小グループで聖書を学ぶ
17 主の救済のしるし(U列王記16:1〜20)

「心の門を開いて」

 列王記は、王様たちの記録ですが、自分の人生の歩み、あなたの生き方が記録されているとしたら、どうでしょう。実は、「いのちの書」というものがあり、記されていると聖書は教えています。黙示録3:5,イザヤ4:3。考えて見れば、自分が関わる人々にも、記憶という形で記録されているのではないでしょうか。アハズ王の記録から、私たちが気をつけるべき姿を学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 聖書は、王の業績が立派かどうかではなく、信仰的に正しい歩みをしたか、そうでなかったかで記されています。アハズ王はどんな王でしたか。どんなことをしていたと記録されていますか。今までのユダの王様とどう違いますか。
・1〜4節,U歴代28:1〜2/
・U列王15:1〜3,32〜34/

2 アハズ王は主の目にかなうことを行いませんでした。それどころか、周囲の国の忌みきらうべきならわしをまねて、偶像を造り、子どもの人身御供までしました。この頃ユダは、国力が下火になって来た時代です。若くして王となり不安だったのでしょうか。でも、その結果、どうなりましたか。アハズ王と民の反応はどうですか。
・5〜6節,U歴代28:5/
・イザヤ7:1〜2/

3 アラムと北イスラエルの連合軍がユダを攻めて来て、大きな被害を受け、アハズ王と民の心は、風で揺らぐ木の葉のように動揺したと記録されています。私たちも、仕事や生活の現場で困難な出来事が起これば、動揺するでしょう。不安や恐れが起こるでしょう。そこで問題となるのは、人は動揺すると判断力が歪むということです。認知の歪みと言います。より悲観的否定的になるのです。連合軍が攻めて来ましたが、結果はどうなりましたか。この状況について主は何と言われていますか。何が起こっていますか。
・5節,イザヤ7:4/
・U歴代28:13〜14/

4 主は、連合軍を二つの木切れの煙る燃えさしに過ぎないと見ておられます。これが、主の判断です。しかし、アハズには、木切れの燃えさしが大木に見えたのです。認知の歪みで恐れと不安におおわれたアハズ王は、どうしましたか。主に拠り頼んだのですか。どんな救済策を考え、行ったのですか。
・7〜9節/

5 アッシリヤ帝国によってアラムは滅ぼされ、危機は脱しました。でも、本当に知恵ある策だと言えるのでしょうか。困難に出会った時、聖徒たちも、奇妙なことに信じている神様に頼らないで、自己救済策を考え行うことがあります。その結果どうなるのでしょうか。アッシリヤ帝国の属国となったアハズ王のその後の姿を参照しましょう。
・10〜12節/
・18節/

6 アハズ王は、アッシリヤ帝国の偶像の祭壇を見て、その通りにエルサレムにも作らせます。アッシリヤ王に忖度して、主の宮は改造されました。アハズ王はより不信仰となりました。私たちは、仕事や家族の問題について自分の知恵と知識を用いて考え、計画するでしょう。知恵を使って考えることは大事です。しかし、どうすることが必要ですか。
・箴言16:3,9/


7 アハズ王の姿は、イエス様を信じる聖徒たちが主に拠り頼む必要があるのに、他に頼ることの弊害がどれほどであるかを見せています。アハズ王が連合軍に攻められた時、大丈夫だから、落ち着いて、静かにしていなさい、恐れてはならないと言われた主は、どんなしるしを与えると言われましたか。それは、どういうことを約束されたのですか。
・イザヤ7:10〜14/
・マタイ1:23, イザヤ41:10/

8 インマヌエルとは、「神は私たちとともにおられる」という意味です。イエス様を信じる者にとって、これほど確かなことはありません。主は、「わたしはあなたとともにいる。だから恐れるな、たじろぐな、あなたを助け、守る」と約束されました。罪と滅びからたましいを救済してくださるばかりでなく、人生における様々な問題の中にあっても救済してくださるのです。主の救済法は、どのようなものですか。
・ヨハネ3:16, エペソ1:7/
・ヨハネ1:12, ローマ8:34/

9 ユダは、大きな被害にあっても、負けなかったのです。ユダは滅びていませんでした。ここにも、主の救済があります。聖書は、問題は起こってもどうしてくださると約束していますか。その保証の元は何ですか。
・Uコリント4:8〜11/

「命の実を刈り取ろう」

 自分の銀行口座に多額の入金があるのに、それを知らずに貧しい生活をする人になるなという言い方があります。奇妙なことに、聖徒が患難に出会っているのに、主に頼らないことがあります。救われた者として主の守りと導きを受けられるという恵みを忘れて、口座が空のような貧しい生活をするのです。私たちは、救われた者としてどんな時でも主を信頼し、拠り頼んで生きた人生だったと記録されることを願います。今日与えられた気付きや適用を分かち合い、祈りましょう。イザヤ41:10。

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