2023年2月26日「愚かな逆戻り」ガラテヤ4:8〜11

序−大和の国の戦国武将筒井順昭は、2歳の跡取りを残して病死する前に木阿弥という僧を影武者としました。木阿弥の大名としての暮らしは、跡取りが成長したら突然終わり、元の僧侶木阿弥に戻りました。一度良くなったことが元に戻ることを「元の木阿弥」と言う故事成語となりました。今日の箇所には、聖徒たちの元に戻った愚かな姿が示されています。

T−かつて神を知らなかったが今は知られている−8〜10
 逆戻りになっていることを知るには、かつての姿に言及しなければなりません。ガラテヤの聖徒たちがかつて神を知らなかった時の姿を思い出させています。8節。福音を聞いて救われる以前の姿は、どんな姿ですか。当時この地域は、占星術という占いが盛んでした。この地方のルステラとイコニオムにはギリシャ神話の神殿がありました。イエス様を知る以前のガラテヤの聖徒たちは、偶像崇拝と諸々の慣わしや因習に囚われていました。そうした神ではないものの奴隷でした。
 現代でも人は、まことの神様を知らないと、心の空洞に何かを埋め尽くして生きることになります。 お金を求めて生きればお金の奴隷になり、快楽を求めて生きれば快楽の奴隷になり、権力を求めて生きれば権力の奴隷になります。 何かに囚われて、その奴隷となって生きるのです。使徒パウロも、かつて世の権力や名誉、知識のようなものを追い求め、クリスチャンを迫害する道を走っていました。
 私たちのかつて神を知らなかった時の姿は、どうだったのでしょうか。私たちは、どんなものを神のようにしていましたか。どんなものに心が囚われて生きていましたか。どんなものをよいものと思い追求していましたか。パウロのように誤った道に進んだことがありましたか。どう生きてよいか分からず、むなしく、辛かったでしょうか。頑張って倦み疲れ、燃え尽きたでしょうか。
 ところが、そんな姿であったガラテヤの人々は、パウロから十字架による福音を聞き、イエス様を信じるようになりました。罪の赦しと新しい命を与えられ、そのような状態から解放されました。自由になり、新しい人生を歩み出しました。
 9節前半を見てください。今では神を知っていると言っています。聖書を通して、まことの神がおられるということを知りました。神様のご性格、御心とご計画、宇宙万物を創造し、すべ治めておられること、救いの御業を聖書を通して知ることができました。聖書を通して神を知ることができます。聖書を読んでください。
 「今では神を知っている」というのは、単に知識として知っているということではありません。自分と神様との間に交わりがあるということです。神は人格的なお方です。ですから、神様と交流、交わりがなければなりません。私たちは、イエス様の十字架による福音を信じることで、救われ、罪赦され、新しい命をいただいただけでなく、神の子とされました。ヨハネ1:12.子とされたなら、人格的な交わりが与えられます。
 神様との人格的な交わりとは、神様が私たちの人生に関わって来られます。日々の生活をどのように導かれるのか、神様が好まれることや嫌われることを知ることになります。神様を知れば知るほど、感謝し、礼拝するようになります。御心に従うようになります。
 驚くべきことに、「いや、むしろ神に知られている」と言っています。9節前半。私が神を知る前に、神が私を知っておられたのです。どれほど知っておられるのでしょうか。詩篇139:1〜4。行動も考えもすべてです。神が私を知っておられて、私は神の特別な関心の対象になりました。私が神を選んだのではなく、神様が私を選ばれたのです。ヨハネ15:16,エペソ1:4〜5。神が私を知っているからこそ、私の人生に関わり、導いてくださるのです。どれほど素晴らしいことでしょうか。

U−奴隷に逆戻りして−9〜10 Uペテロ2:19〜22 箴言6:11
 ガラテヤの聖徒たちが、偶像の奴隷からイエス様を通して神の子とされたということは、大変な幸いでした。しかし、何とガラテヤの聖徒たちは、そんな素晴らしい救いの体験をしながら、元の奴隷のような姿に戻ってしまったというのです。9節。子であるのに、しもべに戻ろうとしたのです。イエス様の十字架を信じただけでなく、割礼を受け、律法を行わなければ駄目だと言うユダヤ人に従ったのです。
 「弱くて貧弱なもろもろの霊」というのは、福音を信じる前に持っていた、囚われていた貧弱で愚かな世の原則という意味です。そのような例が10節の「いろいろな日、月、季節、年を守って」いるという姿です。ユダヤ人の定めもあり、暦の占いのような自分たちの慣習もあったことでしょう。心の中で霊的な偶像崇拝をしている人はたくさんいます。多くの人が自覚のないまま、元の囚われの状態に戻ってしまいます。私たちは、どんな逆戻りをしたことがありますか。以前の罪の習慣、昔の肉の思い、かつての自己中心へ戻ってしまうことはなかったでしょうか。
 ガラテヤの聖徒たちは、イエス様を信じて頼るのではなく、自分の行為を誇りました。神様の御心を聞いて従うということから、自分の肉の思い、自己中心に戻ってしまいました。なぜ、奴隷の状態に戻ってしまうのでしょうか。かつてそのような愚かな世の原理に囚われて生きていたので、何かがあると容易に戻ってしまうのです。いや無自覚に引き戻されてしまうのです。ですから、御言葉を聞いて元に戻っていないかを確かめます。
 元の姿に戻ることは、大変危険なことです。福音から離されることになるからです。元に戻っている姿は、自分の状態がどれほど深刻なものであるかを知らずに、楽観的に考え、危機に対応していない姿です。自分の危機を危機と認識できないのも病気です。主を知っている、主に知られているということは、自分の姿と霊的病気を知り、主に立ち返らせます。9節。
 福音による自由と特権を知って、神が示してくださった愛と憐れみが大きければ大きいほど、それらを奪われて苦しむ彼らの罪と愚かさはますます大きくなります。元に戻るということは、そういうことです。偉大な救いの恵みと祝福から、引き離されるからです。
 苦しい空しい状態から救い出されたのに、そこに戻ったりしないでしょうと人は思います。せっかく解放されたのに、好き好んで奴隷に戻りたい人がいるだろうか。しかし、「犬は自分の吐いた物に戻る」とか、「豚は身を洗ってまた泥の中に転がる」ということわざがあるように、人にはそういう愚かな逆戻りがあるのです。Uペテロ2:22, 箴言6:11。

V−元に戻ろうとする習慣を断ち切る−11, Uペテロ2:20 ヘブル6:5〜6
 人には、ことわざのように元の良くない状態に戻ろうとする習慣があります。Uペテロ2:20〜21。イエス様を信じた聖徒たちも、霊的造り変えの過程、工事中です。ですから、私たちには、かつての罪の奴隷に、肉の思いに戻ろうとする傾向が残っています。どうしたら、よいでしょうか。
 まず、御言葉を通して肉の思いがどれほど醜悪で恐ろしいものか悟ることが必要です。Uペテロ2:20。罪の奴隷に戻ることは、とても悲惨なことだと知ることです。ガラテヤの聖徒たちには、その自覚がありませんでした。罪の奴隷に再び戻るなら「初めの状態よりももっと悪いもの」となるというのです。救われてクリスチャンになる前よりも悪くなる可能性があるというのです。昔の自分に戻ろうとしているのを気付かなければなりません。御言葉と周りの人々の反応が教えてくれるでしょう。
 救われる以前の状態に戻るなら、悲惨どころか「神の子をもう一度十字架にかけて、さらしものにする人たちだ」と言われています。ヘブル6:5〜6。イエス様の十字架の犠牲によって罪の奴隷から解放されたのに、再び罪の奴隷に戻ることは、またイエス様を十字架にかけることになるからです。イエス様を信じた後、自分の肉の思い自己中心へ戻ってしまうなら、とても恐ろしいことです。
 こんな残念な姿はありません。ですから、パウロは、少し感情的になって、ガラテヤの聖徒たちに対する自分の心配を吐露しています。11節。パウロがガラテヤの聖徒たちのために経験したすべての苦労が無駄だったことになるかもしれないと、自分の苦労のことを言っているように見えますが、そうではありません。パウロが彼らのためにした過去の記憶、つまりガラテヤの聖徒たちが喜んでパウロを受け入れ、純粋に福音を信じたたことの記憶を呼び覚ますように、彼らに訴えているのです。.
 もちろん、ガラテヤの聖徒たちが本当に元に戻って、福音から離れるようなことになったら、パウロはどれほど心痛むことでしょうか。自分の労苦がむだになるというようなことでなくて、ガラテヤの人々のことを思って心が痛むのです。私たちも、誰かのために労苦することがあります。その人が成長し、霊的に成熟するのでなくなり、元の罪と世の原理に支配されることに戻るとしたら、とても残念なことであり、その人を思って心が痛むことでしょう。
 いや、もし私たち自身が元の救われる以前の状態に戻るとしたら、私のために犠牲となられた主がどれほど悲しまれるでしょうか。私たちのために労苦してくれた信仰の友がどれほど痛み、残念に思うでしょうか。私たちの中に再び過去に戻ろうとする思いが起きそうになったら、神の子とされている救いの恵みと祝福を思い出し、御前に立ち返ります。ガラテヤ5:1。



ガラテヤ4:8 あなたがたは、かつて神を知らなかったとき、本来神ではない神々の奴隷でした。
4:9 しかし、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの弱くて貧弱な、もろもろの霊に逆戻りして、もう一度改めてその奴隷になりたいと願うのですか。
4:10 あなたがたは、いろいろな日、月、季節、年を守っています。
4:11 私は、あなたがたのために労したことがむだだったのではないかと、あなたがたのことで心配しています。


Uペテロ2:20 主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。
2:21 義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。
2:22「犬は自分の吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」とかいう、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。

ヘブル6:5 神のすばらしいみことばと、来るべき世の力とを味わったうえで、
6:6 堕落してしまうなら、そういう人たちをもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、さらしものにする人たちだからです。

箴言6:11 犬が自分の吐いた物に帰って来るように、愚かな者は自分の愚かさをくり返す。

ガラテヤ5:1 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。

戻る