2023年10月8日「今は恵みの日、今は救いの日」イザヤ49:7〜13

序−苦しい辛い状況が続くと、否定的悲観的な考えしかできず、良い方向へ望みのある所へ出て行こうとしない人の姿があります。バビロン捕囚となっていたイスラエルの民も、神様がエルサレムに帰還させると約束されても、バビロンを出て、エルサレムへ行こうとは考えない人々がいました。そんな民に語られたのが、今日の御言葉です。

T−恵みの時、救いの日−7〜9
 捕囚から解放され、エルサレムへ帰ることができると聞いても、バビロンにいた民は、痛みと疑いの中にいました。エルサレムを思えば、破壊され荒れ果てた様子が浮かびました。帰る道を思えば、飢えと渇きの荒野の道が見えました。私たちも、否定的悲観的な考えしかできない時があります。民は、そんな荒涼とした心の状態にいました。
 救われる以前の私たちも、まさにそんな虚しさと痛みの中にいましたが、イエス様の十字架による犠牲、贖いを信じて救い出されました。エペソ1:7。イスラエルの民も、神様によって痛みと絶望から救い出されます。7節。周りの民族から蔑まれ、捕囚となっていた民に、あなたがたを選び、救い出すと約束されました。もうどうするつもりもない、諦めるしかないと虚しく悲観する人々に、エルサレム帰還に希望が持てない、困難だけが感じられると否定する民に、神の約束の御言葉が光のように降り注ぎました。8〜9節前半。
 神様が彼らをそのまま放置しておかないという宣言です。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助ける。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を復興して、荒れ果てたゆずりの地を受け継がせる」というのです。どれほどの励ましと慰めでしょうか。こんな御言葉を聞いたら、神の民には感激の涙が溢れたことでしょう。いいですか。痛みと絶望の中にいる私たちにも、「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助ける」と言ってくださいます。
 このように宣言された神の御言葉に信頼する時、神の民は一歩踏み出すことができます。神様を信頼する者は、囚われているところから解放され、御言葉聞く者は、闇の中に光を見るようになります。9節前半。「捕らわれ人には『出よ』と言い、闇の中にいる者には『姿を現せ』」と神は言われます。バビロンに捕虜として捕まっている所から出て来なさいというのです。これは、罪から贖い出すことに適用されます。罪に囚われ、虚しさと絶望の闇の中にいる者が福音を聞いて信じるなら、罪の囚われから出て、救いを受けるようになります。使徒26:18。
 慰めの御言葉は、虚しさと痛みの中にいる者に希望と力を与えてくれます。慰めの御言葉は、闇の中にいる者を光の中に導き、変化を起こさせます。励ましの御言葉は、神を信頼して聞く者に変化を起こします。
 この時の民の心境は私たちもよく分かります。私たちも、苦しい辛い状況が続くと、否定的悲観的な考えしかできなる時があります。落ち込んでそこから動けなくなる場合があります。でも、イエス様の十字架の犠牲を信じて救われたなら、助けて、守ると言われます。私たちも、御言葉によって慰めと励ましをいっぱい受けて、立ち上がり、落ち込みから出ることができるのです。神の恵みを無駄にしないでください。Uコリント6:1〜2。
 なぜ、神の恵みを無駄にしないでくださいと言っているのですか。そこには、悲観して苦しんでいる人もいたからです。そんな人々の目で見ると、今はとても生きていけない社会だ、心配と不安ですべて仕事にならないと思うのです。でも、神様がご覧になる所は、今は恵みの時、今は救いの日です。

U−至る所牧場となり、水の辺に連れて行く−9〜11
 それでも、望みが持てない、出て行かれないという人々がいました。エルサレムまでどうやって行くのか、荒野の旅は大変だと悲観するのです。うまく行くはずがない、そんな力がないと否定するのです。ずっと捕囚の生活が続いていたのですから、無理のないことです。私たちも、何もかもうまく行かない、次々と仕事や問題が増えて疲れ切ってしまうと、否定的悲観的思いに覆われます。
 そんな人々に、どんな御言葉が語られましたか。9節後半〜11節。神は、慰めと励ましの御言葉を語られるだけでなく、御言葉を成し遂げるために働かれます。羊を飼いながら帰ることができるように、至る所が牧場となり、水の辺に連れて行くというのです。暑さから守られ、飢え渇くことがないというのです。道までも整えてくださると言われました。
 慰めと励ましの御言葉をくださる神は、私たちの人生に介入して来られます。慰めと励ましの御言葉を聞いて、神様を信頼して歩み出した人が、途中で倒れることなく、ついにイスラエルの地に着くように条件をあれこれ整えていてくださるのです。弱い肉体と厳しい環境の中で生きる私たちを神様は放っておかれず、助け、守り、導き、道も備えてくださいます。Tコリント10:13。
 イスラエルの民がエルサレムへ帰還する時、実際にどんな助けや守りがあったのでしょうか。見てみましょう。まず、キュロス王から帰還命令書が出されました。エズラ1:1〜3。神殿再建のために、アッシリアに奪われた宝物を返してくれました。エズラ1:7。周りの民族の妨害や脅しが生じた時、ペルシャ王国から、妨害の停止と再建の援助が彼らに命じられました。エズラ4:4〜6,6:6〜8。驚くべき助けと守りです。
 これは、私たちの人生と生活にも適用されます。私たちが救われた後の生活においても、ずっと私たちを助け、守ってくださるという約束です。神様が助けて、守ってくださるなら、荒野のような環境でも、神様が恵みを施してくださり、裸の丘を牧場と変えてくださるように、私たちの厳しい環境も却って豊かな場に変えてくださるのです。つぶやかず、疑わずに、神様を信頼してすべてのことを行いましょう。ピリピ2:13〜14。
 飢えず、渇かずとは、食料と水が与えられるということですが、灼熱の乾燥地帯では、死活問題です。だから、神様に全面的に頼ります。私たちがたましいの飢え渇きを感じるのは、信仰で神様だけを見ていなかったからです。悔い改めて、全面的に神様に信頼します。神様だけを見ていくなら、守られ、助けられ、導かれます。
 11節の山とは、障害物のことです。人生を進んで行くと、度々山のような障害物が立ちはだかります。職場や学校、家庭で、問題や健康、人間関係等という障害物にぶつかります。それでも、慰めと励ましの御言葉を握って進んで行けば、乗り越えさせてくださいます。イエス様を信じていても山があるのかというのですが、イエス様を信じていても山にぶつかります。でも、神様を見るに者には、山をも道にして進ませてくださるのです。

V−遠くから来る、北から西から−12〜13
 慰めと励ましに満ちた約束の御言葉を聞いて、イスラエルの民は挙ってそこを出て、約束の地にやって来るようになります。12節。「ニシムの地」ってどこだと目に留まった人もいるでしょう。南のエジプトの地ではないか言われています。エジプトへ逃れた人々もいたからです。慰めと励ましの御言葉を聞いて、心を光で照らされたなら、四方八方からエルサレムに集まるようになりました。
 絶望の闇の中にいた私たちも、福音を聞いて、救い主イエス様の前に出てきました。教会に集まって来ました。神様の導きと養いの始まりは、慰めと励ましの御言葉からでした。宣教を始められたイエス様も、人々を羊飼いのいない羊のようにあわれんでくださいました。マルコ6:34。私たちの周りにも、あわれみと慰めを必要としている魂がいます。慰めと励ましを聞いて立ち上がってみたいという人がいます。
 神様は、キュロスを通してイスラエルの民を助け、守ってくださったように、先に救われ、恵みを受けた私たちを通して、闇から光へ出て行こうする人々に、福音が伝えられることを望んでおられます。神様は、私たちの慰めや励ましのために、周りの人々を用いてくださいました。そのように、神の慰めやあわれみを必要としている人々のために私たちを用いようとされます。私たちに小さな働きをすることを神様は望んでおられます。私たちが恵みに感謝して、その人生と生活を通して福音を証ししたら、人々が四方八方から集まって来るでしょう。
 集まって来た人々はどうしますか。13節。喜びの声をあげたとは、神様を賛美したということです。集まった人々は、どうして神様を賛美するのですか。主がご自分の民を慰め、その苦しむ者をあわれまれるからです。エルサレムに帰還した人々による神殿定礎式の様子を見てみましょう。エズラ3:10〜13。喜びと感謝が溢れて賛美しています。感動的な場面です。私たちの礼拝も、救われた民、あわれみと慰めを与えられた者たちが、感謝と喜びにあふれて賛美しています。
 私たちはなぜ救いの恵みを受けたのでしょう。主なる神を賛美するためだと言えるでしょう。神の民は神様の栄光をあらわすために立てられたのですから、神様を賛美するのです。賛美は、祈りであり、いけにえです。ヘブル13:15。こうして礼拝をささげ、御言葉を聞き、賛美をすることができるということがどんなに恵みであることか、改めて感謝し、喜びます。今は恵みの時、今は救いの日です。Uコリント6:1〜2。



イザヤ49:7 イスラエルを贖う方、その聖なる方、主は、人に蔑まれている者、国民に忌み嫌われている者に、支配者たちの奴隷に向かってこう仰せられる。「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。真実である主、あなたを選んだイスラエルの聖なる者のゆえに。」
49:8 主はこう言われる。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助ける。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を復興して、荒れ果てたゆずりの地を受け継がせる。
49:9 わたしは捕らわれ人には『出よ』と言い、闇の中にいる者には『姿を現せ』と言う。彼らは道すがら羊を飼い、裸の丘のいたるところが、彼らの牧場となる。
49:10 彼らは飢えず、渇かず、炎熱も太陽も彼らを打たない。彼らをあわれむ者が彼らを導き、湧き出る水のほとりに連れて行くからだ。
49:11 わたしは、わたしの山々をすべて道とし、わたしの大路を高くする。
49:12 見よ。ある者は遠くから来る。見よ、ある者は北から西から、また、ある者はシニムの地から来る。」
49:13 天よ、喜びの声をあげよ。地よ、小躍りせよ。山々よ、歓喜の声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その苦しむ者をあわれまれるからだ。


Uコリント6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。
6:2 神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。

Tコリント10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

ピリピ2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。
2:14 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。

詩篇95:1 さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。
95:2 感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。
95:3主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。
95:4 地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。

エズラ3:10 建築師たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。
3:11 そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。

ヘブル13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

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