小グループで聖書を学ぶ

1 苦難の中であふれる慰め(Uコリント1:1〜11)

「心の門を開いて」
 
 私たちは人生において、しばしば、苦しみ、悩み、悲しむ時があります。時には絶望的な状況になる時もあります。そのような時は、誰でも慰めを必要といます。しかし、慰めが中々受けられません。どうしたら慰めを受けられるのか分からないのです。パウロの証しから学びましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 コリント教会には、混乱と争いがありました。その様子を聞いて、パウロは、心を痛め、苦しみました。そのような状態では、コリント教会の聖徒たちも、苦しみ、悩みます。苦難を受けていても、信仰によって対処ができません。コリントの聖徒たちには、何が必要だったのでしょうか。繰り返されている言葉に注目しましょう。
・3〜7節/


2 「慰め」が3〜7節に10回も使われています。苦難にある人は、慰めを必要としています。しかし、中々人を慰めることは難しいし、受ける人も素直に慰めを受けられないのです。ここで言う慰めは、誰が与えてくれるのですか。なぜ、与えることができるのですか。
・3〜5節/
・ルカ22:44,ヘブル2:18

3 人は自分が孤独だと思うと絶望します。苦難の中で、一人で放って置かれるなら、どれほど心痛むことでしょう。しかし、私たちの代わりに十字架を担ってくださったイエス様は、私たちの痛みを誰よりも知っておられます。どう呼びかけておられますか。その呼びかけをどう感じますか。
・マタイ11:28〜29/


4 イエス様とくびきで一つにされれば、一人では負うことのできない重荷を担い、立ち上がることができます。イエス様の慰めを経験した者は、どうすることができると言っていますか。
・6〜7節/


5 手紙の冒頭で苦しみと慰めについて書いているのは、パウロ自身がこの手紙を書く少し前に、大変な苦しみを経験したからのようです。どんな苦しみを経験したのでしょう。パウロは、生涯どんな苦しみを受けたと証ししていますか。あなたはどんな苦しみに出会いましたか。
・8節/
・Uコリント11:24〜28/

6 小アジアで福音を伝えていた時、ひどい肉体的苦痛を受け、本当に命の危険にさらされたようです。その時、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなって絶望した時、パウロは、どのように変わったと証ししていますか。
・8〜9節/


7 「もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となる」ということは、重要な信仰の変化です。パウロは、様々な苦難を経験し、絶望したにもかかわらず神様は彼を守り、生かしてくださいました。祈っても変わらないこともあったのですが、そのような時にはどんな慰めを受けたのですか。これについて、何を感じますか。
・Uコリント12:7〜10/


8 パウロは、苦しみや苦難から助け出されるのは、死者をよみがえらせてくださる神様に望みを置くことだと言っています。どんなに環境が良くても、人に希望がなければ苦しみに耐えることができず、生きる辛さが増します。問題や苦難の中にあっても、希望を持つことさえできれば、生きることができます。自分の可能性だけに希望を置いて生きようとするならば、必ず行き詰ります。本当の希望は、自分を頼りにしないところから始まります。神様に望みを置くと、どういう望みを持つようになったと証ししていますか。
・9〜10節/


9 パウロは、コリントの聖徒たちがパウロのためにとりなし祈ることを要請しています。とりなし祈る者も恵みを受け、感謝をともにできます。互いのためにとりなし祈ることが大切です。祈られているから、神様に希望を置くようになり、慰めを与えられます。あなたがとりなし祈っていることは何ですか、祈られて慰めと励ましを受けていることは何ですか。
・11節/

「命の実を刈り取ろう」

 不和や争いがあり、御言葉が正しく語られていなかったコリントの聖徒たちが、苦難の中で慰めを受けることは容易なことではなかったでしょう。そのために、死を覚悟したほどの患難に出会った後、その苦しみの中で溢れる慰めを受けたという証しをパウロはしていました。この箇所を学んで与えられた恵みや導きを分かち合いましょう。

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