小グループで聖書を学ぶ

25.最も確実な基礎(Uペテロ1:12〜21)

「心の門を開いて」
 
 私たちは、どこに基礎を置いて生きているのでしょうか。何の上に人生を築いているのでしょうか。考えてみましょう。私たちがこの一度の人生を最高に美しく生きるためには、世の流行や自分の肉の思いではなく、最も確実なものに基礎を置かなければなりません。

「御言葉の種を蒔こう」

1 まず、使徒ペテロは、信仰が揺れ動いた聖徒たちに対して、本来イエス様を信じた聖徒たちがどんな者であるかを思い出させようとしています。どのような基礎に立っているはずだと言っていますか。
・12節/


2 本来、イエス様を信じた者は、神様の御言葉の上に立っているはずだと言っています。では、御言葉の上に人生を築くのとそれ以外の基礎の上に築くのとでは、どんな違いがあるでしょうか。イエス様のたとえから学びましょう。
・マタイ7:24~27/


3 なぜ、信仰を享受できないのでしょう。信じても、心配は尽きず、私たちは、些細なことでも揺れ動きます。思うようにならなかったり、問題や事件が起これば、心が乱れます。ペテロは、心が揺れ動いている聖徒たちに対して、生ける御言葉という磐石な基礎を「思い起こさせよう」としています。私たちは、本来の基礎を忘れて、自分の肉の思いを基礎としていないでしょうか。肉の思いを基礎にしているとどのようになりますか。(参考/Tテモテ6:3~5)


4 ペテロは、信仰が揺れ動いている聖徒たちに、イエス様を信じて素晴しい磐石の救いを与えられたことを繰り返し思い出させようとしています。イエス様を信じて救われていながら、自分の肉の思いを人生の基礎として、試みに会っている聖徒たちに切々と語っています。なぜ、そのようにしているのでしょうか。「幕屋を脱ぎ捨てる」というのは、地上の生涯が終わるということです。
・13〜15節/


5 救いの恵みを繰り返し思い出させようとするペテロの姿は、反抗を繰り返す子どもを投げ出さないで、涙を流しながら育てる母親のようです。神様の愛と罪赦された恵みを忘れ、自分の肉の思いに囚われて生きている姿を見て、信仰を奮い立たせることが私の使命、救いの恵みを思い起こせることが私の務めだと言っています。それは、ペテロ自身が、イエス様を否定した経験を持つからです。このペテロの姿を見て、あなたはどんなことを思いますか。
・ルカ22:31〜32/


6 私たちがこの世で信仰を享受して生きる秘訣は、イエス様を信じて、御言葉をつかんで、確信をもって生きることです。そのために救われた体験を思い出すことは大切です。ペテロ自身の証しはどんなものですか。あなたの救いの体験を思い出してみましょう。忘れていませんか。
・16〜18節/
・黙示録2:4〜5/

7 変貌の山で驚くべき体験をした使徒たちも、山をおりれば困難や問題が待っていました。霊的恵みの体験は、世での証しの生活と困難な問題に取り組むために勇気と力を与えてくれます。週のはじめの礼拝では、臨在される神様と交わり、御言葉の恵み、癒しと導きを受けます。それによって、その週も多くの問題に信仰をもって取り組み、神様の栄光を現して生きて行けるようにされるのです。御言葉の勧めを読んでみましょう。
・ヘブル3:12〜15/


8 信仰の体験も確信を与えてくれますが、もっと確実なことがあります。それは何ですか。人生を導く基礎として、何にたとえられていますか。
・19節/
・詩篇119:105/

9 20節の「私的解釈」は、御言葉を知ってはいても、自分の都合のよいように使うことと言えます。自分勝手に都合のよい御言葉だけ聞き、悔い改めや罪を思い出させる御言葉は聞き流してしまうことです。なぜ、そうしてはいけないのですか。
・20〜21節/

「命の実を刈り取ろう」

 聖書は、聖霊の導きによって記されたものです。ですから、聖霊を受けている私たちは、神様の御言葉を通して御旨を知り、御言葉に聞き従って生きる者です。御言葉が私たちの人生の基礎とされるならば、問題や試練はあっても倒されることなく、美しい信仰の生涯を生きて行くことになります。どこに人生の基礎をおいて生きているかについて気付かされたことは何ですか。

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