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21 ヒゼキヤの祈り(U列王記19:1〜37)

「心の門を開いて」

 人は何かの責任を負っているものです。責任とは、心身のエネルギーを必要とします。元気な時、うまく行っている時は負えるのですが、責任が重く感じられたり、責任を問われたりする時もあります。そうすれば、とても苦しく、辛くなり、病気にもなります。そんな時どうすればいいのか、責任の負担と重荷の中でどう生きるか、ヒゼキヤの祈りから学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 アッシリヤ帝国が攻めて来ました。ヒゼキヤ王は、屈辱的にひれ伏して、神殿の金まで剥がして貢ぎました。エジプトも引き入れようとしました。できることはやりました。でも失敗し、効果はありませんでした。アッシリヤは、ユダの町々を攻め取り、エルサレムを取り囲み、嘲り、降伏を迫りました。特に、ヒゼキヤを責め、民にヒゼキヤを信用するなと繰り返しました。ヒゼキヤの王としての心はどのようになると思いますか。
・18:29〜31/
・3節, 詩篇73:14/

2 ヒゼキヤは、ユダとエルサレムがこのような状態になったことについて、責任を問われる思いから圧迫と恐れを感じ、自責の念と無力感でいっぱいになったでしょう。あなたは、担っている働きや責任を負っていることについて、頑張っても結果が出なかったり、失敗した時、周りの期待通りできなかった時、どのような状態になりましたか。
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3 ヒゼキヤは、自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮に入りました。そして、預言者イザヤに祈ってくれるように頼みました。その内容は、自分の限界を覚えて、主を信頼して、主の助けを期待したものです。これが、主の民の王としての責任です。そのような主に拠り頼んでいる姿を民に見せることです。私たちも自分が何とかしなければ、自分が責任をとらなくてはという考えにとらわれていませんか。何か忘れていませんか。
・1〜3節/
・詩篇100:3,イザヤ46:4/

4 アッシリヤは、エジプト(クシュ)軍に集中するために、エルサレムをすぐに征服しなければなりません。そこで、セナケリブ王は、ヒゼキヤに手紙を書きました。どんな内容ですか。これに対して、ヒゼキヤはどうしましたか。それは、どんな姿ですか。
・9〜11節/
・14〜15節, ヘブル4:16/

5 神様への信頼からヒゼキヤを引き離し、絶望させようとする文書を受け取ったヒゼキヤは、主の前に大胆に出て、切実に祈りました。その内容の特徴はどうですか。
・16〜19節/
・詩篇3:1〜4, 使徒4:29〜30/

6 主の前に手紙を広げながら、「敵はこんな手紙を書いて来ました。こんなにひどく嘲り、侮辱しています」と神様に訴えています。切実に祈っています。実に生き生きとした信仰です。王にとって、神様は目の前におられて、生きておられるお方、自分の訴えを聞いて、手紙を読んで、応えてくださるお方なのです。私たちにとって、どうでしょうか。どんな神ですか。
・イザヤ59:1/(参考)
・Tコリント15:19/(参考)

7 このヒゼキヤの祈りには、責任を問われる思いから圧迫と恐れを感じ、自責の念と無力感でいっぱいになっていた姿はありません。誰しも、状況によっては責任に押しつぶされそうになりますが、神様が責任を取ってくださいます。元々自分にできることは限られています。自分にできることに集中し、後は主に委ねようとするのです。ヒゼキヤが切実に祈ったら、主はどのように答えてくださいましたか。
・20,32〜33節/
・6〜7節/

8 次の日人々が起きて見ると、アッシリヤ軍は死体となって横たわっていました。アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、ニネベに帰りました。そして、息子たちの謀反によって、殺されることになります。ユダは助け出されました。このような聖書の鮮やかな恵みは、私たちにも及びます。どんな信仰が必要だと教えていますか。
・35〜37節/
・31,34節/

9 主の熱心と契約がユダを救ってくださいました。神の熱心と契約の完成がイエス様の十字架です。主は、イエス様の十字架の御業を通して、人々を救い出してくださいます。イエス様が私たちの罪と滅びの身代わりに十字架に渡されたことが、まさに主の熱心によることでした。主は、私たちを救うために、どのように責任を取ってくださったのですか。
・Tペテロ2:24/

「命の実を刈り取ろう」

 十字架の犠牲は、イエス様が私たちのために責任を負ってくださったことです。ですから、今負っている責任、重荷を主に任せてください。なすべきことをしたら、主の取り扱いを信じてください。ヒゼキヤが経験したようなことを、イエス様を信じる私たちも経験することができます。生きておられる主に切実に祈り、主の御業を見ることができますように願います。受けた適用を分かち合い、祈りましょう。使徒4:29〜30。

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