小グループで聖書を学ぶ

18 準備する必要 (Uコリント9:1〜7)

「心の門を開いて」
 
 旅行する時に、着替えや洗面用具、電子機器、色々準備されるでしょう。客を迎える時、掃除してお茶や菓子を準備されるでしょう。もし準備をしなければ、どうでしょう。エルサレム支援金の話から、準備について聖書から学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 エルサレム教会へ支援金を送ること、エルサレムの聖徒たちを助ける働きを「何」と言っていますか。なぜ、そういうのでしょうか。
・1節/
・ローマ15:26〜27/

2 すでに神様から福音という救いの恵みを受けたのですから、支援は、お返しであり、奉仕なのだということになります。ギリシャ南部のアカヤ州の中心都市がコリントでした。そのコリントの聖徒たちが、困難の中にあるエルサレムの聖徒たちに対してどのようにしていましたか。その影響は、マケドニアの諸教会に対してどのような影響を与えることになりましたか。
・2節/


3 コリントの聖徒たちがエルサレム教会の支援を一年も前に始めていたということは、彼らの意識がお客さん意識から当事者意識へと変わり始めたしるしです。クリスチャンは、イエス様の十字架という一方的な愛とあわれみによって救われているので、どうしてもはじめはお客さん意識になりがちです。イエス様は、救われた者がどう変わるように言われましたか。神の民にどうすることを求められましたか。
・マルコ10:43〜45/
・使徒20:35/

4 お客さん意識だったコリントの聖徒たちが、エルサレム支援をきっかけに当事者意識に変わり始めました。いち早くエルサレム支援を始めた時、コリントの聖徒たちは、神の国のお客さんから神の国の住人になったのです。救われてクリスチャンとなったなら、神の国の住民であるという意識が重要です。受けることだけを考えていては、所属感を感じることはできません。何か私にもできることをしていくというのが、神の国の民となる絶好の機会なのです。あなたが、住民意識と当事者意識を持って臨むなら、社会や教会でどのように変わるでしょうか。どうしようと考えますか。


5 なぜエルサレム支援について書き送る必要はないと言いながら、こうして書いているのでしょうか。
・3〜4節/



6 1年前にすでにエルサレム支援金集めが始まっていたのですが、中断されていました。コリントではエルサレム支援プロジェクトがすでに始まっていると、パウロはマケドニアで自慢していました。もし、支援金集めが中断されていることや集まっていないということを知るなら、あの話は何だったのかと人々はがっかりし、コリントの聖徒たちは恥をかくことになります。プライドの高いコリント人は屈辱を感じるでしょう。準備ができていなければ、あわてふためいて、どうするおそれがありますか。
・5節/


7 コリントの聖徒たちが、あわてふためいて、内心いやいやながら、惜しみながらすることになれば、それは、支援の重要な目的を無にすることになります。私たちが何かをしようとする時、それなりの準備が必要です。どんな試験にも準備が必要です。資格を得ようとするなら、相当な準備期間が必要です。車を持つなら保険加入して、事故の備えが必要です。準備を怠ったために失敗したり、心と裏腹になったことがありますか。



8 私たちがすべてのことについて準備が必要な理由は、主の再臨や天の御国に関係しています。主の日はどのように来ると教えていますか。天の御国に対してどうすることが必要だと教えていますか。
・Tテサロニケ5:2〜3/
・マタイ25:1〜10/

9 主が呼ばれるならば、いつでもすべてを置いて従う準備がされていなければなりません。すべての事に準備をして行くなら、どのように人生の実りがあると教えていますか。
・6〜7節/
・箴言11:24〜25/

「命の実を刈り取ろう」

 豊かに蒔く農夫が多くの収穫を得るように、人に心を向け、助け、与えることは、与えた人に祝福の報いがあります。仕事においても、家庭においても、私たちは、先の心配をするのでなくて、信仰をもって先の準備するのです。技能や能力を身に付ける用意、家庭を築く準備、変化して行く仕事への備え、大人になる準備、年老いていく備え、関係を築いて行く用意、今あなたはどんな準備をする必要がありますか。きょうの学びを通して示されたこと、導きを受けたことは何ですか。

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