小グループで聖書を学ぶ
21 延長された人生を生きる(U列王記20:1〜21)

「心の門を開いて」

 病気で死にそうになったヒゼキヤ王が慟哭しながら祈ると、寿命が延ばされました。多くの人々がこの話を好み、熱心に祈って癒しを受け、奇跡を得ようとします。しかし、本当にそういうことを教えているのでしょうか。聖書をよく読んでみれば、祈りの結果から私たちに与えようとしている素晴らしいメッセージが見えて来ます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 ヒゼキヤ王は、病気で死にそうになりました。その上、アッシリヤに攻められていた時のことです。預言者イザヤを通して、「治らないから、あなたの家を整理しなさい」という主の言葉を聞きました。身辺整理をしなさいと言われたのです。ヒゼキヤは、どんな心になったのでしょうか。
・1節/
・イザヤ38:10〜12/

2 戦いの最中、国政改革もまだ道半ば、それなのになぜ、残念だという思いです。ヒゼキヤはまだ39歳、王としての働きを中断しなければならないなんて、とても受け入れがたいことでした。私たちも、人生途上青天の霹靂というべき出来事に出会い、事が中断されることがあります。そんな時、どうしますか。ヒゼキヤはどうしましたか。
・2〜3節/
・イザヤ38:13〜16/

3 顔を壁に向けて号泣しながら祈ったというのは、主に心を向けて、思いのたけをぶつけて祈ったということです。激しく泣きながら祈りました。私たちも、時には主に思いのたけをぶつけて祈る必要もあるでしょう。ヒゼキヤの祈りに対する主の答えはどうですか。その答えをどう思いましたか。そのような祈りをしたことがありますか。
・4〜7節/


4 聖書を読む人々はみな、祈って寿命が延ばされたという話が好きです。考えてみれば、私たちは、延長された人生を生きているのではないでしょうか。私たちは、どういう者ですか。延長された人生を生きているのならば、私たちは、どのように生きることが必要でしょうか。
・Tペテロ1:3/
・ローマ6:4/

5 私たちは、罪のゆえに滅ぶべき命であったのに、イエス様の十字架を信じて救われて、新しい命を与えられました。これからは、新しい命を大切に生きていかなければと言わざるを得ないでしょう。聖徒たちにとって、重要なのは、どれくらい人生が延長されたということではなくて、延長された人生をどのように生きるかなのです。しかし、ある事件が起こりました。それは、延長された時のヒゼキヤのどんな思いを示していますか。
・12〜13節/
・U歴代32:23〜25前半/

6 大帝国を退け、病気も乗り越えたヒゼキヤ王の名声を聞きつけて、遠くの国から見舞いに来ました。喜んだヒゼキヤ王は、まるで自分がしたかのように自慢し、バビロンの使者に、王宮の隅々まで、宝物もみんな見せたというのです。このヒゼキヤ王の高慢に対して、どんな預言が伝えられましたか。
・17〜18節/
・U歴代32:25後半/

7 主の御怒りが下ることに対して、ヒゼキヤはどうしましたか。ヒゼキヤ王の素晴らしさは、失敗をしないことよりも、間違いをした後どう生きたかが大切です。民も王と一緒にそうしたことで、主はどうしてくださいましたか。
・U歴代32:26後半/


8 ヒゼキヤの人生が延長されたことは失敗ではありません。悔い改めたヒゼキヤは、赦された恵みを感謝して、延長された人生をしっかり生きました。その後のヒゼキヤの事績を調べてみましょう。どんな印象を受けましたか。
・20節/
・U歴代32:27〜30/

9 ヒゼキヤ王は、その後延長された人生を費やして数々の功績を残しています。とりわけ歴史に残る功績は、エルサレムの水源であったギホンの泉の水を城内のシロアムの池まで引くトンネルを完成させたことです。世界最古の水道トンネルです。私たちが生きていることを当然と見ることはできません。一日一日が、主が生かしてくださる延長された人生であることを覚えなければなりません。ヒゼキヤの葬りを見ると、民がどれほどヒゼキヤを評価しているかが分かります。延長された人生をどう生きようと願いますか。
・U歴代32:33/

「命の実を刈り取ろう」

 主のあわれみと恵みを深く受け止めた人がそれに応え、延長された人生を主の栄光をあらわしながら生きようとします。過ちや失敗を指摘されても、謙遜に受け止め、感謝しつつ忠実に仕える態度を失わないのです。今日御言葉を学んで、私たちの人生が延長されたものであり、延長していただいた理由も知ることができました。自分が生かされていることを当たり前だと思うことはできません。神が生かしてくださる延長された人生を、主のあわれみと恵みに応えて生きたいと願います。Tペテロ1:3。

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