わされます。エルサレムの民だって、子どもの頃から、神の偉大な御業とともに、主に聞き従うことを大切にすることを教えられていたなら、どれだけ良かったのにと思います。
 滅亡して破壊されてから悔い改めてもと人は言うでしょう。しかし、悔い改めて祈る者だけに希望があります。ヨエル2:12〜14。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからです。主は、悔い改めと主に帰るように勧めました。主に帰るなら、シオンに連れ帰ると約束されておられました。エレミヤ3:12〜14。これが、シオンへの良い知らせです。イザヤ40:9。
 このシオンに良い知らせを告げる者とは、イエス様のことです。イエス様を信じる私たちに、イエス様の十字架によって、罪の赦しと救いが与えられていることを感謝します。ローマ3:25〜26。悔い改めて、救いの恵みに答えて信仰生活をして行くことを願います。ヨエル2:12〜14。



哀歌2:1 ああ、主は娘シオンを御怒りの曇でおおい、イスラエルの栄えを天から地に投げ落とし、御怒りの日に、ご自分の足台を思い出されなかった。
2:2ヤコブのすべての住まいを主は呑み込み、容赦なさらなかった。憤って娘ユダの要塞を打ち壊し、地に打ち倒して、王国とその首長たちを汚された。
2:3 燃える怒りをもって、イスラエルのすべての角を折り、敵の前で右の手を引き戻し、あたりを焼き尽くす炎のように、ヤコブを焼かれた。
2:4 主は敵のようにして、弓を引き絞り、はむかう者のようにして、右の手でしっかり構え、いとしい者たちをみな虐殺した。主は娘シオンの天幕に、火のように憤りを注がれた。
2:5 主は、敵のようになって、イスラエルを呑み込まれた。そのすべての宮殿を呑み込み、その要塞を破壊し、娘ユダにうめきと嘆きを増し加えられた。
2:6 主は、園にするように、ご自分の幕屋を荒らし、例祭の場所を滅ぼされた。【主】はシオンでの例祭と安息日を忘れさせ、激しい憤りをもって、王と祭司を退けられた。
2:7 主は、その祭壇を拒み、聖所を退け、その宮殿の城壁を敵の手に渡された。例祭の日のように、彼らは【主】の宮で声をあげた。
2:8 【主】は、娘シオンの城壁を打ち壊そうと決め、測りなわでこれを測り、滅ぼすことから手を引かれなかった。塁と城壁は悲しみ嘆き、ともにくずれ落ちた。
2:9 彼女の城門は地に沈み込み、主はそのかんぬきを打ち壊して砕かれた。その王も首長たちも異邦の民の中にあり、もはや律法はなく、預言者にも、【主】からの幻を見出さなかった。
2:10娘シオンの長老たちは、地に座して黙し、頭にちりをかぶり、身に荒布をまとった。エルサレムのおとめたちは、頭を地に付くほど垂れた。


イザヤ54:8 怒りがあふれて、少しの間、わたしは顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ」──あなたを贖う【主】は言われる。

黙示録3:19 わたしは、愛する者をみな、叱ったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。

エレミヤ7:26 彼らはわたしに聞かず、耳を傾けもせず、うなじを固くする者となり、先祖たちよりも悪くなった。
7:27 あなたが彼らにこれらのことをすべて語っても、彼らはあなたに聞かず、彼らを呼んでも、彼らはあなたに答えない。

エレミヤ2:7 わたしはあなたがたを、実り豊かな地に連れて伴い、その良い実を食べさせた。ところが、あなたがたは入って来て、わたしの国を汚し、わたしのゆずりの地を忌みきらうべきものにした。

エレミヤ19:15 「イスラエルの神、万軍の【主】は、こう言われる。見よ。わたしはこの都とすべての町に、わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。彼らがうなじを固くする者となって、わたしのことばに聞き従おうとしなかったからである。」

ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

ヨエル2:12 「しかし、今でも、──【主】のことば──心のすべてをもって、断食と涙と嘆きとをもって、わたしのもとに帰れ。」
2:13 衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、【主】に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。

エレミヤ3:12 行って、次のことばを北のほうに叫べ。背信の女イスラエルよ、帰れ。──【主】のことば──わたしはあなたがたに顔をふせはしないない。わたしは恵み深いから。──【主】のことば──わたしは、いつまでも恨みはしない。
3:13 ただ、あなたがたの咎を認めよ。あなたは自分の神、【主】にそむいて、青々と茂るあらゆる木の下で、他国の男と勝手なまねをし、わたしの声に聞き従わなかった。──【主】のことば──
3:14 背信の子らよ。立ち返れ。──【主】のことば──わたしが、あなたがたの夫であるからだ。わたしはあなたがたを、町から一人、氏族から二人選び取り、シオンに連れて来る。

ローマ3:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
3:26 それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。


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