2023年8月6日「思い出してください」イザヤ46:5〜13

序−よく願った通りにならない時、「神様は助けてくれない。頼りにならない。」と言って、神様に背を向けたりする人がいます。確かに問題の中で、苦しんでそんな思いになることもあるでしょう。そんな聖徒たちに、神様はどんなことを教えておられるのでしょうか。目から鱗のようなことです。

T−思い出し、心に思い返せ−5〜9
 イザヤの時代、神の民は偶像崇拝に陥っていました。5〜7節。偶像は、「立ったまま動かず、叫んでも答えず、苦しみからも救ってくれない」と言っています。神様以外に頼っている空しさ、愚かしさが表現されています。そのような神の民の姿が、「背く者たち」と言われています。8節。人は神様によって背負われ、運ばれる存在なのに、神様に頼ることなく、偶像に向いていたので、背く者でした。
 「背く者」と言われるのは、自分の思うままに事が進むことを願うのですが、自分の思い通りにならなければ、神様に文句を言い、恨み、神様に背を向けるようになるからです。こんな状態で何の好転もありません。ますます酷い状態になるでしょう。空しく、苦しくなります。
 どうすれば、よいのでしょう。8〜9節。人が悔い改めて、神に立ち返るために、「思い出し、思い返せ、思い出せ」と繰り返しています。何のことを思い出せなのでしょうか。「昔のことを思い出す」ことが必要です。古代の神の民も、現代の聖徒たちも、目の前のことが自分の思うようにならないと、その先もだめだと思ってしまいます。未来に失望し、落ち込むようになります。神様を信頼しなければ、そうならざるを得ません。ですから、昔のことを思い出しなさいと言うのです。うまく行かないなと思ったら、過去を振り返るように言うのです。「将来の希望を過去にさがしなさい」というのです。
 これは、聖書に出て来る方法です。神の民にとって、過去は過ぎ去った後ろのものではなく、過去は自分の前にあって、後ろに未来があるというような感じです。未来をよりよくするには、過去を思い出して、過去をふり返らなければならないのです。過去の過ちを正していけば、未来に望みを持つことができるのです。過去の恵みを見れば、神に拠り頼むようになるからです。
 十戒で「偶像崇拝をするな」と言われる時も、「エジプトから神の民を救い出したから」と理由を言っています。出エジプト20:2〜5。自分たちをエジプトから助け出したのは神様だ、ということを思い出したら、偶像に頼る必要はありません。約束の地までの荒野の歩みでも、神様が自分達を守り導いてくださったことを思い出せば、約束の地に入ってからの問題も乗り越えることができます。申命記1:30〜31。「神がどのようにあなたがたをエジプトから導いたのか思い出しなさい。そうすれば、約束の地でも神様が守ってくださることが分かるでしょう」ということです。
 神様はその民と契約を結んでくださいました。民を守り導く方となられました。民が神様の御心に沿って歩むならば、その民を守り育んでくださいます。私たちに対しても、同じです。私たちが神様の御旨に従って歩むだけで、瞳のように守り、子を抱くように育んでくださいます。しかし、自分の思い通りにならないと、頑なになって、神様に背を向け、離れてしまいます。自分の思い通りにしようとするとして神を拝むのが、偶像崇拝なのです。私たちは、その逆に、神様の御心をなそうとして神様に仕えるのです。偶像礼拝になっていませんか。
 神の民がエジプトから出る時、彼らがしたことは何もありません。ただ神様の恵みに従っただけです。未来への希望も神にしかありませんでした。私たちも、同じです。自分の思うとおりに行かなくて、心が苦しくなった時、神様に背を向けるのではなく、過去を振り返って、神様の恵みを思い出してください。神様の助けや守りを思い返してみましょう。詩篇103:2。神様を信頼しないで、他に心を向けているなら、それは神様に背いていることです。悔い改めて、神様に立ち返らなければなりません。そうすれば、立ち上がらせてくださいます。

U−のちのことを告げ、なされていないことを告げ−10〜11
 立ち返れば、希望を与えてくださいます。どのようにしてくださいますか。10〜11節。「のちのことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から告げ」てくださいました。ユダを滅ぼし、民を捕囚にするバビロンも、やがてペルシヤのキュロス王によって倒されると語ってくださいました。イザヤ45:1〜4。驚くべきことです。
 私たちにも、こんな予告が与えられればいいのにと思います。ここで確認しなければならないことは、神様が教えてくださる「のちのこと、なされていないこと」つまり予定の予告とは、神様の側で扱われることだということです。使徒4:28。私たちの明日の出来事がどうかが目的ではなく、予定とは神様の行動を示しているのです。「わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる」と言っています。10節。
 ユダがバビロンに滅ぼされ、民が捕囚にされるという時、そのような苦しい時に民をあわれんでくださり、キュロスによってバビロンが倒されることを予定を告げてくださいました。これは、神様がどういう方かということを教えています。ですから、私たちが苦しく辛い時に、神様は私たちをあわれんでくださり、なさることを知らせて、働いてくださるということです。私たちにも、そうしてくださいます。
 人は、単純に先のことが分かればいいななどと思いますが、聖書が教えている予定とは、神様のあわれみの働きです。私たちは、そのままであれば、罪のゆえに滅びる者でした。しかし、神様は、私たちをあわれんでくださり、イエス様によってご自分の子にしようと予定され、私たちを御国を受け継ぐ者にしてくださいました。エペソ1:5。救い主が来られることも預言していました。イザヤ9:1〜7,53:1〜8。この救い主の預言でも、「万軍の主が、これを成し遂げる」と約束されています。その預言通り、イエス様が来られました。どんなに素晴らしいことでしょうか。
 私たちイエス様を信じて救われた者にも、このあわれみが適用されます。私たち一人ひとりについても、主なる神様はしてくださるということです。聖書に記された御言葉の約束を握ってください。たとえば、導きの確信が与えられます。箴言3:5〜6。勝利の確信が与えられます。Tコリント10:13。御言葉の約束に信頼して、神様に拠り頼みましょう。

V−遠くはない。救いが遅れることはない。−12〜13
 御言葉の約束はあっても、それがいつなるか分からない、不安だと言う人もいるでしょう。不安の中にいる民にどう語っていますか。12〜13節。「わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる」という約束について、「それは遠くはない。わたしの救いが遅れることはない」と宣言されています。神様のご計画は必ず成し遂げられると信じればよいのですが、中々うまく行きません。自分の思うように行かないと、どんどん御言葉の約束を疑うようになります。そうすると、神様に背を向けるようになり、頑なな者、正義から遠く離れている者になります。頭では分かっているのですが、実際の生活には適用しようとしないのです。
 バビロン捕囚の中にいる民へのバビロンからの解放を告げる預言にも同じ約束があります。ハバクク2:1〜3「もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない」と宣言されています。御言葉の素晴らしい慰めがあります。私たちは、神様の答えがいつだろうか、ないのではないか、と思うかもしれません。しかし、成就の時は定まっており、神様によって決められています。定めの時に遅れることはありません。これは、重要な原則です。神様は起ころうとしていることを教えて下さり、それが定められた時に遅れることないと付け加えているのです。
 ですから、神様に訴える者は、「私の訴えについて主が私に何を語られるのか、私がどう応じるべきかを見よう」としなければなりません。
 ユダの民がバビロンに捕囚になること、その期間の終わりに戻されると啓示された通りになります。U歴代36:20〜21。ですから、神様を待ち望むのです。詩篇62:5。神様が計画されたことは、的確に確実に、定められた時に成就しました。人生の問題や様々な出来事に戸惑い苦しむ現代のクリスチャンにとって、御言葉の約束が神様の答えです。
 「確信を投げ捨ててはならない。もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。遅れることはない」のです。ヘブル10:35〜37。「来るべき方」とは、イエス様です。来るべき方が来られたなら、人生の問題は解決されるのです。イエス様を信じた者には、救いが与えられています。
 今日多くの人々が幸福感を喪失しています。物があっても幸福感は得られません。結局、問題は心です。私の身代わりに十字架にかかられたイエス様だけが、私たちの心を癒し、罪を贖うことができる救い主だからです。私たちの暗い心に光を照らし、死んでいる心に神様の命を注ぐことができるからです。イエス様こそが、私たちのすべての問題に対する神様の答えです。今、人生の困難を経験されていますか。神様の用意された答えを掴んで下さい。イエス様という鍵で開かない門はありません。イエス様を信じて下さい。イエス様に人生の問題を委ねて下さい。御言葉の答えを期待して待ちましょう。神様の導きを待ち望みましょう。ヘブル10:35〜37。

イザヤ46:5 わたしをだれになぞらえて比べ、わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。
46:6 袋から金を惜しげなく出し、銀をてんびんで量る者たちは、金細工人を雇って、それで神を造り、これにひざまずいては、これを拝む。
46:7 彼らはこれを肩に担いで運び、それがあったところに安置すると、それはそこで立ったままである。これはその場所から動かない。これに叫んでも答えず、苦しみからも救ってくれない。
46:8 このことを思い出し、勇み立て。背く者たちよ。心に思い返せ。
46:9 遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。
46:10 わたしは、のちのことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から告げ、『わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。
46:11 わたしは、東から猛禽を、遠い地から、わたしの計画を行う者を呼ぶ。わたしが語って、それを来たらせ、計画を立てて、それを実行する。
46:12 わたしに聞け。頑なな者たちよ、正義から遠く離れている者たちよ。
46:13 わたしは、わたしの義を近づける。それは遠くはない。わたしの救いが遅れることはない。わたしはシオンに救いを、イスラエルにわたしの栄えを与える。」

申命記1:30 あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、【主】が、エジプトにおいて、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったそのとおりに、あなたがたのために戦われるのだ。
1:31 また、荒野では、あなたがたがこの所に来るまでの、全道中、人がその子を抱くように、あなたの神、【主】が、あなたを抱かれたのを見ているのだ。

ハバクク2:1 私は、自分の物見やぐらに立ち、砦にしかと立って見張り、私の訴えについて主が私に何を語られるのか、私がどう応じるべきかを見よう。
2:2 【主】は私に答えられた。「幻を板の上に書き記して、確認せよ。これを読む者が急使として走るために。
2:3 この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽りを言ってはいない。もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。

使徒4:28 あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行いました。

エペソ1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
1:11 この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。

箴言3:5 心を尽くして【主】に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

Tコリント10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

詩篇62:5 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。

ヘブル10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
10:36 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
10:37 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。遅れることはない。

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