2023年2月5日「信仰が現れる前と後」ガラテヤ3:23〜29

序−年度が変わると、新しい学校や仕事が始まります。学校や職場、制服や資格等の変化は、その人の環境が変わるだけでなく、その人自身をも変化させます。身分や制服に合う行動になります。信仰も、信じる前と信じた後では、大きな違いがあり、変化が生じます。

T−信仰が現れる前と信仰が現れた後−23〜25
 神がイスラエルの民に律法を与えられたのは、律法によって彼らが罪人であることを悟り、キリストを信じることによって神の約束、神の救いを受けるようにするためでした。しかし、彼らは、割礼や律法を誇るだけで、律法を守ることなく、神の民らしく歩みませんでした。人々は、信仰によって救われる福音が提示されるまで、律法によって閉じ込められていました。23節。人が牢獄に閉じ込められたように、重い罪に囚われて生きていたというのです。
 律法が信仰の時まで私たちは閉じ込められていましたが、律法は私たちをキリストへ導く養育係であったと言っています。24節。養育係とは、当時主人の子供を世話するしもべのことです。学校に連れて行くことをしても、学問を教えたりはしません。主人の子供が成年になると彼の養育係としての役目は終わります。律法は、神の民を教えますが、救いの福音であるイエス・キリストが来られるまでだけの役割を果たすにすぎません。人を救い、変えることはできません。
 救いを得ることは、私たちの代わりに十字架で死んで復活されたイエス・キリストを信じる信仰しかありません。律法は、その事実を私たちに知らせる役割をするものなのです。そして、今やイエス様が私たちの救いのために十字架で死んで復活したという福音が明らかにされたので、もはや影のような律法に閉じ込められる必要がなくなりました。25節。イエス様を信じる聖徒たちは、律法から自由になりました。
 イエス様が世に来られた歴史的な出来事によって、律法の使命は終わりました。したがって、目標が達成された律法は、もはやキリストの中にいる成長した子供たちを支配することはできません。ローマ7:6。イエス様を信じて救われた者にとって重要なのは、変化ということです。信仰が現れた後、どのような存在に変わったのかということです。イエス様を信じても、人生は依然として人生の問題が多く、痛みを伴うならば、いつの間にか世の方法に目を向け、しだいに十字架による福音の道に対する興味を失うことになります。ですから、どのような存在になり、どう変わるのかを知り、そのように生きることを願うことが重要となります。

U−神の子供とされ、キリストを着た−26〜27
 現代の聖徒たちの中には、イエス様の十字架による救いを信じた後、自分にどのような変化が起こるのか関心がない人がいます。変わることを知らないのです。しかし、大きな変化が起こると約束されています。実際にも、大きな変化が起こります。この変化は、私たちの永遠の人生を決定するだけでなく、地上の生活にも大きな変化をもたらします。では、私たちがイエス様を信じた時、どのような変化が起こり始めるのでしょうか。
 まず、キリスト・イエスにあって神の子どもとなりました。26節。罪の奴隷から神の子どもとなりました。神の国の民になりました。ピリピ3:20。天地万物の創造主、すべてを支配されるお方である神の子どもです。とんでもない身分の変化です。ただイエス様を信じただけで、神の子どもとなりました。ヨハネ1:12。
 何か身分や資格を得ようとしたら、今の時代大変な労苦と手段が必要です。私たちも、人生において、ある資格や身分を得るために大変な労力や時間をかけたでしょう。得ることができたものもあり、得られなかったこともあります。それで苦しみ、悩み、落胆したこともあるでしょう。
 しかし、神の子どもになるには、厳しい条件も、何の手段も労苦も必要ありません。ただ一つ、イエス・キリストを自分の救い主、私の神として受け入れるだけです。ですから、信仰告白をしてください。自分が滅ぶしかない罪人であることを認め、イエス・キリストが神の子であり、私の罪の代わりに十字架で死んだ救い主であると信じますと告白してください。一瞬で神の子どもとなります。一生涯その身分は変わりません。誰もそのことを侵害することはできません。
 そして、次の変化は、服装の変化です。27節。イエス様を信じて洗礼を受けた者は、キリストを着たというのです。キリストを着た?キリストの服を着たとはどういう意味ですか? 私たちがイエス様を信じて洗礼を受けると、私たちはイエス・キリストを着た人たちになります。イエス・キリストが私たちの服になったのです。服装は、その人の身分、職業、地位、性別、文化、好み、貧富などを繁栄していると言われます。確かにある程そう言うことができるでしょう。
 着る、エンデュオーという言葉は、兵士が軍服を着るという意味です。制服のイメージです。そういう意味で、キリストを着るのです。ローマ13:14。制服は、その人をその身分に相応しくさせる効果があります。皆さんも、学生や仕事での制服を着た経験を思い出してください。制服は、その人の身分や職業、所属や地位などを表わし、それにふさわしく振舞わせたのではなかったでしょうか。
 そのように、神様の子どもになった聖徒たちは、その日常生活が隠れずにキリストの服を着た者らしく現れなければならないということになります。規制させるのではありません。キリストを着ていると意識すれば、私たちの生活は自然にクリスチャン、キリストに属する者に相応しくなるのではないでしょうか。
 イエス様の例え話の中に、放蕩息子の話があります。ルカ15:11〜24。弟息子が放蕩した挙句、豚飼いに身をやつして戻って来た時、父親が一番先にしてくれたことは何ですか。臭くて汚れた服を脱がせて、一番良い服を着させたことです。身分の変化です。あなたの子と呼ばれる資格はありませんと言った息子に対して、体を洗って、息子に相応しい服を着させたのです。死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったと言って、一番良い衣を着せてくれました。
 これが、イエス・キリストを信じて救われ、キリストを着る生活です。勇気を出して父の家に帰ったなら、その間の罪の中での虚しかった過去が終わり、父の息子の身分を瞬時に回復するようになったのです。罪赦された聖徒は、天国で白い衣を着るようになります。黙示録7:9。

V−キリストにあって一つ、約束の相続−28〜29
 三つ目の変化は、キリスト・イエスにあって一つとなることです。28節。神の子どもは、キリスト・イエスの中で誰でもみな一つです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。人種、身分、性別の違いはあり得ないということです。Tコリント12:12〜13。
 このリストは、互いに対立した人間関係が現れます。 ユダヤ人とギリシャ人は、人種的な対立です。 奴隷と自由人は、 身分の対立です。 そして、男と女は性別の対立です。 どの対立関係も、キリストにあって和解し、一つとされます。神の子供になるというのは、そういうことです。
 私たちの周りの人々、家族や友人、学校や職場などの人間関係に、不和や対立はありませんか。あるならば、主に助けを求めてください。自分と相手の間に主が来てくださり、平和を与えてくださるようにしてください。人間関係の中心に主を迎えるなら、和解できない関係はありません。まずイエス様を心に迎えた私たちが、和解の使徒になるのです。イエス様の犠牲で救われた私たちも、回復のために犠牲を払います。
 互いの違いを克服するのは、容易なことではありません。火星人と金星人と言われるほど男女の違いがあります。夫婦関係が大変ならば、主に祈って主に介入してもらい、主の導きに従いましょう。
 そして、四番目の変化は、約束による相続人となることです。29節。イエス様を信じることによって、アブラハムの祝福の相続人となるというのです。アブラハムの約束の相続人になったと言われても、あまり実感がないかと思います。約束の地カナンのように、土地を相続するわけではないし、羊のように財産を受け継ぐことでもないしょう。どういうことですか。
 神様がアブラハムに約束された祝福は何でしたか。創世記12:1〜3。土地、子孫、他の人々まで祝福してくださいました。天国を相続し、地上の繁栄も相続します。イエス様の十字架の犠牲による救いを信じたのですから、祝福や恵みを期待してください。アブラハムの約束の相続人になったのですから、神様の祝福や恵みを誰かに受け継ぐ者となってください。
 イエス様の十字架の犠牲による福音を知って信じるようになり、神様の子どもの特権を知り、信仰により義とされ、イエス様の中で神様の子どもとして生きていくことがどれほどの恵みであるかに感激し、誇りに思い、栄光であるか証して生きましょう。
 今私たちは、信仰による祝福の約束によって、新しい人格で生きることができる者とされています。 主の力を求めると私たちに力を与えられ、私たちはみことばに従って生きることができます。 この時、私たちは自分も知らないうちに昔の人の姿が消えて、新しい人に変化していく自分の姿を発見することができるでしょう。Uコリント5:17。



ガラテヤ3:23 信仰が現れる前、私たちは律法の下で監視され、来るべき信仰が啓示されるまで閉じ込められていました。
3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。
3:25 しかし、信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません。
3:26 あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。
3:27 キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。
3:28 ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。
3:29 あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。


ローマ7:6 しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。

ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

ローマ13:14 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。

ルカ15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

Tコリント12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。





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