小グループで聖書を学ぶ

10 キリストの愛が私を駆り立てて (Uコリント5:11〜21)

「心の門を開いて」

 自分が救われた信仰とはどんなものなのか、知っているでしょうか。その素晴らしさをよく知っていると、福音の力が大きく働きます。パウロという一人の人生を通して、福音の素晴らしさを学ぶことにしましょう。パウロの証しには、救われた者がどうあるのかが示されています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 パウロという人は、しばしば誤解され、批判された人でした。素晴らしい人なのにと思うのですが、それだけに妬まれ、躓く者もいたようです。それでも、憤慨することなく、自分を知ってもらおうとしています。パウロは、どのように誤解され、批判されていますか。
・11〜13節/


2 パウロが自分のことを紹介するのを、自慢していると誤解する人もいました。あなたは、どんなことで誤解されたり、妬まれたり、責められたりしましたか。そうした人の言動によって憤慨することがありませんでしたか。



3 パウロは、コリント教会で権威をふりかざすこともなく、聖徒たちに親しく接していました。そのために、かえってパウロを評価せず、軽く扱う人々がいたようです。パウロを悪く言い、侮る人たちは、何と形容されていますか。そこから、その人たちの価値観がどういうものであることが想像できますか。
・ピリピ3:4〜6/
・Tヨハネ2:16/

4 「パウロのことを誇るように」(12節)と言っていますが、これは自分の自慢ではなく、パウロ自身のことで福音や神様までが低められ、誤解されてはならないためです。ただ、自分を通して働かれる神様のことや素晴らしい福音が伝わることを望んでいたからです。信仰的に事が進めば、自分は評価されなくてもよいという態度です。パウロの態度をどう思いますか。



5 パウロは、人々に配慮ができ、知的な人ですが、人々の救いのためには、狂ったと見られるように熱心に働き、労苦していました。どうしてそのようにできたのでしょうか。パウロの決心や能力によるのでしょうか。パウロが強調していることは何ですか。
・14〜15節/


6 福音において最も重要なことは、イエス・キリストの十字架の死は、私たちのための身代わりの死だということです。パウロが伝えたいことは、イエス様が十字架で死なれたのは自分のためであったと信じたら、もう人生を自分のしたい放題にはできない、人生はもう自分のものでないということです。イエス様を信じた時、私たちの古い人は死んだのです。では、古い人は死んで、どのような生き方に変わったと言っていますか。
・17節/


7 救われた者は、自分のプライドとか肉の思いで生きるのではなく、新しく生まれ変わった命で、主の栄光をあらわして生きて、働く者となります。人生の価値観、生き方は一変します。14節の「キリストの愛が取り囲んでいる」とは、「キリストの愛が私たちに迫って来る」とか「駆り立てる」とか訳されています。イエス様の十字架の愛に感動し、新しい命で生きていこうと心駆り立てられるのです。イエス様の愛が強く迫って来たならば、生き方は変わらざるを得ません。あなたもイエス様の愛が自分に迫り、主の喜ばれる方へ駆り立てられたという体験がありますか


8 クリスチャンの生活や働きは、頑張らなければならないと言うものではありません。イエス様の愛が心に迫って来て、御言葉に生きたい、イエス様に喜ばれる生活をしよう、仕事も勉強も主の栄光をあらわして生きようと心が駆り立てられるのです。救われた私たちの生き方に変化が起こって来ます。人をどう受け止めるようになりますか。パウロの証しを参考にしましょう。
・ピリピ3:7〜9/
・16節/

9 イエス様に救われたならば、価値観が変わり、人を見る目が変わり、社会への取組みが変わります。救われた私たちは、世の価値観や肉のプライドで人を見るのではなく、その人のためにもイエス様は死なれた(15節)という救いの恵みで人を見られるようになります。そして、どのように生きる者となりますか。
・18〜21節/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の十字架による救いとは、罪を犯すことよって神様から離れて敵対している者が、神様と和解することです。この和解の働きが、私たち信じる者に与えられました。私たちは、イエス・キリストから世に遣わされた大使なのです。どうすれば福音をうまく伝えられるだろうかと考える必要はありません。必要なのは、原動力です。御言葉を学んで、イエス様の愛はどのようにあなたに迫り、どんなことへ駆り立てられますか。14節。

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