小グループで聖書を学ぶ


20 私たちの戦いの武器 (Uコリント10:1〜6)

「心の門を開いて」

 私たちには、様々な人間関係において戦いがあります。戦いに引き込まれ、同じように戦うならば、どうなるでしょうか。私たちは、どのように受け止め、どのように対処すればいいのでしょうか、

「御言葉の種を蒔こう」

1 パウロという人は、人々の前ではいつも穏やかで謙遜であって、人の心を忖度しており、権威を振り回して人に怒りをぶつけるような人ではありません。ただ真理に関しては、手紙に厳しく書きました。それで、反対者たちは、そのようなパウロの姿を批判していました。何と批判していたのでしょう。反対者の言葉や考えが引用されています。
・1〜2節/


2 目の前にいる時は何も言わないでおとなしいのに、離れている時だけ声高に言う臆病者だというのです。肉に従って歩んでいると批判しています。このようなパウロへの批判はまったく根拠のないことです。根拠の無いことで他人を攻撃したり、あることをまったく正反対に解釈して攻撃する人がいます。自分の言動が誤解され、非難されたとしても、それによって傷を受けないための心の備えは、私たちにも必要です。パウロは、どのように対処していますか。
・1節前半,2節後半/


3 パウロは、そのような批判に興奮しないで、「キリストの柔和と寛容」で答えています。「強気でふるまうことがなくて済むように」と願っています。「柔和」というのは、ただ柔らかいというのでなく、霊的分別力があるので、余裕を持っているということです。一方、反対者たちは、霊的分別力がないために余裕がなく、肉の思いでピリピリして、攻撃的になっていました。イエス様に救われた者はどのようになると約束されていますか。
・ローマ8:2〜5/


4 あなたは、人間関係の戦いにおいて、肉の者である相手に対して、自分でも肉の思い、肉の力で対処しようとしていませんか。しかし、パウロは、「肉に従って戦ってはいません」(3)と言っています。なぜ、そう言うのでしょうか。私たちの敵とは、どういうものなのでしょうか。なぜ、敵になっているのでしょうか。
・エペソ6:11〜12/
・エペソ6:2,5/

5私たちの敵とは、サタンです。イエス様に救われた時、私たちは、罪とサタンの捕らわれから解放されたからです。ですから肉の思いに従って戦ってはなりません。肉の物では戦えません。サタンは、いつも近くの人を使って私たちを攻撃しようとしています。なぜ理解してくれないのか、なぜ悪く取るのかと悩んだり、憤慨することはサタンの思う壺なのです。では、目に見えない敵、サタンに勝つことができる武器とはどれほどのものだと言っていますか。
・4節/


6 「堅固な城壁」とは、サタンがこの世で支配している勢力です。サタンの攻撃の強さをあらわしています。どうしたら、それを倒すことができるのでしょう。イエス様がサタンと戦われる時どうされましたか。「要塞をも破るほどに力のあるもの」とは、何ですか。
・マタイ4:4,7,10,11/
・Tコリント1:18/

7 イエス様は、神様の御心に従ってご自分を十字架にお渡しになり、サタンに勝利されました。そして、信じる者がサタンの囚われ人から解放されるようにしてくださいました。クリスチャンに重要なことは、どれほど自分を強くするかということではありません。どのようにすれば、自分を通して神様の御心をなすことができるかということです。サタンに打ち勝つために、サタンの攻撃と武器を知らなければなりません。何と言っていますか。
・5節/


8 サタンの使う武器は、自分中心の考えや感情を絶対視させることです。そのために、神様のいない宇宙や人間の存在について考えることができる哲学や進化論に熱狂させ、ヒューマニズムを称賛させました。人間の利己主義を刺激して、神様に敵対させ、神様の創造の秩序を破壊させます。科学でないことを科学であるかのように主張する思想には、神様を否定しようとする意図が隠れています。ですから、どのように対処すべきなのですか。
・エペソ6:13〜18/


9 サタンは、人の怒りや疑いをそそのかして、他の人を破壊させようとします。また、人の感情を衝動的にさせて、他の人を攻撃させます。さらには、人間の利己主義を刺激して、神様に背を向けさせようとします。でも、救いの兜や御言葉の剣、御霊による祈りをもって対処して行けば、どうしてくださると約束されていますか。
・5〜6節/

「命の実を刈り取ろう」

 サタンは、様々な人間関係の軋轢や争いをもって、いつも私たちの信仰を萎えさせようと攻撃します。しかし、私たちが神様に信頼し続けるならば、サタンは私たちを倒すことはできません。人間関係でも、助けと恵みを受けるようになります。今日の学びで受けた気付きや与えられた導きを分かち合いましょう。エペソ6:13,17〜18。

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