2023年12月24日「最初のクリスマス賛美」ルカ2:8〜14

序−世界で最初のクリスマスソングは何でしょうか。今日のルカ福音書2章14節にある御使いの賛美です。なぜこれが最初のクリスマスの賛美なのでしょうか。たった1節だけの短いものですが、重要なクリスマス賛美です。賛美歌98番、114番にもあります。クリスマスの意味が表されています。

T−平和をもたらす神の栄光−
 今日の箇所は、羊飼いたちの所に御使いたちが来て、救い主イエス様が世にお生まれになったことを告げ知らせるシーンです。8〜12節。その時、御使いたち、天使たちが大合唱をして賛美したのが、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」という1節です。13〜14節。
 どうして、そのように賛美されているのでしょうか。それは、真の平和とは、神との関係によって生じるものだからです。イエス様の生まれた時代は、ローマ帝国の時代です。初代の皇帝が、住民登録を命じたアウグストゥスです。ルカ2:1。いわゆるパックス・ロマーナ(ローマの平和)と言われる時代です。地中海世界が強力な武力によってローマに支配されたものです。だからと言って、本当に平和かと言えば、そうではありません。軍事力によって抑圧されていた平和です。
 神様がイエス様を通してくださる平和は、これとは違います。まず、神様との関係が大切だということです。真の平和になるためには、神様との平和の関係が重要だということです。神様と人は、平和の関係ではありませんでした。罪のために神様から離れていた状態でした。アダムとエバがエデンの園で罪を犯したので、彼らは神の臨在されるエデンの園から追い出されました。創世記3:6,23。それで神様との関係が平和ではなくなり、人は罪によって滅びの道を歩む存在となりました。
 そのような罪によって断絶された関係を解決するために、神様はイエス様を世に与えてくださいました。 それは、イエス様が人々の罪を代わりとなって、人々の罪の問題を解決してくださるためです。それによって神様と人との関係が平和の関係になるのです。イザヤ53:5。旧約聖書を通して、やがて救い主を赤ちゃんとして送ると約束してくださいました。イザヤ9:6。イエス様の救いによって、神様と人の関係が和解の関係になるのです。エペソ2:14〜16。神様と罪人たちの関係回復のために、イエス様が十字架の犠牲になって苦しまれたからです。
 ですから、神に栄光を表さなければなりません。イエス様を世に生まれさせてくださった神様に感謝し、誉め称えるのです。約束通り救いをくださったので、礼拝と賛美をささげ、栄光を帰するしかありません。
 それではどうすれば神様に栄光を帰することができるのでしょうか。ピリピ1:11。義なる生活で神の栄光を表すのです。人は自分の利益のために働くことが多いです。熱心に行っているもの、目指しているものについて、一度静かに考えてみてください。 それは自分のためのものか、神の栄光のためのものですか。自分を誇るために、自分を示すためにしたのであれば、それは神の栄光とは無関係の自分の選択に過ぎません。考えること行うことが神の栄光につながるように生きてみましょう。
 イエス様は、私たちを救うために神の御子の栄光を捨てて、肉体をとって世に生まれました。ピリピ2:6〜8。十字架の死にまでも従われました。イエス様がこの地に来られたクリスマスとは、神様が栄光を受けるべきことです。ですから、「いと高き所で、栄光が神にあるように」と御使いたちが賛美したのです。

U−平和が、御心にかなう人々にあるように−〜
 最初のクリスマス賛美は、「いと高き所で、栄光が神にあるように」という賛美に続いて、「地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように」と賛美しています。神様との平和が与えられると、人との平和がもたらされることになります。
 なぜ、私たちの社会には、平和がないのでしょうか。それは、人が神様から離れてしまったからです。神を離れた人々の社会は、罪のゆえに、恨みと文句、争いと戦い、心配と悩み、恐れと不安に覆われています。誰でも人生の平和を切望しています。それで、お金があれば平和に、生活が便利になれば平和にと思っています。ところが、人が渇望するそのようなものがあったとしても、平和になりません。かえって、世は争い、憎み合うところとなります。物質的な豊かさが私たちの心の平和を保証することにはならず、むしろさらに欲望が増加し、葛藤と不満が増大します。人々の心は疲弊してしまいます。救い主イエス様の与えてくださるたましいの平安が必要なのです。
 では、なぜイエス様の誕生が平和の元になるのでしょうか。なぜイエス様が世に来られることによってこの世に平和がもたらされるのでしょうか。賛美の言う平和は、まず神と人が平和を結べなければ、人同士でも真の平和を結ぶことができないということです。義なる神様は、罪を裁かれるお方です。でも、罪人である人間を愛してくださるお方です。この正反対のことを解決するために、罪のない御子イエス様を世に送り、人々の代わりに十字架の犠牲とされました。イエス様が私たちの罪をその身に負って、私たちを憎しみと怒りから自由にしてくださいました。
 ですから、今日心に憶えてください。神様との関係の回復が人との関係の回復につながることです。イエス様の救いによって、神との平和が与えられました。人々の悩みは何でしょうか。中でも、 人との関係、人との平和ではないでしょうか。平和を望んでいるのに、家庭や職場や学校などの人間関係において、不和や争い、妬みや憎しみが生じることがあります。その原因はどこにあるのでしょうか。罪の問題につながります。自分のしたくないことをしてしまうならば、それを行っているのは、自分のうちに住んでいる罪なのです。ローマ7:15,17。
 地の上に平和を望むなら、まず神様と平和を結ばなければなりません。 そのためには、この地に来られたイエス様を救い主として心に迎えることです。イエス様の十字架の犠牲が私たちの罪の問題を解決してくださったからです。私たちが味わうべき平安は、イエス様の十字架による救いを信じて、罪赦されて味わうことのできるものです。罪を悔い改め、神の前に告白してみてください。罪の赦しを受け、今まで味わったことのない平安を味わうことでしょう。そして、人との関係も変わって来ます。

V−平和をつくる者は幸いです−マタイ5:9
 ところが、この平和は、そのままで保たれるわけではありません。神様との平和を奪おうとする霊的な試みや誘惑があります。平和を保つには、霊的な戦いが必要です。いつも御言葉に生かされて、神様との関係から離れないことです。
 イエス様を信じた者に与えられる神様との平安が人々との関係に向かうことを願います。私たちには、「できる限り、すべての人と平和を保ちなさい」と勧められています。ローマ12:18。平和の源を与えてくださった主は、私たちが人々との関係において平和を保つことを願っておられます。
 今私たちに新しい務めが与えられています。御使いたちが、羊飼いたちにイエス様の誕生を知らせ、賛美したのは、平和を失い、悲しみの間に生きる人々に、イエス様の平和を贈り物として与えようとするためです。これが、本当のクリスマスプレゼントです。この知らせを受け、神様との平和を与えられた私たちは、平和を作る者です。マタイ5:9。人々との平和は、イエス様の十字架によって罪を赦され、神との平和を与えられ、イエス様の愛を経験した者たちによってもたらされるものです。
 アッシジのフランチェスコの祈りです。「主よ、わたしを平和の器とならせてください。憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを、分裂があるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤りがあるところに真理を、絶望があるところに希望を、闇あるところに光を、悲しみあるところに喜びを。ああ、主よ、慰められるよりも慰める者に、理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者にしてください。」
 私たちを通して、神との平和が私たちの心から始まり、私たちの教会に家庭に職場に学校に友人に社会に臨むことを祈ります。私たちの周りを見ると、平和の希望の代わりに憎しみと争い、悲しみと苦しみが生じているのを見ます。私たちの心を見ても、時には憎しみと怒りに囚われているのを見るかもしれません。しかし、私たちの忍耐と理解は、私たちの明日の小さな平和をもたらします。
 今私たちの使命は明らかです。Uコリント5:18〜19。神様がイエス様を世に送られて平和を与えようとされたように、今日も神様は私たちを世に送って、平和が壊れたところに平和を与えようとしておられます。まず、神は、イエス様の十字架によって私たちをご自分と和解させ、和解の務めを私たちに与えてくださいました。背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。
 私たちが遣わされるところはどこですか。私たちによって関係が回復され、平和がもたらされるべきところはどこですか。私たちも、御使いのように救い主の来られたことを知らせ、賛美します。マタイ5:9。



ルカ2:8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れを夜番していた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを知らせます。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、その御使いと一緒に、おびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」


ルカ2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。

イザヤ9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。


ピリピ2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

ローマ7:15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。
7:16 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
7:17 ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。

ローマ12:18自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。

マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

Uコリント5:18 これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。
5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。

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