2023年8月13日「誰が特別なのですか」イザヤ47:1〜15

序−私たちの社会は、謙遜を旨としています。例え実力を持っていても、控えめに振舞います。ところが、どうしてそんなに自信が持てるのかというほど尊大に振舞う人もいます。そんな人の前では引け目を感じ、そんな人を羨ましく思う人もいます。果たして、どうなのでしょうか。今朝の箇所を通して教えてくれます。

T−バビロンの滅亡−1〜5
 南ユダ王国を滅ぼし、その民を捕囚にするバビロン帝国は、自信にあふれ、奢り高ぶっていました。そのバビロンに国が滅ぼされ、捕囚にされたユダの民は不安と恐れの中にいました。果たして、バビロンは幸せで羨望の的で、ユダの民は惨めな存在なのでしょうか。
 「奢る平家は久しからず」です。今日の箇所は、そのバビロンの滅びについて、言及しています。1節。バビロンの民族はカルデア人でした。もう、バビロンが滅びたなら、王族だったとしても、王座に留まっていることはできません。地面に座る存在になります。大帝国が滅びて、王族の権威や権力がなくなるだけではありません。奴隷の身となります。2節。当時ひき臼で粉をひくというのは、奴隷の仕事でした。ベールを取り、裾をまくって顔や足をあらわにすることは、王族にとってどれほど恥ずかしかったでしょうか。
 バビロンをこのようにされたのは、万軍の主、イスラエルの神です。4節。バビロンは自分の力で帝国となり、ユダも滅ぼして、奢り高ぶっていたのですか。ユダを戒めるために用いられたに過ぎません。エレミヤ20:4〜5。ユダを滅ぼし、その民を捕囚として、その力を誇っていましたが、主なる神は、バビロンを滅ぼし、奴隷にしました。この方が私たち神の民を救う方と宣言しています。
 バビロンは羨ましい存在でしたか。いつまでも栄える国でしたか。カルデア人は幸せな人々でしたか。47章のバビロンの姿は、盛者必衰の理をあらわすというところです。私たちは、このようなバビロンを見て、何を思い、何を学ぶのでしょうか。酷いやつが倒れたと溜飲を下げるのではなく、私もそうならないようにと謙遜を身に着けるのです。箴言24:17。人が倒れるの見て、喜んではならないと戒められています。箴言は、人の奢り高ぶりを戒め、謙遜であるように繰り返し勧めています。箴言3:34,8:13,18:12。神様は高慢を嫌われます。
 酷く扱われたからと人を憎むことも戒められています。箴言10:12。憎しみは争いを引き起こし、愛は背きの罪を覆います。

U−バビロンの滅びた理由−6〜14
 どうして、バビロンは滅びてしまったのでしょうか。バビロンが滅びた理由がいくつか示されています。一つは、バビロンがユダを酷く扱ったからです。6節。「彼らをあなたの手に渡した」というように、バビロンはユダを戒めるために用いられたに過ぎないのに、バビロンはユダの民をひどく扱いました。哀歌で学んだように、エルサレムを徹底的に破壊して、蹂躙し、バビロンの強さを自慢し、住民を嘲り、虐待しました。老人にさえ無慈悲な取り扱いでした。6節。
 人は、その力と立場を目的あって委ねられているにすぎないという己の分をわきまえなければなりません。強い者や能力のある者が、弱い者を責め、痛めつけるならば、それだけより強く神の戒めを受けることになるということを覚えなければなりません。ヘブル2:13。力ある者、財のある者、弁のたつ者は、謙遜でなければならないということです。
 二つ目は、奢り高ぶっていたからです。8節。彼らの奢り高ぶりを象徴する言葉が繰り返されています。8,10節。「私は特別だ」という高慢な姿です。バビロンは、諸国を滅ぼし、支配できる特別な存在だ、この繁栄は続くと思いました。権力や富、能力のある自分は安全だと誇っています。7節。自分の力で栄えているという思いなので、神様によってそうされているというわきまえがありません。謙遜もありません。
 他人の不幸を見ても、自分とは何の関係もない、自分には起こらないと思うのです。あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。ヤコブ2:1。あわれみのないバビロンに対しても、神様はそうされます。9節。
 世には、そんなに大したことはないのに、なぜか自信を持っている、高慢な人がいます。自分は特別だと思っています。周りの弱い人や控えめな人々に対して強く当たります。そんな人が本当に力ある人ですか。羨ましく見えますか。あわれみのない人は、あわれみのない取り扱いを受けるようになるでしょう。
 もう一つは、知恵と知識のためです。10節。バビロンは、高い二重構造の城壁に囲まれ、ユーフラテス川から水を引いた堀があり、世界七不思議の一つバビロンの空中庭園が作られたように、高い文化がありました。神なしに生きる人は、知恵と知識を誇ります。知恵と知識があるということは、時には大きな災いの元となります。悪知恵を働かせ、大きな罪を犯すようになります。
 確かに、社会を見ても、知恵や知識があり、権力がある人が様々な悪を行っています。そのようにしている自分を誇り、弱い人々を虐げています。人々に仕えることをしません。努力して知恵や知識を蓄え、権力や立場を得ることは悪くないでしょう。しかし、神なしに知恵や知識を得るのは、危険です。私たちも知恵を用いるのを注意しなければなりません。エペソ4:29。悪い言葉を話すのではなく、人の徳を養うのに言葉を話し、聞く人に恵みを与えるようにしましょう。
 世の評価は、知恵や知識を使ってどれだけの実績を残したかということでしょうが、神様の評価は、どれだけ人々を愛して、仕えたかというものです。知恵や知識を用いて互いに争い、憎み合うなら、何の役に立つというのでしょうか。自分なりの知識や正しさで人を傷つけることのないように気をつけなければなりません。Tコリント8:1。神なしに知恵と知識で生きる空しい姿が13〜14節に記されています。

V−バビロンとユダの民を比べて−
 バビロンの滅びとバビロンに捕囚となっている神の民を比べてみてください。どちらが幸いですか。おそらく、捕囚の身の上では、繁栄する強国バビロンを羨ましいと思ったことでしょう。「自分たちには神様がいる」と誇るのは簡単ではなかったでしょう。しかし、聖書の預言は、明らかにバビロンより神の民の方が幸いだと言っています。
 イエス様の例話に、「金持ちと物乞い」の話があります。ルカ16:19〜25。金持ちは神なしで贅沢に遊び暮らし、物乞いは貧しさで苦しみました。二人とも死んで、ハデスで苦しむ金持ちは、天国にいる貧乏人のラザロを羨ましいと思いました。神様が共にいることが幸せなのです。パウロは、鎖に?がれても、「私が願うことは、鎖は別として私のようになってくださることです」と言いました。使徒26:29。神様が共にいてくださるということが何よりの幸いだったのです。
 奢り高ぶるバビロンと捕囚に苦しむ神の民を比べてみましょう。捕囚の境遇でも、神の子どもとされていた彼らは幸いでした。たとえ苦労していても、神様と共にいれば、幸いです。私たちがどんな境遇であっても、私たちが神の子どもであるという事実だけで羨ましがられる存在です。クリスチャンが尊いのは、イエス様の救いを受けて神の子供とされ、天国の民とされていることです。
 もちろん、イエス様を信じて救われた聖徒たちは、神様によく仕えて、この地で賜物を発揮して用いられることもできます。神様に従い、人々に仕える人が、この地でも祝福を味わって生きるようにもなります。私たちは、神様を愛し、御言葉通り生きようとしているでしょうか。強欲で神なしで生きている人々より、私たちは幸いです。イエス様を信じた私たちは、神の子供とされていることを感謝して、喜びます。ヨハネ1:12。
 交読文ローマ8:31〜34を参照しましょう。神が私たちの味方だというのです。そうであるならば、誰が私たちに敵対できるでしょう。「ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして恵んでくださらないことがありましょう」と保証されています。私たちのためには、「死んでよみがえられたイエス様が、私たちのためにとりなしていてくださる」というのです。そうです。「私たちこそ特別だ」なのです。
 本当に羨ましい人は、誰ですか。特別な人とは、誰ですか。神の子どもとなって、神様とともに歩む者です。イエス様の十字架の犠牲は私のためだと信じておられますか。私たちはみな、イエス様への信仰によって神の子どもです。ガラテヤ3:26。神様の子どもとなって、神様と共に歩む者が、この世で最も幸いであり、最も羨ましがられる存在だということを忘れないでください。
 4節を見ましょう。なぜ、バビロンの滅びの預言の中に「私たちを贖う方、その名は万軍の主」という宣言が挿入されているのでしょう。捕囚の地で苦しむ時、主なる神様は私たちを救い、贖い出してくださると希望を持つためです。不安や苦しみの現実の中で生きる私たちに希望と勇気を与えてくれる御言葉です。



イザヤ47:1 「おとめ、娘バビロンよ。下って行って、土の上に座れ。娘カルデア人たちよ。王座のない地面に座れ。あなたはもう、優しい上品な女と呼ばれることはないからだ。
47:2 ひき臼を取って粉をひけ。ベールを取り去り、裾をまくって、すねを出し、川を渡れ。
47:3 あなたの裸はあらわにされ、恥もさらされる。わたしは復讐をする。だれ一人容赦しない。」
47:4 私たちを贖う方、その名は万軍の【主】、イスラエルの聖なる方。
47:5 「娘カルデア人よ。黙って座り、闇に入れ。あなたはもう、国々の女王と呼ばれることはないからだ。
47:6 わたしは、わたしの民を怒って、わたしのゆずりの民を汚し、彼らをあなたの手に渡したが、彼らはあなたをあわれまず、老人にも、ひどく重いくびきを負わせた。
47:7 あなたは『いつまでも女王でいよう』と考えて、これらのことを心に留めず、自分の終わりのことを考えることさえしなかった。
47:8 だから今、これを聞け。楽しみにふけり、安心して住む女よ。心の中で、『私だけは特別だ。私はやもめにはならないし、子を失うことも知らなくてすむ』と言う者よ。
47:9 子を失うことと、やもめになること、この二つが一日のうちに、瞬く間にあなたのところにやって来る。あなたがどんなに多く呪術を行っても、どんなに呪文の力が強くとも、これらは突然あなたを見舞う。
47:10 あなたは自分の悪に拠り頼み、『私を見ている者はない』と言う。あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、あなたは心の中で言う。『私だけは特別だ。』
47:11 しかしわざわいがあなたを見舞う。それを払いのける呪文をあなたは知らない。災難があなたを襲うが、あなたはそれを避けることができない。破滅は知らないうちに、突然あなたにやって来る。
47:12 さあ、若い時からの使い古しの呪文や多くの呪術を使って立ち上がれ。あるいは役立つかもしれない。脅かすことができるかもしれない。
47:13 助言する者が多すぎて、あなたは疲れている。さあ、天を観測する者、星を見る者、あなたに起こる事を新月ごとに知らせる者を立たせて、あなたを救わせてみよ。
47:14 見よ。彼らは刈り株のようになり、火が彼らを焼き尽くす。彼らは自分のいのちを炎の手から救い出すこともできない。これは身を暖める炭火でもなく、その前に座れる火でもない。
47:15 あなたが若い時から仕え、取り引きをしてきた者たちは、このようになる。彼らはそれぞれ自分かってに迷い出る。あなたを救う者は一人もいない。」


箴言24:17 あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない。

エペソ4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。

ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

ガラテヤ3:26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。

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