小グループで聖書を学ぶ


27 自分自身を吟味してみなさい (Uコリント13:1〜13)

「心の門を開いて」

 パウロを悩まし、苦しめたコリントの人々へ書いた手紙、その最後はどうなっているのでしょうか。驚くべき終わり方です。ここから教会や私たちへの主の取り扱いを学びましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 手紙の終わりの部分では、罪を犯しても悔い改めない人たちについて言及しています。1〜2節。大変厳しい調子ですが、大事なことは、これまでも手紙を送って取り組んで来たということです。彼らがどうなることを望んでいるのですか。
・1〜2節/
・10節/

2 教会は義人たちの集まりではなく、罪人たちの集まりです。ですから、福音を通して罪に打ち勝たなければ、教会は罪に飲み込まれてしまいます。肉の思いで生きる人生を捨て、新しい人生に生きなければなりません。パウロの弱さを侮っていたコリントの人々は、イエス様をどのように見ていたのですか。彼らは、イエス様がどうしてくださったことを忘れているのですか。
・3〜4節/
・ローマ5:8,テトス2:14/

3 コリントの聖徒たちのように、クリスチャンの弱さを侮ったり、イエス様の犠牲を軽んじたりしたことはないでしょうか。自分のために弱くなって十字架にかかられたイエス様を思い、悔い改めましょう。パウロはどうするように勧めていますか。
・5節前半/
・Uコリント11:27〜28/

4 信仰に生きるなら、祈りがあるはずです。祈りは、クリスチャンの呼吸だからです。そして、いのちの糧である聖書の御言葉が必要です。私たちにとって、御言葉の適用ほどおいしいものはありません。呼吸をしなければ死んでしまい、食事をしなければ、人は飢えて病気になります。祈りと御言葉の養いがなければ、霊的には病気になります。さらに、信仰で立っているかどうかのバロメーターは、罪に対する感覚が生きているかということです。罪を吐き出した時、痛みを感じますか。自分を吟味して、どうですか。
・Tコリント12:20/


5私たちが信仰で生きていくためにさらに重要なことがあります。イエス様と繋がっているということです。イエス様を信じた時から、キリスト中心の人生に変わりました。どんな確認の質問をしていますか。あなたは、その質問にどう答えますか。
・5節後半〜6節/
・ヨハネ14:16〜17/

6 パウロは、自分を悩ます聖徒たちがどのような者にならず、どのような者になるように祈っていますか。その確信の基となっているのは、どんな御言葉のフレーズかを確かめましょう。
・7〜9節/


7 私たちを悩ます人がいたとしても、イエス様に心を向け、確信をもってこのように祈りたいのです。一緒に信仰生活をして、霊的成長をしようと努力するのです。キリスト教の共同体は愛の共同体であるからです。教会の中では、いつも神様の御心が勝利するようになっています。イエス・キリストの十字架によって救われた者の共同体だからです。「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできる」という御言葉を読んで、思うことは何ですか。



8 この手紙の締めくくりは、愛と約束に満ちています。パウロ自身は、変わらずにコリントの聖徒たちを愛しています。パウロ自身の心が健康だったからです。不健康な信仰の人々が、問題を起こし、争い、陰口を言っていたとしても、健康な信仰を持った人々がその共同体を癒して、整え、健康にしてくれます。教会はキリストの体だからです。そのために、パウロはどんな勧めをし、主の約束を伝えていますか。
・11節/


9 パウロが最も心痛めながら書いたにもかかわらず、この手紙の締めくくりは、愛と約束に満ちています。間違った肉の姿を叱責されたとしても、終わりには癒されて、祝福されるからです。痛みや悩みの人生を歩んで来たとしても、信仰共同体の中で癒され、整えられて来ています。問題多い人生だとしても、イエス様に出会い、変えられます。どんなに重荷を負って来たとしても、礼拝において癒しと導きを受け、慰め励まされて、戻って行くことができます。最後に祝祷を受けて、どんなことを感じますか。
・詩篇126:5〜6/
・13節/

「命の実を刈り取ろう」

 救い主イエス・キリストの恵みを知ることによって神様の愛を体験し、聖霊によって教会の一員となります。イエス・キリストの救いの恵みで私たちはつながっており、全く違う者たちの共同体であっても、主にあって一つとなります。主の救いの恵みが分かれば誇ることはなくなり、神様の愛が分かれば肉の生き方ができなくなり、聖霊の交わりが分かると一つとなります。学びを通して受けた導きや恵みを分かち合いましょう。

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