2023年12月10日「苦しみの中での祈りの答え」イザヤ51:9〜16

序−前回捕囚の民への慰めを学びましたが、慰めを必要として民の中には、もっと苦しみや絶望に陥っている者がいました。もっと慰めや励ましを必要としていました。預言者イザヤは、そんな民に代わって、逆境の中での祈りをささげました。時には、私たちももっと慰めや励ましを必要とします。ですから、とりなしの祈りと主の答えを聞きましょう。

T−苦しみの中での祈り−9〜10
 前回のように民に慰めを語りながら、周囲の民を見渡すと、その顔が暗く、酷く絶望し、苦しんでいるように見えました。そこで、イザヤは、切実な祈りをささげました。9〜10節。私たちも、周りの人々の絶望や悲しみ、暗さと苦しみを見たならば、イザヤのように神様に切実に祈りたいのです。私たちは、問題や苦しみ、悲しみや痛みの中で、その時の状況や問題だけを見るようになることがあります。そうではなくて、主なる神様を見なければなりません。問題の渦中で、苦しみの中で、悲しみの中で祈らなければなりません。
 9節の「目覚めよ。目覚めよ。力をまとえ。主の御腕よ」というのは、力ある神様が目覚めて、力を発揮してくださるようにお願いしているということです。なぜ、そのように祈るのでしょうか。かつてそのようにしてくださったからです。ラハブも竜も、エジプトを指した表現です。昔エジプトは、富と力を持っていた当時最大の強国でした。そのエジプトを退け、出エジプトの神の民を守ってくださいました。
 かつてしてくださったように、今のこの民にもしてくださいととりなし祈っているのです。人生が難しいならば、家庭や仕事が難しいならば、こういう祈りをしなければなりません。10節のことは、出エジプトの時、海を分けて、民が海を渡ってエジプトから出られるようにしてくださったことです。「贖われた」とは、エジプトから出る時、家の門柱とかもいに羊の血を塗った家を神様の裁きが過ぎ越し、助かりました。出エジプト12:22〜23。私たちイエス様の十字架の犠牲を信じて救われた者も、罪赦され、天国への命をいただいています。ですから、疲れた人や重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさいとイエス様は言われました。マタイ11:28。
 問題の渦中にある時、まるで紅海の前に立つ出エジプトの民のように、前には海、後ろにはエジプト軍というように、問題ばかり見て絶望してしまうかもしれません。逃れる道が全くないように思うでしょう。そのような状況で神様だけを見るようにということなのです。神様に頼る者が見上げるなら、神様が臨み、働いてくださいます。そのような時、出エジプトの民は、神様を見るのではなく、モーセを恨みました。「私たちを荒野で死なせるためにエジプトから連れ出したのか」と言いました。出エジプト11:14。
 しかし、捕囚の民は、出エジプトの奇跡を知っています。ですから、神だけを見て、信頼しなさいというのです。神様がどのように関わってくださるか見てみましょうというのです。神様は、選び救った者を捨てることはなさいません。神様は、イエス様の十字架のゆえに私たちを罪と滅びから救ってくださったのではないでしょうか。暗い状況の中で、切実に主の助けや導き、癒しと慰めを求めて祈りましょう。
 過去を振り返るなら、すでに神様が私を助け、守ってくださった恵みを思い起こすことができます。ですから、切実に祈るのです。イザヤが「〜したのは、あなたではないか」と祈るように、私たちも、神様に「かつて〜してくださったではありませんか。この時もそのようにしてくださることを信じます。助けてください。守ってください」と祈ることができます。

U−切なる祈りに答えてくださる主−11〜13
 捕囚の民のために切実に祈るイザヤのとりなしの祈りに対して、神様は確かに答えてくださいました。どのように答えてくださったのでしょう。11節。「主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入る」と宣言してくださいました。神様を拠り頼み、切実に祈ったことへの答えです。詩篇の詩人も、そのように切実に祈り、喜びと励ましの答えを受けて、主を賛美しています。詩篇40:1〜3。
 確かに、捕囚の民は、捕囚の苦しみから解放され、自由を得ることができました。神様の恵みを享受しました。帰還した民は、賛美して、シオンに入りました。ここで、「主に贖われた者たちは」と言っています。「贖われた」とは、代価を払って買い戻されたという意味です。神様が多大な犠牲を払って神の民とされたということです。それだけ、神様の大事な民だということです。
 イエス様の十字架の犠牲という代価をもって救われた私たちこそ、贖われた者です。マタイ20:28,Tテモテ2:6。そうです。イエス様を信じて救われた私たちは、贖われた者です。贖われた者は帰って来る、贖われた者は回復される、救われた者は助けられるのです。これが、私たちのアイデンティティーなのです。
 悲しみと嘆きを克服しようと頑張るのではありません。11節の後半を見てください。「楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る」と言っています。私たちが救われ、贖われた者としての楽しみと喜びがついて来るならば、自然と悲しみと嘆きが逃げ去るというのです。何と感謝なことでしょうか。神様がくださった恵みを覚えて賛美し、感謝し、喜ぶ時、悲しみと嘆きが次第に薄れて行くのです。救われた恵みを思い起こしてください。
 苦しみと悲しみの中で大きな慰めを必要している者に対して、神様はこう宣言されておられます。12節。ご自分について「わたし、このわたしが、あなたがたを慰める者だ」と強調されています。「慰める」という動詞は強意形で記されています。他の何ものからでもなく、天地を造られた神様から慰めを受けることができるのだと宣言しています。
 神のひとり子イエス様は、私たちを救うために世に来られました。罪から救い、患難の中にいる者に慰めを与え、失望した者に希望を与えてくださいます。「私があなたを慰める者だ」と言われる神様の慰めを受けるためには、神様に自分の苦しみや悲しみを打ち明けなければなりません。 心配や悩みを自分が抱きしめているなら、慰めは受けられません。
 「あなたは何者だ」と問うています。12節。バビロンを恐れ、人を恐れて、悩み悲しんでいる捕囚の民に、あなたがたは何者なのかと考えさせます。私は何者なのかと考えます。12〜13節。天地のすべてを造り、すべてを治め、裁かれる方、そのお方が私たちの神であるのに、他に何を恐れるのでしょうか。何でも申し上げて、聞いてもらえるのです。ピリピ4:6。

V−祈りへの確かな答え−
 ご自分の民を慰めてくださる神は、彼らをどのようしてくださると言っていますか。14節。まず、苦しんで悲しんで、うずくまる捕らわれ人をすぐ解き放たれると言っています。捕囚の民は、バビロンの捕虜から解放されます。イエス様を信じて贖われた私たちも、かつては罪の奴隷でしたが、罪の奴隷から解放されました。ローマ6:17〜18。
 そして、捕囚の民は、捕囚から解放されるだけでなく,バビロンからエルサレムへの帰り道においても、食べることができ、死なないように守ってくださるという約束してくださいました。イエス様を信じて救われた私たちも、救われっぱなしではなく、救われた後も守られるということです。私たちは、神様が私たちを守り、導いてくださることを知らなければなりません。そう確信することで、私たちは慰めを受けることができます。ローマ8:32。
 神様は、ご自分の民を守るためには、私たちに関係するすべてに関わってくださるとまで約束されています。15節。私たちに関係するならすべてに関わってくださるということが、神のご意志です。どれほど感謝なことでしょうか。天地万物の中で小さな存在でしかない私たちに、天地の創造主である偉大な神様は関わってくださるというのです。世の表現を用いるなら、救った私たちの責任を取ってくださるということです。どうしてそのように責任を取ってくださるのですか。イエス様の十字架の犠牲を信じることで、神様が私たちの神となられたからです。ヨハネ1:12。
 一度救われたら、永遠にその救いは変わりません。ローマ11:29。こんな偉大なお方、強力なお方が助けてくださると言うのです。なぜ苦しんで心配するのでしょう。確かに問題が起きます。どうにも受け入れ難い出来事にも遭遇します。ですから、祈らなければなりません。自分で解決を見つけることができないからです。自分の頭では到底理解できないことも起こるからです。とにかく、私たちが祈って神様に拠り頼むことによって、私たちの問題に神様が関わってくださるという約束です。アーメンです。
 ですから、神様に信頼して、拠り頼むべきです。16節。バビロンの捕囚から帰還する民は、様々なことで守られ、助けられることになります。神様が私たちの口に御言葉を与えて、証しさせてくださるということです。私たちの話を守り、導いてくださいます。
 結論は、「あなたはわたしの民だ」です。なぜ最後まで、私たちを守り、助けてくださるのですか。私たちをご自分の民、子どもと思われるからです。私たちが苦しみや悲しみの中で祈るなら、天地のすべてを用いて、私たちを助けてくださいます。これが私たちへの慰めです。ピリピ4:6。



イザヤ51:9 目覚めよ。目覚めよ。力をまとえ。主の御腕よ。目覚めよ。昔の日、いにしえの代のように。ラハブを切り刻み、竜を刺し殺したのは、あなたではないか。
51:10 海を、大いなる淵の水を干上がらせ、海の底に道を設けて、贖われた人々を通るようにしたのは、あなたではないか。
51:11主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。
51:12 「わたし、このわたしが、あなたがたを慰める者。あなたは何者なのか。死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは。
51:13 天を延べ広げ、地の基を定め、あなたを造った主を、あなたは忘れ、一日中、絶えず、虐げる者の憤りにおののいている。まるで滅びに定められているかのように。その虐げる者の憤りはどこにあるのか。
51:14 うずくまる捕らわれ人もすぐ解き放たれ、死んで穴に下ることがなく、パンにも事欠かない。
51:15 わたしは、あなたの神、主。海をかき立て、波をとどろかせる。その名は万軍の主。
51:16 わたしのことばをあなたの口に置き、この手の陰にあなたをかばい、天を置き、地の基を定め、『あなたはわたしの民だ』とシオンに言う。」


詩篇40:1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、
40:2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
40:3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。

Tテモテ2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身を与えにてくださいました。これは定められた時になされた証しです。

ピリピ4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

ローマ6:17 神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、
6:18 罪から解放されて、義の奴隷となりました。

ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。



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