小グループで聖書を学ぶ

9 願いは主に喜ばれること(Uコリント5:1〜10)

「心の門を開いて」
 
 若い時や元気な時は、体の弱さや衰えを考えることがないでしょうが、事故に出会い、病気になり、年を取って行くと、そういうことを実感するものです。その時、不安を感じ、心配になるかもしれません。聖書の約束と保証を学びましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 使徒パウロは、この世での人生と天国での人生を比較しています。私たちの体やこの世での人生を、幕屋、つまりテントにたとえています。普通の家と比べて、テントの特徴は何ですか。
・1節/


2 テントは、仮の住まい、一時的なものという特徴があります。テントは、人の手で労苦して作ることができますが、強固なものではなく、弱いものです。テントは、避難民の一時的な住まいともなります。そういう特徴から、私たちの体やこの世での人生が、どのようであり、どんな心情をあらわしているのでしょうか。



3 世の生活はすべてが一時的だというのです。私たちの弱い体、世での人生は強固なものではないということです。避難民となれば、喜びや平安がありません。心は不安や心配でいっぱいです。しかし、天に永遠の家が用意されています。イエス様は、どんな約束をしてくださいましたか。そのことでどんな励ましを与えられますか。
・1節/
・ヨハネ14:1〜3/

4 天国へ行っても、この体のままならいやだという思いがあります。新しくなることは、今の私の感情や意思や考えが消えてなくなってしまうのかという心配もあります。パウロは、この世の状態から天国の状態へ変わることを重ね着することに譬えています。この譬えからどういうことが考えられますか。
・2〜3節/
・Tコリント15:42〜44/

5 服を重ね着するということは、この世での聖徒たちと継続性があるということなのですが、天国へ行くと、新しくされて分からなくなるということではありません。新しい霊の体が与えられます。次の節では、この世での幕屋、テントの生活をどのようだと説明していますか。
・4節/


6 私たちがこの世で生きるというのは、重荷を負って歩むようなものだと言われます。私たちのこの世での重荷がずっと続き、変わらず、どうすることもできないと思うならば、まさにそれは背中にくくりつけられた重い荷物になります。しかし、その重荷を負う者は、どうすればよいのですか。どんなことが言われていますか。約束は何ですか。
・詩篇55:22, 68:19/
・マタイ11:28/

7 それはいつか軽くなる、いつか取り去られるとわかっていれば、担うことができるようになります。パウロは、世にある間そのようにして重荷を担い続けました。神様に重荷を委ねるなら、神様が負ってくださいます。イエス様の召しに応えて、休ませていただけます。あなたはどんな重荷を担っていますか。このような約束を知って、どう思いますか。
・ローマ8:18/


8 死んだ先の素晴らしい約束を確信していると、死はもはや恐ろしい不安なものではなくなりました。一時的で不安定に住むところよりは、永遠に平安に住む家のことを考えるのは当然です。けれども、結局はどういう心、姿勢で生きることが良いと教えていますか。
・8〜9節/


9 確かにこの世は不安定であり、私たちの体は弱く、私たちの人生は一時的なものです。しかし、イエス様が天国に場所を備えてくださいました。その救いの恵みに応えて、主に喜ばれるように生きたいのです。なぜ、そのように生きることが大事なのですか。
・10節/
・マタイ25:40/

「命の実を刈り取ろう」

 クリスチャンは、世でどのように生きたかによって、裁きを受けるようになります。結局、私たちの救いは、この世に生きる間与えられたことに最善を尽しながら、神様の御心に従うことです。欠けだらけの弱い体をもって人々に仕え、自分の人生において主の栄光をあらわして行くこと以上に重要なことはありません。十字架からよみがえられたイエス様が、すでに天に私の住まいを用意してくださいました。もう不安なことも空しいこともありません。ただ私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。今日の学びを通して受けた慰めや励まし、導きはどうですか。分かち合いましょう。

戻る