小グループで聖書を学ぶ
4 キリストの香り (Uコリント2:12〜17)

「心の門を開いて」

 私たちは、様々な出来事に会いながら、不安や心配に心がとらわれます。不安や心配を抱きながら日々歩むのは、辛いです。使徒パウロは、不安や心配にとらわれた時、どうしたのでしょうか。どんな導きを受けたのでしょうか。

「御言葉の種を蒔こう」

1 パウロは、福音を伝えるためにトロアスに行きました。そこで宣教の門が開かれて、福音宣教に恵まれたようです。宣教に情熱と命をかけていたパウロにとって、何よりもうれしかったはずです。それなのに、彼の心には安らぎがなかったと記されています。なぜでしょう。4節の涙の手紙は、テトスに持たせました。
・12〜13節/
・Uコリント2:4/

2 トロアスに行ったもう一つの目的は、テトスに会うことでした。パウロは、コリント教会のある問題のために涙の手紙を書き、テトスに持たせてコリントへ派遣しました。ところが、テトスに会えなかったので、気がかりは解消されず、心に安らぎはありませんでした。私たちも経験することではないでしょうか。あの人に言ったことはどう捉えられたのだろうか、問題はどうなるのか、あのことで真意が伝わらなかったのではないかなど、家庭や仕事、人間関係において心配はよく生じます。経験はありますか。



3 パウロという人は、どんな逆境にいたとしても、信仰をしっかり抱いてひたむきに前進して行く人でした。パウロのような信仰の人でも、心配で、不安になったようです。その理由を考えてみましょう。どういうことを心配していたのでしょう。
・Tコリント12:26〜27/
・Uコリント11:28〜29/

4 人は、他人について気にかかることはあっても、不安でならないということはありません。人の喜びを聞きながら、嬉しさはなく、妬みを感じるということもあります。ところが、信仰によって生きて行く人は、人の状況を聞いて、自分のことのように喜び、その痛みを一緒に感じるようになります。それは、共感する能力が備わるからです。パウロとコリント教会の聖徒たちには、信仰共同体の姿があります。あなたの心にも、このような変化がありませんでしたか。


5 パウロは、やはり信仰の人です。不安や心配に陥っても、神様の御前に戻って来ます。以前同じところで悩んで祈って、導きを受けたことを思い出し、導きを求めて祈ったことでしょう。その結果、どんな思いが与えられましたか。
・使徒16:6〜10/
・14節/



6 パウロがトロアスでできたことは、ただコリントの聖徒たちのことを心配して、とりなし祈ることだけでした。しかし、その姿が「キリストのかおり」となっているというのです。ローマ帝国の時代、将軍が戦いに勝利して凱旋する時、その凱旋パレードを知らせるために香がたかれて、香りが漂い、勝利を民衆に知らせました。そのように、キリストの罪と滅びに勝利した凱旋行列に私たちを連ならせてくださるというのです。どうして、私たちがこの行列に加えられたのですか。どんな変化が起きるのですか。
・コロサイ2:14〜15/


7 イエス様に出会い、救われるまで、私たちの心を支配していたのは、肉と欲であり、私たちは、プライドや称賛、知恵や地位などで武装して生きていました。罪に捕らわれた者です。罪のゆえに神様に敵対していた者です。しかし、イエス様の十字架によって、罪赦されて、イエス様のものとなりました。肉と欲の支配から解放され、プライドや称賛、知恵や地位などの武装から解除されました。罪の捕らわれ人から解放されて、イエス様の捕虜、イエス様のしもべとなりました。捕虜として凱旋の行列に加えられました。この行列に加えられて、どのように用いられるのですか。香りは何のために用いられるのですか。
・15〜16節/


8 このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。コリントで問題になっていたのは、神様の御言葉に肉の思いに合うように混ぜ物をしていたことです。私たちも、自分の心に混ぜ物をして御言葉を入れているおそれがあります。そうなると、肉の思いで考え、行動してしまいます。キリストの香りとは、私たちの努力でなることではありません。私たちがどうすることでかぐわしく放つようになると教えていますか。
・17節/
・エペソ5:2, ローマ12:1〜2/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の十字架の死こそが、神様への宥めの供え物としての芳しい香りとなりました。エペソ5:2。ですから、イエス様を信じて救われた私たちを通して、キリストの香りを放つようにさせるのです。そのために、自分自身を神様への生きた供え物としてささげます。それこそが、礼拝の生活となります。今日の学びで導かれたこと、気付かされたことなど分かち合いましょう。

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