小グループで聖書を学ぶ
8 私たちの望み(Uコリント4:10〜18)

「心の門を開いて」

 私たちが失望落胆するのはなぜでしょう。患難に耐えられないと思うのは、どうしてでしょう。どうしたら、患難を乗り越えることができるのでしょうか。私たちの大きな不安や恐れは何でしょう。それをどうして克服できるのでしょうか。今日の箇所から学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 16節の「勇気を失いません」という言葉は、「落胆しない」と訳される言葉です。この「落胆」とは、ちょっと気持ちが落ち込むというのではなく、深い絶望や悲しみに囚われる姿です。パウロは、コリント教会のことでは、しばしば落胆し、失望しました。苦しみ、嘆いて、涙ながらに手紙を書きました。私たちは、どんなことで意気消沈し、落胆するのでしょうか。
・16節/
・Uコリント2:4/

2 人が、失望し、落胆するのは、努力が報われず失敗したり、生きることの難しさや置かれている状況の厳しさを痛感したり、孤独や深い悲しみを経験したりする時でしょう。人生の問題を誠実に受け止めたからこそ、失望し、悲しみや空しさで心が病み、落胆するのだと言えます。人が、最も意気消沈し、落胆するのは何だと言っていますか。
・10〜11節/
・Uコリント1:8〜9/

3 自分の罪と滅びのためにイエス様が十字架で死なれたと信じることは、自分が罪のために死ぬ者だと認めているということです。自分は罪のために死んで、滅びる者だという事実と向かい合ったため、イエス様の救いを信じます。死はもっとも大きな落胆の元であり、人から生きる勇気を失わせる最大のものです。もし、人が死んで終わりだというのであれば、人々はどんな思いになり、どんな生き方になりますか。
・Tコリント15:32/
・伝道2:11,23/

4 人生を生きて行くのに、失望落胆に出会わずにはすみません。問題や患難を誠実に受け止めるなら、心痛め、悩みます。ですから、なぜ、「勇気を失いません」と言えるのか、知りたいのです。落胆しない理由は何ですか。私たちをどうしてくださるからですか。
・14節/
・ローマ6:23/

5 イエス様を信じて救われた者は、人間の最大の失望と落胆の元である死を乗り越えて、天国への命を持っています。罪に翻弄されて、滅びに向かうしかない私たちを救うために、神様は、私たちの身代わりとしてイエス様を十字架に渡されました。これが、私たちに対する神様の愛です。この救いの恵みにあずかった者は、どのように生きる者となりますか。どう生きるように期待されていますか。
・15節/
・Tコリント10:31/

6 私たちが世に生まれ出て来たのも、神様の目的があり、神様に生かされて、用いられるためです。人々を助け、神様の栄光をあらわして生きるためです。勉強も、会社での仕事も、子育ても、みな神様の導きの中あります。一人一人が神様から愛された、尊い存在です。このような思いがないとどうなりますか。特にどんなことで落胆しますか。
・16節/
・詩篇71:9/

7 肉体の衰えや変化が落胆のもとになり、問題や困難によって失望してしまうのが人の姿です。仕事や家庭のちょっとした変化でさえ、私たちの落胆のきっかけとなります。体だけでなく、そういうものを含めて「外なる人」と言っています。では、「内なる人」とは何でしょうか。精神力なのでしょうか。どう思いますか。
・Uコリント5:17/
・Tテサロニケ5:10/

8 イエス様を信じて救われた人が、肉体の衰えや精神の疲れを持ちながらも、与えられた天国へ続く命で生きて働く姿こそ、内なる人です。信仰で死を乗り越えている人が、内なる人です。内なる人が日々新たにされると、どうなりますか。
・17〜18節/


9 年を取って自分が分からなくなったら、内なる人はどうなるのと不安に思うかもしれません。どのような約束と保証がありますか。
・イザヤ43:1/
・イザヤ46:4/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちの意識の衰えも、外なる人にすぎません。私たちが信じて救われたなら、神様に生かされて、運ばれている者です。私たちが自分のことが分からなくなったとしても、神様はまるごと愛して、引き受けてくださいます。神様は、御手で守って、共にいて、天国まで担ってくださいます。イエス様に救われた者は、人間の最大の失望と落胆の元である死を乗り越えて、天国への命を持っています。ですから、私たちは勇気を失いません。こうして、信仰の恵みと素晴らしさを知ることが、まさに日々新たにされることになります。学びを通して示されたこと、適用を受けたことを分かち合いましょう

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