小グループで聖書を学ぶ


23 欺きの中で真実を (Uコリント11:10〜20)

「心の門を開いて」

 人間関係の難しい現代、そのために、自分を装い、自分を偽って付き合うという人々がいるようです。また、人を欺くために故意に違う自分を演じる人々もいます。自分が分からない、どう振舞えばいいか分からないという声もあります。私たち自身はどうでしょうか。私たちはどのような者なのでしょうか。

「御言葉の種を蒔こう」

1 もし悪く言われ、評価されないということがあれば、私たちはどうするでしょうか。怒ったり、悲しんだりするでしょうか。敵対者や誤解する者から悪く言われていたパウロは、自分をどう見ていましたか。なぜ、そのように大胆に言うことができるのでしょうか。どんな確信があったからですか。
・10〜11節/
・使徒9:15,13:2/

2 パウロは、反対者からその立場や働きを否定され、惑わしを受けた聖徒たちからも誤解されました。しかし、パウロは、主が異邦人の救いのために自分を召しだし、真理を委ねられたと確信していました。あなたは、自分の立場や働きについて、どのような思いがありますか。主の召しや主から遣わされているという確信を持っていますか。



3 何よりも、「神様はご存知です」という信仰が大切です。コリントの人たちに誤解されている、反対者からは悪く言われている、人々から認められていないということばかりを考えていると、サタンに騙されます。御言葉の真理に基礎を置き、自分の肉の思いや人の勝手な評価を基礎に置いてはならないのです。パウロは、自分を悪く言い、聖徒たちを騙して誤解させる反対者たちをどういう者だと言っていますか。
・13節/


4 パウロは、彼らが自分と対立しているために、偽物だと言っているわけではありません。彼らがコリントの聖徒たちをイエス様から引き離そうとしていることが、偽物の証拠だということです。誰が、彼らを通して聖徒たちをイエス様から引き離そうとしているのですか。そのためにどんな方式を取っていますか。繰り返されている表現は何ですか。
・13〜15節/


5 キリストの使徒に変装、光の御使いに変装、義のしもべに変装というのですから、サタンが働いているとか、攻撃しているとかが分かるのでしょうか。敵に見えますか。実際生活において、どのような人々を通して私たちを騙し、攻撃し、イエス様から引き離そうとするのでしょうか。



6 サタンが働いているとか、攻撃しているとかまったく分からないようにしています。実際は、クリスチャンや信じようとしている者に対して、御使いのように近づき、もっともらしく話しかけて、誘惑し、騙します。どのような言葉でどのように近づいて来るのでしょうか。実際には、どのような言葉だと思いますか。
・ローマ16:17〜18/


7 罪なんて大したことはない、情欲は自然のことだ、みんながしていると、正しいように思わせます。そんなに熱心にならなくても、適当にしていればいい、聖書に従うより自分の思うままにしたらいい、世の人と同じようにすべきだなどと騙してきます。肉の耳に心地いい言葉に誘惑され、なめらかな言葉やまことしやかな勧めに騙されたことはありませんか。



8 変装したにせ使徒たちに騙され、惑わされた聖徒たちの姿は、どのようになってしまいましたか。
・19〜20節/
・Uペテロ2:18〜20/

9 私たちは、かつてどのような者でしたか。何によってその状態から解放され、自由にされたのですか。今は、どのような姿になりつつある者ですか。
・エペソ2:1〜5,/ Tコリント6:20
・Tヨハネ3:2,ピリピ3:21/

「命の実を刈り取ろう」

 罪と滅びに向かっていたのに、救われ罪から解放されたにもかかわらず、また滅びの道に戻るなんて愚かです。空しく歩んでいた者がようやく光の中を歩み出したのに、どうして空しさに戻るのでしょうか。苦しく悲惨な人生から救いの恵みに生きるようになったのに、恵みを忘れるなんて悲惨です。断固退けなければなりません。騙されてはいけません。私たちは、イエス様の尊い十字架の犠牲によって自由にされました。もし、この恵みを粗末にすれば、自分が知らないうちに元の罪と肉の奴隷に戻ってしまいます。イエス様に救われた者は、神に知られています。私たちには、キリストの真実があります。私たちは、栄光のイエス様に似た者に変えられつつある者です。今日の学びを通して受けた導きや悔い改めは何ですか。分かち合って、信仰を建て上げましょう。

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