小グループで聖書を学ぶ
3 悲しみから慰めへ(Uコリント2:1〜11)

「心の門を開いて」
 
 人は、人生において様々な人間関係の中で、傷を受け、傷を与えたりしています。私たちにも、人間関係において痛みや悲しみがあるでしょうか。何か心の中で赦していないことがあるでしょうか。失敗や与えた心の傷のために心塞がっていることはないでしょうか。きょうの箇所を通して、大事なことを学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ある人が犯した罪のために、パウロとコリントの聖徒たちがどのようになっていると記されていますか。
・5節/
・1〜4節/

2 「悲しませる」という言葉は、痛み、傷つくという意味の言葉です。パウロがその人を正すために「苦しみと心の嘆きから、涙ながらに手紙を書きました」が、噂話で揺さぶられたコリント教会は、混乱してしまったようです。その理由は、ある人およびコリントの聖徒たちそれぞれがどのようになったためだ、と思われますか。



3 人の誤りや足りなさには気付いても、自分の罪には気付かないものです。おそらく、問題を起こした人自身は、自分を責める人々に反発したのでしょう。人は、肉の自尊心や自信のために、誤りを認めたくないのです。指摘されれば、怒って、心を閉ざしてしまうのです。自分の過ちを責められ指摘されて、憤慨して反発した例をあげてみてください。
・マタイ7:3〜4/


4 一方、コリントの人々の問題は、その人を正そうとしてうかつに責めたことです。自分の肉の思いや罪を忘れて、うかつに人を責めてしまうなら、その人の反応に傷つき、憤慨するでしょう。パウロは、「あふれるばかりの愛」をもって涙の手紙を書きました。この愛は、どこからあふれて来る愛ですか。
・Tヨハネ4:10〜11/
・Tペテロ4:8/

5 私たちは、イエス様に出会い、主の御苦しみと十字架の死が自分の罪と滅びの身代わりだと知って、罪を告白し、悔い改めて、救われました。戒めを受ける人は、その罪を悔い改めることが必要です。悔い改めがないところにいたずらに戒めだけあっても、逆効果です。反発や攻撃を生じさせるだけです。戒めの目的は、健全な交わりの回復のです。罪過ちを犯した人が、悔い改めて、罪を克服して、再び健全な交わりが回復されることが、クリスチャンの戒めの目的です。パウロは、心痛めて、憤慨しているコリントの人々に対して、何を与えるように勧めていますか。その理由は何ですか。
・6〜7節/
・Uコリント7:10/

6 多数の人から受けたあの処罰というように、もう悔い改めていることが分かっているならば、その人を赦し、慰めてあげなければなりません。なぜなら、深い悲しみに押しつぶされるようになるからです。失敗した、罪を犯したと悔いているだけなら、その悲しみや挫折感で、心が悲しみに押しつぶされて、病んでしまうからです。主の前に健康を取り戻し、交わりが回復できるようにしなければなりません。そこで、どうするように勧められていますか。
・8〜10節/
・コロサイ3:13/

7 パウロは、自分が救われた罪人だと思い出し、赦された者として互いに赦し合うことを勧めています。私たちに重要なことは、一人の人が神様の御前で尊く生きるように助けることであって、その罪をあばくことではありません。なぜ、互いに赦し合うことができず、裁き合うことになるのでしょうか。どんな欺きと策略ですか。
・11節/
・マルコ4:15,マタイ4:3,Tヨハネ3:10/

8 サタンの策略は、最も近い人々を利用して攻撃させます。近くにいる人に不満と疑いを起こさせ、違いを大きく見させ、一つになれないように思いこませるのです。噂を言う人を用いて、人の言ったことを脚色させ、言わないことを広めさせます。サタンの目的は、私たちを敵対させ、分離させ、分裂させることです。互いに怒らせ、赦せないと憎ませ、争うようにさせるのです。パウロは、「キリストの御前で赦した」と言っています。私たちの救い主イエス様は、サタンの働きに対して、どうしてくださるのですか。イエス様の福音が、私たちの間にどんなことをしてくださいますか。
・エペソ2:14〜15/
・コロサイ3:14/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の働きは、分離されたものを再び結び合わせることです。イエス様の福音が、あらゆるもの分裂を結び合わせ、修復させます。イエス様の愛こそが、結びの帯です。サタンは、不必要な肉の自尊心同士を戦わせ、感情と力を使い果たさせます。サタンに欺かれてはなりません。祈り以外にこのようなサタンの策略に打ち勝つ方法はありません。人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動することが、サタンの攻撃に対する備えになります。共にイエス様に救われ、神様に愛されている者として、どのように歩んで行きますか。分かち合いましょう。Tペテロ4:8,コロサイ3:12〜14/

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