小グループで聖書を学ぶ

16 恵みを受け渡す (Uコリント8:9〜15)

「心の門を開いて」

 今日本の社会構造や経済構造が大きく変化しています。そのために、人々の心は、ぎすぎすしてゆとりのないようになり、家庭や社会でも混乱や崩壊が起こっているようです。そのような状況に置かれている私たちは、どのように生きるのか、改めて御言葉に生きることを大切にしたいのです。

「御言葉の種を蒔こう」

1 私たちの行動や考えの動機となることは何でしょうか。聖書は、いつもそこに目を留めさせ、そこに立ち返らせてくれます。コリント教会の聖徒たちにエルサレム支援の要請をする前に、パウロは、彼らの思いをどこに導いていますか。
・9節/


2 私たちは、イエス様の恵みを知り、感謝しています。イエス様の犠牲によって罪と滅びから解放されました。そのためにイエス様がどうなられたかを考えることがあるでしょうか。想像もできないような栄光にあった神の御子が、私たちのためにどのように「貧しくなられた」か、確認しましょう。
・ルカ2:7, 9:58, マルコ6:3/
・ピリピ2:4〜8, マタイ26:40,27:23/

3 自分たちの救いのためにイエス様が貧しくなられた、という救いの原点にコリントの聖徒たちの心を導いて、パウロは、エルサレム支援の話しをします。コリント教会は、エルサレム支援をどうしていたと知ることができますか。
・10〜11節/


4 彼らはすでに昨年からエルサレム支援の働きを始めていたというのです。他の教会よりも早くしたいと願い、実際に他に先んじて支援プロジェクトを始めたのですが、彼らがそのプロジェクトを途中でやめていたのです。どんな理由が考えられますか。
・13節/
・2節/

5 彼らは、少ししか与えられないのを恥ずかしいと思っていたのかもしれません。あるいは、他の人を助けることによって自分たち自身が貧しくなることを恐れたこともあったようです。教会で起きていた混乱のために中断を余儀なくされていたのでしょう。あなたも、良いと思って始めたことを中断してしまったということがありますか。なぜ、中断してしまったのですか。



6 コリント教会の聖徒たちは、自分たちがエルサレム支援を中断していた理由などマケドニヤの聖徒たちがまったく問題にしていないのを知って、恥ずかしいと思ったでしょう。では、再開しようという思いになったなら、いつ、どのように再開したらよいのでしょうか。強調されていることは、何ですか。
・11〜12節/


7 「今、それをなし遂げなさい」という勧めとともに、「持っている物で、それをなし遂げることができる」と励ましています。私たちは、何かしようとしても、「〜になったらできるのになあ、〜があったらするのになあ」などとしばしば考えます。「私は何もありません。あの人のようにはできません」と謙遜に言います。御言葉は、「もし熱意があるならば、持っている物でできる」と言います。あなたの思うことは何ですか。



8 使徒パウロは、エルサレム支援がどのようになると表現していますか。繰り返されているその表現は、どういう意味ですか。
・13〜14節/


9 与えられた恵みで人に与える、与えられた賜物で人に仕えると平等になるというのです。この聖書的な原理は、社会の理想です。他人のことを考えるという日本の美徳もあります。この「平等」は、「彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになる」というのです。コリント教会は、どんなことを思い出して、どうすることが必要ですか。
・ローマ15:26〜27/
・Tペテロ4:9〜10/

「命の実を刈り取ろう」

 ペイ・フォワードという映画があります。「この世を良くするために何をしたらいいか」という宿題に、中学一年の主人公が考えたことは、受けた好意を相手に返すのではなく、他の人々に回すことでした。確かに周りの人々を変え、そのムーブメントは広がりました。人は初めから同じでなく、与えられるもの、持っているものも、社会で得られるものも平等ではありません。しかし、人がみな、神様から受けた恵みを、他の人に渡して行くなら、大きな目で見ると、平等になると今日の箇所は教えています。私たちも、イエス様の愛と犠牲による救いという恵みをいただいています。きょうの学びを通して、どんなことに気付かされましたか。受けた導きは何ですか。Tペテロ4:9〜10。

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