2023年10月15日「わたしはあなたを忘れない」イザヤ49:14〜26

序−あまりに辛く悲しい中で「神様は私を忘れた」とか「神様は私を見捨てた」と言うことがあります。本当なのでしょうか。確かに、バビロン捕囚の民も、同じことを言っています。では、そんな嘆きを叫ぶ彼らに対して、神様は何と言われたのでしょうか。どうしてくださるというのでしょうか。

T−忘れない約束、手のひらにあなたを刻んだ−14〜16
 ユダの国がバビロンに滅ぼされて、エルサレムが破壊され、蹂躙され、民は捕囚とされてしまいました。バビロン捕囚になって苦しんでいたユダの民の思いは、「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」ということでした。14節。そもそも、彼らがそうなったのは、神様に背を向けて、偶像崇拝をしていたからです。それなのに、厳しい状況を神様のせいにして、神様を恨み、「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と言っていたのです。
 どうですか。私たちも、問題が起こり、うまく行かない時、辛さが続く時、神様は私を見捨てておられる、主は私を忘れたようだと言ったりしていないでしょうか。そう呟くと、なおさら心は痛み、心は落ち込みます。ユダの民は、自分たちの方が神を忘れたのに、神様が自分たちを忘れたと言っていたのです。神様に選ばれた民なのに、神様を見捨てて、偶像に仕えたのです。
 その時、神の民の問題は何でしょうか。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」というのは、神様を信じられなった自分たちの絶望が問題でした。まるで愛を受けながらも愛されていないという自分の絶望なのです。私たちも、そんな絶望に陥ることがあるでしょうか。私たちを救ってくださった神様の愛はどんな愛ですか。
 そんな民に対して神様は何と言われたのですか。15節。神様の神の民に対する愛を、母の愛に例えています。母の愛は、人の愛の中で最も深いものです。母の子に対する愛は、無償の愛、まさに海よりも深いものです。その母でも、子を忘れて見捨てる人もいます。しかし、神様はご自分の民を決して忘れないと言われるのです。母がその子を保護するようにご自分の民を保護してくださいます。イエス様の十字架を信じて救われた私たちも、神の民です。私たちがうまく行かなったり、失敗したり、問題に陥ったりとしても、決して神様は私たち自身を忘れてはおられないのです。
 では、「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」という証拠は何でしょう。何と言っていますか。16節。わたしは手のひらにあなたを刻んだと神様は言われます。手のひらに書かれていれば、必ず目にして、覚えることができます。神様に手のひらがあるわけではないですが、神様の深い愛がよく表されている例えです。私たちの方では頻繁に神様を忘れるけれども、神様は手のひらに刻んだというほどに、私たちを忘れないというのです。
 手のひらにメモする人がいますが、16節をよく見てください。手のひらに刻んだとあります。手のひらにナイフなどで切り刻めば、血が出て、傷跡が残ります。神様は、私たちのためにどのように手のひらに刻まれましたか。神様は私たちを救うために、ご自分の御子を私たちの罪の身代わりに十字架につけられました。十字架刑は、十字架に手足が釘付けにされるものです。イエス様は、手と足を釘付けにされたまま十字架上で何と言われましたか。ルカ23:34。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かってないのです」と言われました。
 イエス様が十字架に釘打たれたのは、神様が私たちの名を手のひらに刻んでくださったことなのです。他の弟子たちが復活されたイエス様に会った時そこにいなかったトマスは、「手のひらの釘跡に指を入れてみなければ信じない」言いました。ヨハネ20:25。その後復活のイエス様がトマスに現れて、「釘のあとを見せながら、見ないで信じる者は幸いです」と言われた時、「私の神、私の主よ」と告白しました。ヨハネ20:27〜28。
 神様がご自分の一人子イエス様を十字架の死に渡されたので、私たちをご自分の手のひらに刻んでおられたということです。 イエス様の十字架は、神様が私たちをどんな状況や危機の中でも忘れておられない、見捨てておられないという証拠です。この神様の絶対的な愛を確信してください。

U−目を上げて、あたりを見回せ 繁栄の約束−17〜21
 「このわたしは、あなたを忘れない」と言われた神様は、民に対してどのようにしてくださると約束してくださいましたか。17〜21節。「目を上げて、あたりを見回せ。みんな集まって来る」と言っています。18節。ユダの民が不可能と思っていたことが成し遂げられるといいます。目を上げて、あたり四方を眺めることが重要です。
 甥のロトの羊飼いと争いが起こった時に、ロトが良く見える土地を選ぶようにさせて去ったアブラハムに、神様は「目を上げて、四方を見渡しなさい。見渡している地を子孫にあげよう」と言われました。創世記13:14〜15。目を上げる瞬間が絶望から抜け出して希望を見出す転換点でした。目を上げて神様を見なければなりません。信仰の目で見ると、それまでは見えなかったことが見えるようになります。
 ユダの民は、バビロンで厳しい絶望的な奴隷生活をしていました。そのような中で、エルサレムへ帰還する幻を見るように言われたのです。神様が見せてくださったビジョンはとても美しいものです。人々がいなくなって、廃墟となった地に、大勢人々が戻って来るので、狭いと感じるようになります。19節。バビロンに来てから生まれた子どもたちがイスラエルに戻って来て、狭すぎるから、広い土地をくださいというようになると言うのです。20節。古い借家で始まったあきる台BCも狭くなって、広い新会堂を与えてくださいと祈り、今の会堂が与えられたのを思い出します。
 人の目で見ると不可能と思えても、神様がする時にはできるようになります。目を上げて神様を見ましょう。信仰の目でみると、以前には見えていなかったことが見えるようになります。目の前だけを見ていた人が四方を見ると、神様が用意してくださったことに気付くようになります。地だけを見ていた人が天を見るようになります。環境だけを見ると、絶望してしまいます。自分だけを見ると落胆します。しかし、イエス様の十字架を見上げれば、救いの恵みを思い出し、力と希望を与えられるようになります。ピリピ4:13。

V−回復の約束−21〜26
 散らされた民が戻って来るだけでなく、そこで子孫が増え、数多くの人々加わるようになります。21節。だれがこの者たちを育てたのだろう、この者たちはどこから来たのだろうというようになります。繁栄して行く様子が見えます。かつて戦争と飢饉で多くの子どもたちを失ったエルサレムでしたが、繁栄し、その地が狭く感じるほど多くの人々を見るようになるというのです。
 かつてのエルサレムの活気と繁栄が回復するのを見せてくださったのです。私たちがうまく行かず、失敗し、あれこれを失い、沈んでいたとしても、私たちにも、こんなビジョンを見せてくれるのです。私たちが悔い改めて、神様を信頼すれば、以前にも増して、回復させてくださるというビジョンを見せてくださるのです。ヨブ42:10,12。
 さらには、神様は、異邦人までもが祝福された隊列に加わることができるように旗を掲げてくださると言っています。22〜23節。神様が人々を罪から解放するために掲げる旗は、イエス様の犠牲を通して与えられる、イエス様の十字架を示しています。罪からの解放を示す旗を掲げると、ユダヤ人だけでなく、異邦人も集まって来て、福音を聞いて救われるようになります。「息子たちを懐に抱いて来る、あなたの娘たちは肩に担がれて来る」とは、ユダヤ人とともに多くの異邦人が教会に加えられることを示しています。
 神の愛は、私たちのレベルに合わせて現実的に現れます。ユダの民が、かつて奪われて失った物について呟いています。24節。奪われた物を取り戻せようか、囚われている者を助け出せるのかと心配しています。神様は何と言っていますか。25〜26節。神様の愛は問題を解決してくれる愛です。実際に、ペルシヤ帝国を通してバビロンに奪われた神殿の宝物は返してもらえ、妨害する近隣民族からも守られるようになります。エズラ6:1〜6。
 神様の見せてくださるビジョンは驚くべきことですが、それが実現して行くのです。神様の祝福とあわれみは、回復させてくださることです。私たちも、奪われ、失ったものがあるでしょう。痛みと失意の中にあっても、イエス様にあって救ってくださった神様に心を向けるのです。私を救うためにご自分の御子イエス様を十字架に渡された方が、どうしてそのままにしておかれるだろうかと確信するようになります。ローマ8:32。
 ユダの民はバビロンで辛い捕虜生活をしていますが、悔い改めて帰って来たら、痛い傷を包んでくださって、失ったすべてを回復させてくださるという約束でした。神様は、神の民が苦しんでいるそれ以上の驚くべき祝福を用意してくださるのです。この祝福の約束を確信すると、現在の苦しみが喜びに変えられます。今はたとえ難しくて苦しい状況であっても、神様が自分を祝福して、自分のために働いてくださるビジョンを見てください。神様の愛の働きを確信して感謝し、力強く歩んでいく聖徒になることをお祈りします。詩篇94:14。



イザヤ49:14 しかし、シオンは言った。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と。
49:15 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。
49:16 見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。
49:17 あなたの子どもたちは急いで来る。あなたを破壊し、あな廃墟とした者たちは、あなたのところから出て行く。
49:18 目を上げて、あたりを見回せ。彼らはみな集まって、あなたのところに来る。わたしは生きている。──主のことば──あなたは必ず、彼らをみな飾り物として身につけ、花嫁のように彼らを帯に結ぶ。
49:19 必ず、あなたの廃墟と荒れ跡と滅びた地は、今に、住むには狭すぎるようになり、あなたを呑み込んだものたちは遠くへ離れ去る。
49:20 あなたが子を失って後に生まれた子らが、再びあなたの耳に言う。『この場所は私には狭すぎる。私が住めるように場所を広くしてください』と。
49:21 そのとき、あなたは心の中で言うだろう。『だれが私に、この者たちを生んでくれたのだろう。私は子に死なれた女、子を産めない女、捕囚のさすらい者であったのに。だれがこの者たちを育てたのだろう。私は、ただひとり残されていたのに、この者たちはどこから来たのだろう。』」
49:22 神である主はこう言われる。「見よ。わたしは国民に向かって手を上げ、わたしの旗を諸国の民に向かって揚げる。彼らは、あなたの息子たちを懐に抱いて来る、あなたの娘たちは肩に担がれて来る。
49:23 王たちはあなたの世話をする者となり、王妃たちはあなたのうばとなる。彼らは顔を地につけて、あなたを伏し拝み、あなたの足のちりをなめる。あなたは、わたしが主であることを知る。わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。」
49:24 奪われた物を勇士から取り戻せようか。罪のないとりこたちを助け出せようか。
49:25 まことに、主はこう仰せられる。「勇士のとりこは取り戻され、横暴な者に奪われた物も奪い返される。あなたの争う者とわたしは争い、あなたの子らをこのわたしが救う。
49:26 わたしは、あなたをしいたげる者に、彼ら自身の肉を食らわせる。彼らは甘いぶどう酒に酔うように、自分自身の血に酔う。すべての者が、わたしが主、あなたの救い主、あなたの贖い主、ヤコブの力強き者であることを知る。」


創世記13:14 ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。

ピリピ4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

ローマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

詩篇94:14 まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。

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