小グループで聖書を学ぶ
13 気落ちした者を慰めてくださる神 (Uコリント7:1〜7)

「心の門を開いて」

 私たちの日常生活で問題になるものの一つが人間関係です。使徒パウロも人間関係に悩み、苦しみました。私たちも、しばしばそうなります。イエス様を信じた者は、悩みにどう向き合って、どう対処するのでしょうか。御言葉から学び、私たち自身に適用させましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 パウロがコリントを去った後、エルサレムからやって来た教師たちが、パウロの批判をするようになり、パウロを誤解する人々が出て来ました。人間関係について、パウロはどんな経験をしていましたか、この手紙を書いていた時、どんな状態でしたか。
・Uコリント11:28〜29/
・5節/

2 人間関係については、パウロも随分心痛め、悩むことが多かったようです。パウロのような宣教師が人間関係に悩み、気落ちするなんて、と思うかもしれません。大活躍した預言者エリヤや有名なヨナの場合は、どうだったでしょう。そこから思うことは何ですか。
・T列王19:3〜5/
・ヨナ4:1〜3/

3 有名な神の人たちも、気落ちし、燃え尽きになり、自暴自棄になりました。ですから、人間関係に悩んで気落ちすることが、信仰が足りないということではありません。大切なのは、その時、どうするかということです。パウロは、救われている者が受けている約束を思い出すように言っています。どんな約束ですか。引用箇所を参照しましょう。
・1節/
・ヨハネ1:12, 14:15〜17,Uコリント5:14〜17/

4 何かに悩み、苦しむ時、問題や相手のことばかり考えるのですが、私たちは、まず自分が何者であるか、自分はどういう者とされているのかを振り返ることが大事です。神の御子イエス様が自分の代わりに十字架に苦しみ死なれた、自分はそれゆえに救われている尊い存在なのだと知るならば、霊的に変えられて来ます。新しく生まれ変わり、神の子とされ、神の御霊が心に住んでいてくださる存在なのだと知ると、見るものが違って見えて来ます。どのように価値観や見方が変わりますか。
・マルコ10:43〜45/
・Tペテロ4:8〜9/

5 パウロは、かっこうの噂話の対象になり、誤解され、悪く言われていることを伝え聞いて、悲しみ嘆き、悩み苦しみました。パウロは、どのようにしていたのでしょうか。もし人間的な標準で応答するならば、どのようにするでしょうか。
・Uコリント2:4/
・2〜4節/

6 この時、パウロは、言われているようなことはしていません、と静かに弁明するだけです。人は、誤解されたり、悪く言われたら、なぜ私を悪く言うのか、あいつらは酷いと怒り、反発するでしょう。私は頑張って来たのに、私のやって来たことは無駄だったのかとがっかりし、空しくなるでしょう。心傷つき、病んでしまうこともあります。あなたは、どのように反応しましたか。



7 誤解され、悪く言われたにもかかわらず、パウロは、そんな彼らを信頼し、誇りとしていたというのです。彼らの弱さや欠けを知っているからです。彼らに働く神様のあわれみと導きを知っているからです。救いの原点から人を見るならば、この人も神様に愛された人、イエス様はこの人のためにも十字架にかかられたと知るのです。このような信仰者としての態度、姿勢をどんな言葉で象徴的に表現していますか。
・2節/
・Uコリント6:11〜13/

8 心を開くとは、相手が自分を誤解しても、悪く言われても、受け止めることです。自分の方では憎まない、反感を持たないのです。「心開いてください」は、「あなたがたの心に私たちのための場所を作ってください」とも訳されています。パウロは、「あなたがたは、共に生きるために、私の心のうちにある」(3節)と言っています。あなたは、他の人のための部屋を心の中に持っているでしょうか。
・ローマ15:7/


9 自分を誤解し、悪く言う人々を心開いて受け入れ、愛し、信頼した結果は、どうなりましたか。パウロは、テトスをコリントに派遣し、マケドニヤでその報告を待っていました。気落ちしていたパウロにもたらされたテトスの報告は、どういうものでしたか。その知らせ聞いたパウロはどうなりましたか。
・6〜7節/

「命の実を刈り取ろう」

 パウロが心を開いて語りかける手紙を送ったことなどが積み重なり、最後にテトスが行ったことで、彼らの心が開いたのでしょう。私たちも、問題に出会って悩み苦しむ時、弱さの中で神様の導きに気付かされます。私たちは、仕事や人間関係、経済や暮らし、病気や老化など様々な事で困難や弱さを覚え、気落ちしてしまいます。しかし、落ち込んで、弱さや不安の中で神様に心を向け、深く信頼することで、気落ちした者を慰めてくださる神様の慰めを知ることができます。今日の学びを通して受けた導きや慰めを分かち合ってください。イザヤ40:1〜2。

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