2022年8月21日「涙を流して祈れ」哀歌2:11〜22

序−いつどんな時涙を流されましたか。涙には、目の機能を保護する基礎分泌の他に、外からの刺激に対する反射の涙と感情による涙があります。泣くことには大きな心理効果があります。今日の箇所にも、悲しみと痛みで多くの涙を流し、泣いて祈る姿が記されています。

T−涙で目がつぶれ、心がかき回され−11〜16
 バビロンの攻撃で破壊され、崩れたのは、町や城壁だけではありませんでした。その中に住んでいた人々の心や家庭も破壊されました。現代社会も、経済が破綻し、社会が混乱することによって、人々の心や家庭が崩れ、破壊されています。
 涙の預言者と呼ばれるエレミヤも、自ら慟哭して、エルサレムの人々の様子を記しています。11節前半。「目がかすむ」と訳されていますが、ちょっと涙が出てかすむどころではなく、原語はもう泣き過ぎて、目がつぶれているという意味です。「はらわたはかき回され」も、はらわた、つまり心がかき回されて痛んでいるということです。「肝は地に注ぎ出された」とは、感情が出し尽くされた、うつ状態を示しています。あまりの惨状に悲しくて、心が痛くて、うつ状態になって泣いていたのです。
 その理由は、何でしょう。11〜17節。最も大きな理由は、子どものことでした。11〜12節。バビロンに囲まれて籠城し、その後破壊され、人々は極度の食料不足で飢餓に苦しんでいました。真っ先に影響を受けるのは、乳の飲めなくなった乳飲み子や体力のない幼児です。衰え果てて、食べ物を求めながら、死んで行きました。その光景は、母の心をかきむしりました。どれほどの痛みとなったことでしょう。慟哭し、涙はあふれ、内臓が張り裂けて、飛び出して来るような感情でした。私たちも、子どものことでは、そんな感情に陥ったことがあるでしょう。
 彼らの心の傷は大きく、癒されることがありませんでした。13節。いや、預言者エレミヤの伝える主の言葉から慰めと癒しは教えられていましたが、耳を傾けませんでした。悔い改めを拒みました。自分たちの思いに合ったむなしい、ごまかしの言葉しか伝えない他の預言者の言葉だけを聞きました。14節。でも、それによって癒しや慰めを受けることはありませんでした。エレミヤの伝える言葉は、心が塞がり、聞けなかったのでしょうか。私たちも、心が痛み、落ち込んで来ると、一時御言葉が心に入って来ない時があるでしょうか。
 さらに、追い討ちをかけるように、異邦人たちが神の民の惨状を見て、手を叩いて喜び、嘲るのでした。15〜16節。エルサレムは、周りの国々から羨望の的、妬みの対象でした。普段なら気にならないことでも、彼らの嘲りやののしりが心に刺さり、えぐられるようだったでしょう。涙があふれました。私たちも、いつもならば人々の何気ない言葉や行動と思えることでも、心が落ち込んでいる時には気になり、心がかき乱され、痛く感じることがあるでしょう。
 こうして、民は精神的に破壊されて泣き続け、涙を流していました。しかし、涙は、泣くことで少しずつ人々の心を変えて行きました。涙の専門家は言います。涙はコルチゾールというストレスを低下させる成分を含み、ストレスホルモンを対外に排出するデトックス効果があるそうです。また、涙には苦痛を和らげるエンドルフィンというホルモンも含まれており、その鎮痛効果はモルヒネよりも大きいと言われています。
 イエス様が十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かっている時、イエス様は、「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい」と言われました。ルカ23:28。私たちも、泣く必要があります。

U−川のように涙を流せ−17〜18
 泣いて行くうちに、人々は、エルサレムの滅び、破壊は、主がバビロンを用いられたのだという霊的意味を受け止め、主に立ち返り、泣きながら主に祈るようになりました。17〜18節前半。人々は、主に向かって心の底から叫んで、祈りました。エレミヤは、人々がもっと涙を流して祈るように勧め、命じました。18節。
 エレミヤは、「昼も夜も、川のように涙を流せ」と勧めています。「あなたの瞳を休ませてはならない」と言うほど、涙を流して、祈り続けなさいというのです。涙は普通一日で0.6〜1cc流れて、目を守ってくれるそうです。ところが、泣くと一粒0.2ccの涙が流れます。相当な量が流れ出ます。涙は目を湿らせ、異物を洗い流しますが、悔い改めの涙は、心のおりのようなものを流し出してくれます。
 なぜ、そんなに涙を流して祈るように勧めているのでしょうか。涙は、目を守るという肉体的な効用をはるかに越えて、精神的な効果が大きいからです。泣くことで副交感神経が働き、気持ちが落ち着くというリラックス効果があります。人は、涙を流すことで、自分の本当の気持ちに気付き、自分に対する理解を深めたり、自分を解放したりするようにもなるそうです。カウンセリングの専門家も、泣くことは治療において大きな効果があると言っています。
 エルサレムの惨状に痛んだ心を癒し、マイナスイメージに囚われた感情を解放させる働きがあります。籠城と破壊の中で、傷付き、疲弊した人々の心と感情が涙の祈りによって癒される必要がありました。涙を流し祈ることで、心が落ち着いて来ます。気持ちが冷静になり、物事が整理されて状況を把握することができるようになります。聖霊が働いてくださり、私たちに霊的な気付きと洞察力を与えてくれるからです。
 私たちは、子どものためにどれほど涙を流して、祈りましたか。夫婦のために泣いて、祈りましたか。仕事のために祈りながら、涙がこぼれましたか。私たちも、時には川のように涙を流し、祈らなければならない必要があるでしょう。詩篇の詩人は、歎き疲れて、泣きながら寝ることが続くが、やがて主が自分の切なる祈りと泣く声を聞かれたと賛美しています。詩篇6:6〜9。泣きながら祈る者は、喜びをもって生きるようになると言っています。詩篇126:5〜6。
 この涙には、それまでの嘆き、悲しみの涙ばかりではありません。悔い改めの涙、感謝の涙もあります。悔い改めの涙、感謝の涙は、神様を感動させ、お心を動かします。信仰の先輩たちも、どうにもならない時涙を流して祈り、神の働きを得ました。詩篇6:6〜7,U列王20:1〜3。私たちは、どうにもならない時には、神の前に泣きながら祈ります。そして、信仰をもって物事を受け止めます。その涙は、私たちを信仰的成熟へ導きます。

V−主に向かって両手を上げよ−19〜22
 エレミヤが民に勧めた祈りは、祈りが何であるかを教えてくれます。19節。特に、幼子たちのために祈るように勧めます。11〜12節にあったように、人々の慟哭は、幼子たちのことが一番の原因でしたから、彼らの幼子たちのために祈るように勧めました。生き残った子どもたちこそ、神の民の復興を担う者たちだからです。私たちも、子どもたち、孫たちのために祈らなければなりません。霊的な子どもたち、つまり心に覚える人々のために祈ります。子どもたちが、親からの愛を受けられず、親に祈られることがないとしたら、霊的な孤児と変わりありません。
 祈りは、心を水のように主に向かって注ぎ出す行為だと教えています。「水のように注ぎ出す」というのは、どういうことでしょう。氷のように頑なだった心が溶け出して、素直に自分の心が主に向かっているということです。注ぎ出されるのですから、心にある思いをすべて主に申し上げるということです。20〜22節。何と、籠城の飢餓の中での地獄のような惨状が告白されています。「そんなことがあってよいのだろうか」と主に抗議しています。そんなことは、心の奥底にしまっておきたいことでしたが、主の前に溶け出して、注ぎ出されました。
 私たちが泣きながら悔い改めの祈りをする時、心の奥底に隠されていた思いが、水のように溶け出して主に向かって注ぎ出されることを経験します。今までの不従順だった人生、悪しき習慣、頑なな固い心が溶けて、水のように主に注ぎ出されます。でも、その時、主の愛と憐れみが私たちに水のように注がれるようになります。癒しと希望が流れ込んで来ます。
 エレミヤは、「主に向かって両手を上げて」祈るように言っています。なぜ、手を上げて祈るのですか。「主よ」と叫び祈るその時、手に何も持っていないということです。「空手で御前に出て来ました。満たしてください」と助けを待っている手です。「私は罪人です。汚れた手です。私をきよめてください」と罪の赦しを求める手です。手を上げるとは、降参しますという姿です。ですから、手を上げて祈るというのは、神様の前に降伏して、完全に自分を委ねますということです。神様を信頼して問題をお任せするのです。
 イエス様も、エルサレムのために泣いて、嘆かれました。マタイ23:37。イエス様は、涙で人々を救ってくださいました。ヘブル5:7。私たちの救いのために、イエス様が十字架に渡されました。神の御子が犠牲となられたことで、私たちが神の子どもとされました。今日出て来た悲しみ、嘆きを十字架に負ってくださいました。十字架の犠牲によって、私たちの痛みと苦しみに癒しと救いを与えてくださいました。詩篇126:5〜6。



哀歌2:11 私の目は涙でかすみ、はらわたはかき回され、肝は地に注ぎ出された。私の民の娘の破滅のために。幼子や乳飲み子が都の広場で衰え果てている。
2:12 彼らは母親に言い続ける。穀物とぶどう酒はどこにあるのかと。町の広場で負傷した者のように衰え果てたときに、母の懐で息絶えそうなときに。
2:13 娘エルサレムよ。私はあなたをどう証言し、何になぞらえよう。おとめ、娘シオンよ。あなたを何に比べて、あなたを慰めよう。実にあなたの傷は海のように大きい。だれがあなたをいやすことができよう。
2:14 あなたの預言者たちは、あなたについて、むなしい、ごまかしの幻を見た。あなたの咎を暴いて、あなたを元どおりにしよとはせず、あなたについて、むなしい宣言と、惑わすことばの幻を見た。
2:15 道行く人はみな、あなたに向かって手を打ち鳴らし、娘エルサレムを嘲って頭を振り、「これが、美の極み、全地の喜びと言われた町か」と言う。
2:16 あなたの敵はみな、あなたに向かって大きく口を開いて、口笛を吹き、歯をむき出しにして言う。「われわれがこれを呑み込んだ。ああ、これこそ待ち望んでいた日。これに巡り会い、じかに見た」と。
2:17 【主】は計画したことを行い、昔から告げていた自らのことばを成し遂げられた。滅ぼして、容赦せず、あなたのことで敵を喜ばせ、逆らう者の角を高く上げられた。
2:18 彼らは主に向かって心の底から叫んだ。娘シオンの城壁よ。昼も夜も、川のように涙を流せ。自分に休みを与えるな。あなたの瞳を休ませてはならない。
2:19 夜、見張りの始まりに、立って大声で叫べ、あなたの心を主の前に、水のように注ぎ出せ。あなたの幼子たちのために、主に向かって両手を上げよ。彼らは街頭のいたるところで、飢えのために衰えきっている。
2:20 「【主】よ、よくご覧ください。だれにこのようなしうちをなさったのかを。女たちが、自分の胎の実を、養い育てた幼子を食べてよいでしょうか。祭司や預言者が、主の聖所で虐殺されてよいでしょうか。
2:21 幼い者も年寄りも道端で地に横たわり、若い女たちも若い男たちも剣に倒れました。あなたは御怒りの日に虐殺し、屠り、容赦されませんでした。
2:22 あなたは、例祭の日のように、私の恐怖を、四方から呼び集めました。そのため【主】の御怒りの日には、生き残る者ものがれる者もいませんでした。私が養い育てた者たちを、私の敵は滅ぼし尽くしました。」


ルカ23:28 しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。

詩篇6:6 私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。
6:7 私の目は、いらだちで衰え、私のすべての敵のために弱まりました。
6:8 不法を行う者ども。みな私から離れて行け。【主】は私の泣く声を聞かれたのだ。
6:9 【主】は私の切なる願いを聞かれた。【主】は私の祈りを受け入れられる。

詩篇126:5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。

ヘブル5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。

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