小グループで聖書を学ぶ
19 何に拠り頼んでいるのか(U列王記18:1〜37)

「心の門を開いて」

 真面目に生きれば損をする、頑張ったって報われない、一生懸命している人がばかを見る、真面目に仕事すれば他の人の分まですることになるなどと呟き、そんな理不尽に痛む人は多いです。そして、それに加えて嘲られれば、なお辛くなります。どう考えたら、いいのでしょうか。素晴らしい信仰に生きた王様の姿から学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 その王様は、ヒゼキヤ王です。真面目、頑張り、一生懸命に超のつく人でした。お母さんは、預言者ゼカリヤの娘でした。父アハズ王は、邪悪な王様でしたが、母や祖父から御言葉を教えられ、信仰で生きる王様となりました。その信仰については、どんな王様だと記録されていますか。
・1〜2節/
・3〜6節/

2 これまでのユダの王様は、偶像を取り除いても、民の反発を恐れて、保身のために高き所や青銅の蛇を取り除きませんでしたが、ヒゼキヤ王はこれらを偶像に仕えることになるとして、取り除きました。難しい課題に対して、ヒゼキヤ王は恐れないで、真面目に取り組みました。対外関係においては、どうでしたか。そうしたことにより、ヒゼキヤ王の政治はどう評価されると思いますか。
・7〜8節/


3 ヒゼキヤ王は、真面目に信仰に生き、仕事も頑張り、何事にも一生懸命やりました。内政も外交も順調に進み、民の評価を受けたようです。私たちも、それなりに熱心に信仰生活をし、与えられたことを頑張ってしているでしょう。そのように生きれば、当然どんなことを期待しますか。頑張りや働きに対してどんなことがあるはずだと考えますか。
・箴言12:14/(参考)
・ローマ2:6/(参考)

4 ヒゼキヤ王の場合、民の反発はなく、民は王に従っていました。外征も勝利して、主がともにおられること、主の恵みと守りを感じていたでしょう。しかし、それはずっとは続きませんでした。どんなことが起こりましたか。それに対する王の反応はどうですか。
・13節/
・14〜16節/

5 信仰で一生懸命に国を治め、難しい課題に対しても真面目に取り組み、頑張りました。しかし、この時のヒゼキヤ王は、アッシリヤに対して卑屈になった惨めな姿です。私たちも、真面目に信仰に生きて、仕事も頑張っているのに、報われず、失敗し、結果が出ない、他の人が評価されるとしたら、どんな気持ちになりますか。



6 確かにうまくいかないと、真面目に生きれば損をする、頑張ったって報われない、一生懸命している人がばかを見るなどという思いが生じて来るでしょう。熱心に信仰しているのに、恵みも祝福もないと思うでしょう。アッシリヤに攻められて、卑屈になっているヒゼキヤ王は、今までしていた何かを忘れていないでしょうか。
・詩篇9:10/
・箴言3:5/

7 アッシリヤは大軍でエルサレムを囲み、高官ラブ・シャケがアッシリヤ王の言葉を伝えて、ユダを嘲ります。この嘲りの目的は、何ですか。問題を通して私たちを惑わし、試みるサタンの目的も同じです。この目的は何ですか。果たせるのですか。
・22,29〜31節/
・ローマ8:35,39/

8 エジプトを拠り頼むならば、ナイル川にはえている葦のように、それはいたんだ葦の杖だ、寄りかかる者の手を刺し通すだけだと嘲ります。確かにエジプトは、いたんだ葦です。実際に頼りになりませんでした。エジプトとは、聖徒たちにとっては世のことです。自分が世の何に拠り頼んでいるのか点検してみましょう。
・21節,イザヤ31:1/
・箴言11:28,Tヨハネ2:16/

9 ラブ・シャケの嘲りは、不安や恐れを抱きながら聞いている民の心を揺さぶり、惑わし、主から引き離し、降参させるためです。このような声は、サタンの声です。私たちの信仰を嘲り、惑わし、揺さぶるサタンの声が人々からも聞こえて来ます。どう対処しますか。民の応答を見ましょう。イエス様は、裁判での偽証に対してどう応答しましたか。
・36節/
・マタイ26:62〜63/

「命の実を刈り取ろう」

 「おまえは何に拠り頼んでいるのか、だれに拠り頼んでいるのか」という問いかけが繰り返されています。19〜20節。嘲りの言葉ですが、それを通して聞く者の心に主が問いかけておられます。私たちの救い主イエス様は、問題や困難のために心痛め、望みを失っている人々に対して、「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない」存在です。私たちは弱い葦のような存在ですが、主に拠り頼むならば、確かな人生を歩むことができます。気付いたことや適用を分かち合い、祈りましょう。イザヤ42:3。

戻る