小グループで聖書を学ぶ

27.肉に従う道から正しい道へ(Uペテロ2:10〜16) 

「心の門を開いて」

 イエス様を信じた人の中には、肉に従って歩むことがなぜいけないのか、その方が自然ではないか、と思う人がいます。その姿が自由で良いように見えるようです。はたして、そうでしょうか。

「御言葉の種を蒔こう」

1 人には誰にも欲があります。欲というものがすべて悪いものということではありません。欲というものは、人が生きて行く中で必ず必要なものです。本能的な欲がなかったら、生きる意欲も持つことができません。食欲がなければ、お腹も空かず、食べることをしません。しかし、そのような欲が度を越して、肉の思い中心となってしまうと、どのような姿になると言っていますか。
・10節/


2 汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩む姿は、たとえば人間関係において、人と比べて妬みの炎を燃やし、評価を得たいと身を焦がし、尊大な者となって人を侮り、そしって、恐れることがありません。肉の思いのまま生きることが自由で楽しい言えるでしょうか。自分の肉の思い中心で歩みながら、信仰を享受できるのでしょうか。



3 肉の思いで神様を侮るような傲慢な姿と対照的に、御使いたちの態度を教えています。御使いは、どんな態度ですか。ここから私たちが学ぶことは何ですか。
・11節/
・ユダ1:9〜10, Tペテロ2:23

4 御使いが「正しくさばかれる方にお任せになりました」のですから、私たちが、分かるはずだと思って、いさめても、肉の思いが土台になっている状態の人には「ことばの争い」になる危険があります。なぜ、分からないのでしょう。どうして、通じないのでしょうか。
・12節/


5 怒りで吠え猛り、牙をむいて争うなら、まさに獣のようです。肉と欲の思いが中心になっている姿は、あたかも理性のない動物のようです。よく分からないで人をそしり、怒りや不満で吠え猛るのですから、へたに手を出せば噛まれ、諌めるならば、争いになるでしょう。何か連想することがありますか。



6 どうしたら、この肉の思いと欲に打ち勝って、神様の喜ばれる信仰の人生を歩めるのでしょうか。努力してクリスチャンらしくしようとしたら、できるのでしょうか。下記の箇所を参照して、確かめましょう。自分の力ではどうしようもできないことを、イエス様がどうされたかを見てみましょう。
・マタイ23:25〜26, マルコ7:20〜23/
・Uコリント4:7, Tコリント6:20/

7 偽りの教えをする人々の特徴はどのようだと言っていますか。どんなことを楽しみと考え、どんなことをしていますか。聖徒たちをだまして、どんなことに引き込もうとするのですか。どんな人が誘惑されやすいのですか。
・13〜14節/


8 偽りの教えをする人々の例として、昔の偽教師、偽預言者バラムの事件が引用されています。肉と欲に従ったバラムを正しい道に戻すためにどんなことがされましたか。(参考/民数記22:23〜31)
・15〜16節/


9 神様のみこころを知りながら、肉の思いとその欲に従ってしまったのが「バラムの道」です。バラムを正しい道に引き戻すためにロバが用いられ、物を言わせましたが、私たちを肉と欲の思いから「正しい道」に導いてくれるのは、何ですか。あなたを肉の思いから引き戻してくれたのは、どんなことでしたか。(参照/マタイ6:13,ヨハネ14:6)


「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、イエス様の十字架を信じて、この道に入りました。私たちは、尊いイエス様の犠牲によって、滅びの道から救いの道に入れられたのですから、この道を歩まなければなりません。私たちは、イエス様の救いの恵みをいつも新たにしていないと、いつの間にか自分の思いに満ちて、肉の欲を満足させる道にそれて行きます。私たちも、神様のみこころをしりながら、自分の肉の思いを燃やし、肉の思いを中心にしていないでしょうか。学びを通して、悔い改めたこと、感謝を覚えたこと、導きを受けたことなどを分かち合いましょう。Tペテロ4:2〜3。

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