2023年2月12日「アバ、父よ」ガラテヤ4:1〜7

序−ある宣教師は、献身的に奉仕し、一生懸命働き尊敬も受けましたが、喜びがなく、いつも不安でした。ある日、今日の箇所を読んで、大きな感激と喜びを感じました。自分はこれまで「しもべの信仰」を持っていたことに気づいたのです。そして、「子としての信仰」に変わりました。きっと私たちも、同じ経験をするでしょう。

T−しもべの信仰−1〜3
 それでは、「しもべの信仰」とは、どんなものなのでしょうか。今日の箇所には、イエス様を信じて救われる前は、「奴隷と何も変わらなかった」と言われています。1節。律法の下にあるということは、神と私たちの関係が主人と奴隷の関係のようだというのです。律法は、守ることを強制するのですが、守ることを助けてくれません。そして、守れなければ、罰と裁きが待っています。
 神様と私たちの関係が主人と奴隷の関係になっていれば、神に認められるために何かをしなければならないという思いになり、律法を守るという行為にとらわれるようになります。奴隷は、刑罰を恐れて従おうとするだけです。自ら喜んで従うわけではありません。クリスチャンらしく生きようと努力するのですが、喜びはなく、倦みつかれてしまいます。
 私たちは、イエス様に出会う前は、神でないものの奴隷になり、神のようにそれらに仕えました。3節。イエス様に出会って神を知り、救われて奴隷の身分から解放されました。新しく変えられて行く者となりました。ローマ12:2。ところが、世に生きているので、以前の考え方や価値観の影響を受け、世のしもべに戻ってしまいます。問題が起こると、世が良く思えて、御言葉を離れて、世に従うようになります。これが、信仰の試みです。ガラテヤの聖徒たちは、これに陥ったのです。しもべ、奴隷に戻ったのです。
 しもべ、奴隷になっている聖徒たちを後見人や管理者の下にある相続人に例えています。1〜2節。相続人が幼い子どものうちは、相続を受けていないので、しもべや奴隷と同じような状態です。子どもと訳されている原語は、赤ちゃんのような幼い子どものことです。ですから、相続人ではあっても、父が定める後見人や管理者の下に置かれます。信じて救われていても、救いの恵み、祝福を得ていないので、相続していない幼い子どもと同じだと言っているのです。祝福を受けるべき子とされているのに、子としての恵みを味わっていないからです。ガラテヤの聖徒たちは、後見人や管理者の下にあるしもべのように律法に縛られていたのです。
 私たちも、信じて救われて子とされているのに、その恵みを味わっていない、子としての祝福を体験していないのであれば、相続していない子どもと同じだというのです。子とされている恵みを忘れ、子として受けるべき祝福を知らないで、しもべのように苦しい頑張りをして、奴隷のように罪に虐げられるのです。私たちも、時としてそんな状態になってしまうことはないでしょうか。
 多くのクリスチャンが、そのような辛い信仰生活をしています。自分の努力で信仰し、自分の頑張りで成長しよう、自分の功績で認めてもらおうとするのです。それは、喜びのない苦しい信仰生活です。クリスチャンとしてのアイデンティティーを失っているのです。救われた者がどんなに素晴らしい者とされているのか知らないのです。

U−時が満ちて、子としての身分を受け−4〜5
 時が満ちて、神はご自分の御子を世に送ってくださいました。4〜5節。イエス様の救いを知らずに、世のしもべ、罪の奴隷のようになっていた人々に、神は御子イエス様を与えてくださいました。神の子としての身分を受けられるようにしてくださいました。
 「女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました」とは、御子イエス様が罪ある人々と同じようになって世に来られたということです。人の罪を身代わりに受けるために、律法の下に裁きを受ける人と同じようになられたのです。そして、イエス様は、十字架にかかられて、人々の罪を贖ってくださいました。エペソ1:7,マタイ20:28。罪のない神の御子が、罪のある人々の肉体を着て、罪のある人々と同じ姿で来られ、罪の下にある人々の代価となられて、十字架に死なれたのです。Tテモテ2:6。
 イエス様は、律法の下にある人々を自由にし、罪と滅びの定めから解放し、神の子とするために律法の下に来ました。私たちがしもべ、奴隷ではなく、神の子としての身分を受けるために、神の御子を送ってくださいました。律法の束縛の下にいる者たちを罪と滅びから救い出し、神様が私たちをご自分の子として受け入れられる根拠を与えようと、十字架で死なれたのです。ビリピ2:8。
 子としてのアイデンティティーを見失って相続できない幼い子どもでいた聖徒たちに、子とされていることを知らせ、思い出させました。「あなたがたは、しもべ、奴隷ではなくて、神の子どもとされている、祝福の相続人だ」と宣言されているのです。ローマ8:17。父なる神がイエス様に対して言われたように、私たちに対しても、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」と言ってくださいます。マルコ1:11。
 これが、私たちの祝福です。滅ぶしかなかった罪の奴隷が神の子になったことよりも驚くべき恵みや祝福があるでしょうか。神様が私たちを、「わたしの息子、わたしの娘」と呼んでくださるのは、感動的です。
 アメリカの父親がいない子どもの話です。そのために村でいじめられていたその子は、村によい話をしてくれると言う若い牧師の話を聞いてみたいと礼拝に出てみました。礼拝が終わり、出口で牧師の挨拶を受けた時、「あなたは誰の子か」と言われてドキッとしますが、「あなたは神の愛する子だ」と言われて、生き方が変わりました。やがて養子とされました。
 本来、その子どもでない者が子とされることを養子と言います。養子にする方は色々な要件がありますが、養子となる方はただ受け入れるだけです。神の子どもとされることもそうです。ヨハネ1:12。「この方を受け入れた人々、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」のです。でも、私たちを罪のしもべから神の子として養子とするためにイエス様が支払った代価は、罪のない神の御子であるご自身でした。
 神の子どもとされた者は、神の愛を受ける者になりました。それなのに、自分を判断するのを自分に置いてしまうと恵みの座からすべり落ちてしまいます。自分はクリスチャンらしくない、努力が足りない、自分はだめだと思うのです。私たちがいつも覚えておくべきことは、私は神の子とされたということです。ただ十字架の主の愛を覚え、恵みの御座に堂々と進むことです。ヘブル4:16。神の恵みに応答して生きることです。

V−子としての信仰−6〜7
 社会では、親子の間で心をやりとりできないことが多いそうです。 私たちはイエス様を受け入れることによって神の子どもになりました。 子どもとしてのすべての権利を与えられました。神の子どもとなれば、資格が与えられるばかりでなく、神様との関係も変わります。6節。神は、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。イエス様を信じることで与えられる特別な恵みの一つは、聖霊、御霊です。聖霊が私たちの中で住んでいてくださるのです。ヨハネ14:16〜17。
 そして、驚くべきことは、聖霊が神様を親しく呼ぶようにしてくれるということです。「アバ」とは、父親と深い愛情関係にある子どもによって用いられる、父というより、お父さん、お父ちゃんという親しみを込めた呼び方です。どんなに親しく、信頼している呼びかけでしょうか。イエス様も、十字架を前にしたゲッセマネでの苦しい祈り中で「アバ、父よ」と呼びかけられました。マルコ14:36。
 私たちが普段「父なる神様」と呼ぶのはあまり感動がないでしょうが、特に困難な時、「お父さん、お父ちゃん」と叫ぶことができるのは、どれほど大きな力であり、励ましとなることでしょうか。感動するでしょう。御子イエス様を私のために十字架に渡されたほど自分を愛してくれる神を信頼して、時には「アバ、父よ、お父さん」と呼んでみましょう。
 例話の子どもは、牧師からその後「今からは神様の息子らしく見事に生きなければならない!」と言われ、そのように生きるようになり、やがて州知事までなりました。神の子どもは、子としての祝福と恵みを受けるようになります。7節。様々な賜物を受けて、神の子どもとして相応しく生きるようになります。Tペテロ4:10。
 神の子どもは、神の愛を受ける者です。子どもはお父さんである神の言葉を聞いて、従います。しもべが仕方なく主人に従うようではなく、自分を愛してくれるお父さんに喜んで従うのです。私たちの自由の人生は、神の愛を受けて始まり,神の御言葉を聞いて従うところにあります。
 堂々と神様の子としての身分意識を持って生きてください。イエス様を信じれば、明らかに神様の子どもです。 世の人とは違います。神の子とされているという明確な身分意識を持ってください。 このクリスチャンのアイデンティティーを持ってください。私たちは、お父さんである神様から永遠の命と天国を相続として受けた子どもです。神の子どもになったことを感謝し、祝福と恵みを受けて、喜んで御言葉に従って生きましょう。 そうする時、喜びと幸せがあります。ローマ8:14〜15。



ガラテヤ4:1 つまり、こういうことです。相続人は、全財産の持ち主なのに、子どもであるうちは奴隷と何も変わらず、
4:2 父が定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。
4:3同じように私たちも、子どもであった時には、この世のもろもろの霊
の下に奴隷となっていました。
4:4 しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。
4:5 これは律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。
4:6 そして、あなたがたは子であるので、神は「アバ、父よ」と呼ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。
4:7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。


エペソ1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。

Tテモテ2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。

ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

ローマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。
8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

マルコ1:11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」

ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

マルコ14:36 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」





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