小グループで聖書を学ぶ

22.宝のような信仰(Uペテロ1:1〜3)

「心の門を開いて」
 
 ブランド品の偽物が売られていますが、ほとんど粗悪品です。この手紙が書かれた当時、偽物の信仰が教会の中に入って来て、聖徒たちを混乱させていました。偽物には、聖霊の働きはなく、霊的変化もありません。では、私たちの信仰は、どんなものなのでしょうか。

「御言葉の種を蒔こう」

1 使徒ペテロが、この手紙の書き出しにおいて、受け手の聖徒たちについて強調していることは何ですか。
・1節/
・Uコリント4:7/

2 受け手の聖徒たちも、ペテロたちと「同じ尊い信仰」を受けたと言っています。「尊い」とは、「名誉、価値」という意味です。「宝」と訳された聖書もあります。誰でも、価値あるもの、宝を求めています。本当に価値あるものを見つけたら、とても喜びます。自分の信じている信仰が、宝のような価値あるものだと思っていますか。他のものを宝だと思って求めていませんか。



3 最高の価値ある宝は、正しい信仰です。信仰は、空しい人生から私たち自身のたましいを生き返らせてくれます。この宝のような信仰は、ただ「イエス・キリストの義による」と言っています。これは、どういうことですか。
・ローマ3:22~24/
・エペソ1:7/

4 私たちが世に生きている間に必ずしなければならないことは、滅亡に向かっている人生を祝福の人生に変えることです。神様が送ってくださった救い主イエス様の十字架を自分のためだと信じることです。その結果、罪の赦しと永遠の命を与えられ、神の子どもとされ、神様の祝福の相続者とされるのです。これを宝と言わないで何を宝というのでしょうか。イエス様の犠牲という代価が支払われました。こんなに尊い信仰を与えられた私たちは、どのようにしていることができますか。(参考/ピリピ1:14,20,ヘブル4:16,12:1)


5 救い主を与えてくださった神様を知ることは、大変重要です。私たちが「神様と主イエスを知る」というのは、漠然と神の存在を認め、神様やイエス様について知識を増やすということではありません。どういうことで「恵みと平安が豊かに」なりますか。
・2節/
・Tコリント1:9,Tヨハネ1:6/

6 ギリシャ哲学の影響を受けていた当時の人々は、神が人となって世に来られたということが考えられませんでした。しかし、肉体を持った人を救うためには、神の御子が肉体を取って世に来なければなりませんでした。人は被造物であるにもかかわらず、創造主である神様を知らずに傲慢に生きています。これが罪です。救われた私たちがしなければならないことは、何ですか。
・ローマ4:20〜21/
・ホセア6:3,6/

7 価値ある宝のような信仰を受けたとしても、それを用いなければ、絵に描いた餅です。混乱し、腐敗した世のために世を聖めて整える人々の存在が必要です。そのためにイエス様を信じる人々に何が与えられましたか。
・3節/
・Tテサロニケ4:7/

8 私たちに不思議な力を与えられました。それは、「いのちと敬虔に関する」力です。「いのち」ということは生きているということです。神様は私たちを生かして用いるために、いのちが約束された敬虔をくださいました。神様の力が継続的に私たちに注がれます。「敬虔」には、どんな力がありますか。
・テトス2:3/
・Tテモテ4:8/

9 「私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった」とは、救いが誰によると言っているのですか。イエス様を信じた私たちは、どんな存在とされているということですか。
・エペソ2:8〜10/

「命の実を刈り取ろう」

 救いは、徹底的に神様の選びと予定による召しです。それだけイエス様を信じた私たちは、尊い存在とされているということです。神様の栄光と徳をあらわす者とされています。世を聖め、回復させる真実で聖い存在としてこの世におかれています。イエス様を信じた者には、尊い存在のため、すでに神様の御力と祝福が注がれています。イエス様によって救われ、尊い信仰を与えられた者として、主の期待された生き方をどのようにあらわしていきますか。

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